駐妻Primavera
じこったねこばす
駐妻Primavera
「すみません、子供を預けていて遅れました」慌てながら林加奈子が店に入った時には、彼女の席以外に空席はなく、一瞬にして加奈子は「やってしまった」と暗澹たる思いに包まれた。M銀行上海支店駐在員の妻たちのランチ会は浦東新区にある会員制高級イタリアンPrimaveraで催されていた。
ランチ会の主催者はM銀行中国現法の頭取で、M銀行常務・堀川の妻だった。店内はどこで誂えたのかわからないハリーポッターに出てきそうな長い机が所狭しと3つ並べられ、堀川妻は入口から最奥のテーブルの真ん中に鎮座し、その両脇をジャバザハットとスネ夫ママを具現化したような女達が固めている。
「さあ。みなさんお揃いになったことですし改めて乾杯しましょう」と堀川の妻が言うと、その大きな体からは想像もつかない敏捷さでジャバザハットが立ち上がり、「みなさん、お立ちになって」と一同に起立を促した。堀川妻は全員が立ち上がるのを見て「今日という日に乾杯」と席に座ったまま発声した。
加奈子の周辺の妻たちは、誰に指示されたわけでもないだろうに、堀川妻の発声を聞くやいなや、堀川妻に向かって高らかにシャンパングラスを掲げ「カンパーイっ!」と地声からは2オクターブ以上高く、実年齢から最低10歳は若作った声で乾杯に応じた。この光景は外資証券出身の加奈子には異様に映った。
すると、唐突に横の席に座る駐妻が加奈子に「林さんは中の人?外の人?」と声をかけてきた。加奈子は何のことだかわからず、またなぜ私の名前を知っているのだろうと訝しがりながらこの下ネタのような質問を投げかけてきた駐妻に向かって精一杯の笑顔を作り「え?どういう意味ですか?」と聞き返した。
「あら失礼。林さんご自身が銀行出身なのかって意味よ!」どうやら加奈子自身の性感帯を聞いてきたわけではないらしいことに加奈子は安堵しつつも「ああそうか」とこの駐妻からの質問の意図を理解した。この人は私自身をExcelフィルタで分類しババアの勝手な手法を以て降順で並び替えるつもりなのだ。
行内結婚なのか否か、総合職か一般職か、外国語ができるのか、子供がいるのか。そしてこの女たちにとって何よりもの優先並び替え条件は「夫の行内での役職・地位」だということに加奈子は気づいてしまっていた。「会に遅刻してくるからきっと外の人なのかなって思って」・・やはりそうだった。
加奈子が周囲を見回すと、ジャバザハットの周りで動きがあった。ジャバのすぐ横で泣きそうな顔をしている駐妻がいる、上海支店の最若手行員、鶴岡の妻だった。銀行駐妻カースト最下位にもかかわらず、ババア相手に最大の自爆行為である「若さ」を押し出した大きなリボンを頭に乗せて俯いている。
場違い極まりない、まるで夢の国のメスネズミのようなリボン。関西出身で遠慮のない加奈子の脳内には『あの子の脳みその大きさがミニー』とのキーワードが踊る。「あなたがお客人やないねん、最若手なんやからあなたが率先して動かなアカンねん」ミニーを叱責するジャバの聞こえる。堀川妻は満足気だ。
ふと加奈子は不思議に思った。いかに日本の大銀行の役員夫人とはいっても、堀川妻は駐在員が帯同しているいわゆる駐妻であるにもかかわらず、堀川妻が移動する際には必ず銀行の車と運転手がついており、高級レストランの会員にもなっているなど、日本の銀行には開けてはいけない箱があるようだ。
旦那の威光を借りて権威を振りかざす女、風速50メートルの先輩風を吹かす女、自分の位置付けを探るため周囲に梨元勝のような質問を繰り返す女。狭い駐妻の世界であだ花のような女たちが狂い咲く。Primavera、春。
おしまい
駐妻Primavera じこったねこばす @funniest_catbus
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
まわるPDCA/じこったねこばす
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
はげちゃいな/じこったねこばす
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます