私はその色をニャンと呼ぶ

ふぃふてぃ

私はその色をニャンと呼ぶ

 人間は線引きが大好きだ。


 此処からココまでが自分のもの

 そこに生えた木々も自分のもの

 空き地は何処か知らない人のもので

 線が引けなきゃ国のもの


 時には線の引き方に揉めて

 線を引き直す

 そのためには殺し合いも辞さない


 縄張り意識の高い動物には何度も出会ってきたが、人間ほど傲慢で浅ましい動物はいない。あの人を除いては。


 私がまだキナコと呼ばれる前の事。その人は私をタケシと呼んでいた。

 いつも、引いた線の内側で暮らす人であったが縄張り争いは好まず、むしろ入って来た者達を大いに歓迎した。


 お茶と煎餅が好きな人で、誰彼構わず縁側にあげては茶菓子を振る舞った。そして、それ以上に、おしゃべりが大好きな人で朝から晩まで喋っていた。


 時には虫にまで話しかける人だから、私は格好の喋り相手にされていた。


「おい、タケシ。また来たのかい。飯の催促ばっかしやがって。意地の汚い子だね。爺さんにそっくりだ。お前は爺さんに似て不器用で甲斐性が無いんだから、あたしが居なくなったら、選り好みせず誰かに飼ってもらいな。いいね、解ったかい」


 いつものように縁側に座りこみ、熱心に私に話しかけている。遠い目をしていた。私と同じガラス玉のような目だった。太陽が正中からやや傾き出した昼下がりだった。


 私をタケシと呼んでいた人は、本物のタケシの元へと旅立った。



 人間は線引きが好きだ。

 人間は人間にも線を引くから面白い。


 年齢35歳以上はカット

 年収500万以下はカット

 身長165cm以下はカット


 大卒以上、長男以外、正規雇用

 カットにカットを重ね、切り刻む。


 人間は求めることに夢中で、求められようと必死で、人の顔色ばかりを覗きこむ不思議な生き物だ。


 しかし、本当に面白いのは、こんなに線を引くのが好きな人間でも曖昧なものには無頓着なことだ。

 素敵な音色も色彩もまるで解っちゃいない。あの人を除いては。


 私がまだタケシと言う名をもらう前の事だ。その人は私をモネと呼んでいた。黄色が好きな人だった。


「なんだ、また来たのかい。俺のところに来ても残り物しか無いぞ。モネ、綺麗な毛艶だ。オマエが居てくれると絵が締まるな。なぁモネ、オマエには世界がどう見えてる?」


 太陽が正中から、やや傾き出した昼下がり。


 一言で言えば木漏れ日。木々の隙間を淡い光の粒が降り注ぐ。

 私は彼の膝の上。優しく撫でられ、その気持ち良さに「にゃん」と溢れた。


「君には、この世界が見えるんだね」


 彼は、またキャンバスに目を向けて絵を書き出している。鋭利な刃物で紙を引っ掻き、淡い光の粒を表現している。


「君なら、この色を何と言うのかな?」

「ニャン!」

「そうか、ニャンか」


 私はその時知った。絵の具だけでは表せない色があることを。青赤、そして黄色を混ぜても、その時の心地よさは作れない。そして、その優しさを永遠に味わうことは出来ない。



 人間は線を引くのが大好きだ

 時には非道なまでキッチリと

 時には曖昧模糊に朧げと


 今の私にとって、このケージの中が人間との線引きであり、絶えず流れるテレビの色彩と音色が、世界との境界線となっている。


 太陽が正中から傾き始めている。


 私はこの温かな赤の線の先の色が好きだ

 私はこの刺激的な青の線の先の色が好きだ


「ママ!キナコが。お部屋から、キナコが出て来た。お外見てる」

「ずっとお外に居たからね。でも窓は開けちゃダメよ」

「わかった。おそと、メよ。きいてる。ねぇ。どこ見てるの。ねぇ、キナコってばぁ」


 私は今の主人の問いに「ニャン」と答えた。








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