2章7話 懐かしい味と新しい出会い


「ただいまー! なんか凄いいい匂いがする!」


 祖父さん達に持っていってすぐに、玄関からそんな元気な声が聞こえてくるのに、俺はふっと口元を緩めた。

 無言で美味そうに食べてもらうのも悪い訳では無いが、やはりまっすぐに感想を言ってもらえるのは嬉しい。


「おかえり、詩音。帰り道は暑くなかったか? 最近は朝晩は随分冷え込むのに日中は暑すぎるくらいだからな」


「ただいま楽さん。うん、大丈夫だった。それに茜さんと一緒にお話しながら帰ってきたから全然気にならなかったよ」


「へぇ、そうなのか。あいつも牛丼とか好きだから寄ってったら食べさせてやったんだが……何の話しながら帰ってきたんだ?」


 俺がそんな風にやり取りしつつ、一人で帰るのも寂しいだろうし助かったなと思いながら尋ねると、詩音はハッとした顔で止まって。


「えへへ……それは内緒なんだ」


 にっこりと笑ってそう言った。

 いや、そんな風に言われたら気になるじゃねぇか。今度茜にも聞いてみようかなと考えていると。


「ところで、誰が来てるの? 靴もいっぱいあったけど」


 詩音も玄関で気になったようで首を傾げて質問してきた。

 そういえば梅ちゃん先生はともかく、松のおやっさんと竹さんは初めましてになるのだろう。


「おお、一人は詩音も知ってる人だから挨拶してきな……とその前に、詩音は牛丼は好きか? 祖父さん達の希望で作ったから今日の晩飯は決まりなんだが」


「牛丼? 凄い好き! お母さんも好きでね、幼稚園の帰りに"てーくあうと"で帰って食べてたんだよ」


「テイクアウトな。へぇ、そりゃ良かった。牛丼屋の味になってるかはわかんねぇが」


「楽さんが作るんだもん、美味しいに決まってるよ! じゃあ挨拶してくるね」


 そうしてぽんぽんと会話をすると、詩音は祖父さん達の部屋に向かっていった。それにしても嬉しいことを言ってくれる。

 まだ慣れようと意識している部分はあるだろうが、来たばかりに比べると随分とよく喋るし、おかげでこっちの方が家が賑やかになってくれて助かるくらいだった。


「それにしても、帰りに牛丼、か。姉貴の話をまだちゃんとは聞けてないんだよな」


 実は、あの後整理した詩音の荷物の奥に、姉貴からの手紙が入っていた。

 俺宛と、祖父さん宛だ。


『親愛なる弟、楽へ。元気? こういうのって何を書けばいいかわからないから要件だけ書きます。ちょっと事情があってさ、息子をお願い。出来たら、良くしてあげて。私の子供にはもったいないくらいのいい子なんだ。楽になら、頼めるから、お願い』


 それだけだった。

 事情とやらも、そもそも何で出ていったのかも。

 俺が知りたいことは何も書いてない手紙だった。


 祖父さん宛になんて書いていたのかはわからない。

 ただ、祖父さんは一言。


「相変わらず、大事なことは言わん孫だ」


 そう言っていたから、きっと大差ない内容だったんじゃないかと思う。

 まぁ、姉貴に言われるまでもなく詩音はいい子だったし、どうやら詩音の口調からも親子仲が悪いわけではないのはわかって、だからこそ余計に何故は気になっていたのだが。

 結局なんだかんだで姉貴について詩音に聞きそびれたまま、生活が始まっているのだった。



 ◇◆


 

「おじいちゃん、ただいま! そしてこんにちはです、梅さんも」


「…………おう、おかえり」


 ガラガラ、と襖を開けて挨拶をする。返事が返ってくるまで少し時間があったのは、皆ちょうど丼を抱えてご飯を食べているところだったからだ。

 いい匂いがしていて、そしてこの匂いはお母さんと暮らしていた少し前までのことを思い出す。でもそれも一瞬のことで。


「おお、お前が噂の詩音か! いや、確かに奏音の面影があるな!」


「……やぁ、食べながらですまないね。詩音くん、お邪魔させてもらってるよ」


「この間ぶりだね、学校生活はどうかな? この二人は松と竹とでも呼んだら良いよ」


 強面のおじいさんと、かっこいいおじいさんが挨拶してくれた後に、学校に入る時に一度挨拶した梅さん――もう先生じゃないから梅だけでいいよと言われたからそう呼んでいる――が声をかけてくれた。


「松さんに、竹さん、でいいですか? えっと、久我山詩音です。奏音の息子です」


 僕がそう言うと、ささっと食べ終わった松さんが立ち上がってこちらに近づいて来て。


 ――ぐわし。


 そんな音がなったんじゃないかと思う程、大きな手のひらで頭を撫でてくれた。

 今まで見た人の中で一番大きいかもしれない。

 でも、目がとても優しいから、怖くない、不思議なおじいさんだった。


「こらこらっちゃん、詩音くんが怖がっちゃいかんよ。それにしても利発そうな子だ。うん、奏音ちゃんは、心配していたけれどちゃんと母親だったみたいだね」


「うんうん、それは僕も思ったよ。なぁ源ちゃん」


 竹さんがそう笑って、梅さんもそう朗らかに続く。

 それにムスッとした顔で、でもとても機嫌がいい空気を出しているおじいちゃんが肩をすくめて答えた。


「詩音はいい子だが、奏音がどうだったかはわからん」


「またまたそんなこと言って。ずっと心配してた孫娘が更に息子をこんなによぉ育てとんだから、良かったじゃねぇか。まぁ、色々わからんことだらけなんだろうがよ……なぁ、詩音、母ちゃんは好きか?」


 松さんが、がはは、と笑いながら、僕にそう聞くのに頷く。


「うん、大好き。それにね、さっき楽さんにも言ったんだけれど、お母さんも僕も牛丼も好き」


「そうかそうか、奏音のやつは、あまりメシ作りは得意じゃなかった気がするけどなぁ」


 それに松さんが更に答えてくれて、竹さんも梅さんも、それにおじいちゃんも首を縦に振って、僕はこの人たちは皆お母さんのことを知ってるんだなと思って、どこか不思議な気持ちになった。

 僕が知らない、お母さんを知っている人。


 そして、それを口に出すと。


「あぁ、そりゃなぁ。お前の母ちゃんがこーんなにちっちゃい時から知ってるからな」


「いやいや、俺らが初めて源ちゃんが忘れ形見たちを見つけて引き取ってきたって会った時、奏音ちゃんはもう高校生に上がるとこだったろう? 嘘はいけないよ」


「ふふ、詩音くん。何にしても僕らはね、君のお母さんや楽くんが子供の時から見ていてね。孫が増えたみたいに思ってるんだ。だから少しお母さんのことも聞けると嬉しいかもなぁ」


 松さんと竹さんがそう言って、梅さんが最後におじいちゃんの方をちらっと見ながらそんなことを言った。

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