第4話 口裂け女さん
「テケテケおじさんだって。何これ。ウケるー。怪異じゃなくてただの中年親父じゃんねぇ。足もあるし。教会で手懐けてマスコットキャラにしちゃえばいいよ。底辺くんもそう思わない?」
資料に添付されていた写真を見て杉浦は手を叩いて笑う。京介は彼女のように笑えずにいた。
京介はテケテケおじさんの資料が入っているタブレット端末を渡されていた。指で画面を操作して資料を読み込んでいく。
テケテケおじさんが写っている画像が添付されていた。画像には中年男性が写っている。街中ですれ違っても違和感のない普通の顔つきで中肉中背のジャージ姿のハゲたおじさんだった。
……確かにテケテケのくせに足がある。こいつがテケテケおじさんか。そもそも怪異に見えない。
「杉浦様。笑いごとではありませんよ。怪異の力は多くの人間に存在を認知されることで強まります。テケテケおじさんの存在が表の世界の一般人にまで知られつつある今、杉浦様が出張らなければならない程、その怪異は凶悪に成長しております」
車のハンドルを握る西村が、ちょっと語気を強くした。
怪異を秘密裏に祓うのは、噂が広まれば広まるほど、脅威度が上がるからだ。霧島もテケテケおじさんを知っていた。脅威度や危険性はかなり高まっている。
「知ってるけどさぁ。だってこれ、普通のおじさんにしか見えないしさぁ」
杉浦は変わらず軽く答えた。
「二週間ほど前、教会に所属する怪異祓いの精鋭百人からなる討伐隊を編成しましたが、半数が返り討ちにあいました。もう半数も病院行きです……。死ななくても怪異祓いは引退でしょう」
杉浦は無感情にに「へぇ」と呟き眉を顰めた。隣に座る杉浦が無機物の何かになってしまった、そんな錯覚を京介は覚えた。
「精鋭ねぇ。それにしては教会側の損害が多すぎない? ひきこさんより死人がでているじゃん」
「野口様が集めた精鋭です」
「うぇ。あの人は口だけだから信用しちゃダメって言ったじゃんよー」
口調はいつもの杉浦であるが、険のある声色だ。こんな声も出せるのか。京介の背筋がゾクっとする。
「返す言葉もございません」
杉浦は舌打ちをすると、真面目な顔をして手元の資料に視線を落とす。杉浦は紙の資料だった。足を組み熱心に資料を読み始める。真剣な眼差しだ。
「あの、学校の先生も噂としてテケテケおじさんを知っていました。今日、気を付けるようにって注意されたところです」
「……教会お得意のメディア統制はどったのよ」
「最近はスマホの普及で、テレビ局を介さずに怪異の目撃情報を画像つきでSNSへ投稿して噂を流布できます。実際問題、SNSの統制は教会ではまだ難しいのです。既存のメディアを統制して、爆発的な怪異の噂の広がりはかろうじて防いでいますが、それがいつまで持つことか」
西村は答えた。
スマホのカメラ機能があれば、誰も彼もが報道記者になれる時代だ。怪異なんてSNSで人気爆破しそうなネタがあれば、誰だってSNSへ投稿してしまうだろう。
京介は「確かに」と呟く。
杉浦が小声で「ねぇ、SNSってなに?」と尋ねてきた。その瞳は純粋に澄み、好奇心で輝いている。
SNSとして有名どころである写真投稿サイトや短文投稿サイトの名前をあげる。杉浦はそれらの存在を知らなかった。「なんそれ? いやぁ聞いたことねぇな」とのこと。あまり興味はそそられなかったようだ。
杉浦さんは旧式のガラケーを使用していたんだったな。スマホのほうが便利なのに。
「杉浦様もそろそろ、スマホへアップグレードしなければなりませんな」
「トモモは人類最後の一人になるまで、ガラケーを使う呪いにかかってるから無理ー」
話が脱線し始めている。そう思った京介は咳ばらいを一つして、テケテケおじさんの話題に戻す。
「……それで、杉浦さんにテケテケおじさんを祓えと」
「違うよ、底辺くん」
「違う?」
「そう。あたし達、二人でテケテケおじさんを祓うんだよ」
杉浦はウインクをして、指を振りながら訂正した。本人はそんなつもり無いだろうけど、京介は杉浦のドヤ顔に少しイラっとした。
「話が逸れるのでちょっと黙ってください……」
「ごめーん。怒った?」
杉浦が京介の顔を至近距離で覗き込み尋ねた。眼帯で隠れていない左目が不安で揺れている。
うわ、杉浦さんの睫毛が長い……。京介は間の抜けた発見をした。
演技なのか、演技じゃなくても、そんな表情をされると怒るに怒れない。
「怒ってませんよ……」
「ならよかった」
んーあれー? 演技だったのか? あれー?
杉浦の機嫌がなおったところで、京介が再び話を本題に戻す。
「西村さん。テケテケおじさんと普通のテケテケって、何か違うのですか?」
「あ、それ、あたしも気になるー。テケテケおじさんには足があるよね。テケテケって下半身がない怪異じゃん」
「資料に添付してある動画をご覧ください。杉浦様にもシェアしていただけると」
「あ、はい」
京介はタブレットを操作して、『テケテケおじさん動画一』というタイトルの動画を開く。杉浦は動画を観るために京介にひっつく。甘い香りが鼻腔をくすぐる。
再生ボタンを押す。動画が再生された。テケテケおじさんの走る姿が映っていた。
「わぁお。アニメみたい……」
すぐに杉浦が呟いた。京介も同じ感想を抱いた。ナンバリングされた動画をすべて観終わり、杉浦と京介は顔を見合わせる。
「テケテケおじさんって、あまりにも速い速度で足を動かするから、下半身が見えないんですね……。昔のギャグ漫画ですよ、こんなの」
「そのとおりです。教会はこの怪異をテケテケの亜種と認定しました。テケテケおじさんには、独自の能力と原種のテケテケから継承された能力もあります」
「テケテケってなんか能力あったっけ?」
杉浦は自分の資料をめくりつつ、西村に尋ねた。
「被害者の画像をご覧ください」
画像には怪異祓いの腕が写されていた。痣ができるほど強く、腕を握られたようだ。
資料に添付されている次の画像を見ると痣を中心に皮膚が徐々に腐敗していた。最後の画像では、腕すべてが黒くなっている。どうやら壊死している。
……うぇ、グロ。
「グロ。腕が腐ってんじゃん」
「テケテケおじさんが、原種のテケテケから継承した能力です。背後からテケテケおじさんに突っつかれたり、手で掴まれると、その部分が腐ります。病院行きになった討伐隊の生き残りも、何人かが腐敗が原因の敗血症で死亡。残りは手足を切断し一命をとりとめました」
うへぇー。テケテケおじさんと接近戦主体の僕の相性は最悪だな。でも、幸運なことに杉浦さんは遠距離攻撃ができる。今回、僕は何もせずに賞金をゲットできるのか……。杉浦さんに夕ご飯くらいは奢ってあげますかな。
「へぇー。テケテケって、下半身が無い死にかけの怪異かと思ってた。それで、西村さん。テケテケおじさんの独自の能力って何?」
「追ってくるテケテケおじさんに捕まると、異界に連れていかれるか、学校の教室へ連れいかれる、というものです」
「異界っていうと怪異の住処の異界?」
「さようです」
「そんなとこ連れて行かれたら死んじゃうじゃん。あと、教室ってどういうこと? 意味がわかんないだけど」
西村は咳払いをして、「整理しましょう」と話し始めた。
「テケテケおじさんは、放課後の学校の廊下に現れる怪異です。廊下を走っている者の後ろに現れ、追って来るのです。追ってきたテケテケおじさんに捕まると、異界へ連れていかれるようです。または、廊下へ出る前にいた教室へ連れていかれるようですね。つまり振り出しに戻されるのです」
死ぬか、振り出しに戻されるか……。意味がわからん。
「つまり……二分の一で即死ってこと。ん、あれ? 掴まれても体が腐敗するから追いつかれたら死ぬのか」
「そのとおりです。討伐隊の半分は綺麗さっぱり消され、半分は体の腐敗に悩まされております」
「ふーん。テケテケおじさんに捕まらず廊下を走る必要がある……。じゃあ底辺くんの出番だな!」
杉浦は親指を立てた。無邪気な表情には、期待の色も混っている。杉浦は冗談抜きにして、京介に期待をしているようだった。
なぜ、昨日会ったばかりの足手まといにここまでの期待をかけるのが、わからない。不可解だったけど、不愉快じゃなかった。不愉快と思わせない何かが杉浦にはある。
ただ捕まったら死ぬ、か。面白いくらい分の悪い賭けだ。
「……なにか作戦はありますか?」
「テケテケおじさんには、あまり小細工は弄さない方がいいかと。舞台は一直線の廊下。その端から猫町様が餌として杉浦様に向かい走ります。そして、現れたテケテケおじさんを杉浦様が狙撃するのが作戦として王道かと」
「……さっき足が速いか、訊かれた理由がわかりました」
接近戦をした時点で僕は死ぬか、教室へのテレポートをくらい、手足のどこかが腐ってしまう。
まったく面白くないけど、報酬だけは馬鹿みたいに良い仕事。でも、やめるなら今しかないぞ。
チラリと隣に座っている杉浦を見た。含みのない満面の笑みを浮かべている。全幅の信頼を京介へ持っているようだ。
うーん。
「猫町様が拒否された場合、私が代わりに走りますので、お気になさらず。人生、前進することが全てではありません。引くことも勇気ですよ。いかがしますか?」
西村はちゃんと逃げ道と選択肢を用意してくれた。杉浦は頷くだけで何も言わない。意見を尊重する姿勢か。京介はごくりと唾を飲み込み答える。
「乗りかかった船です。やります。やりたくはないですけど、僕が走ります。ただ、あの、僕が死んだ場合、妹の桜花ちゃんだけは教会が面倒をみてください」
杉浦が「くしし」と笑う。
「底辺くんは死なないから、安心しなよ」
杉浦がバンと大きな音が立つほどの力で、京介の肩を叩いた。
「絶対に死なせるもんか。あたしがサポートするんだからね。底辺くんは死なない。死なないに、あたしの魔眼を賭けてもいいぜ」
杉浦は黒い眼帯を外す。クーラーが効いている車内なのに冷や汗が頬を伝う。杉浦の醸しだす雰囲気が変わった。
宝石のように美しい魔眼が開眼した。昨日とは異なり、杉浦の魔眼はあまりにも神々しい輝きを放っていた。宇宙から見た地球のような、惹き込まれる魅力と魔力がある。
杉浦の魔眼に迫力があった。空気が一変したのを肌で感じる。京介は鳥肌が立っていることに気がついた。恐怖ではない。畏怖し圧倒されたのだ。
「期待していますよ。杉浦さん」
「おけおけ〜。まかちてー」
反応は軽いままなのかぁ。まぁ、杉浦さんらしくて良いか。
西村は高校の前に車を停めた。京介は「むぅ」と声を漏らす。彼が通っている高校だったからだ。
まさか自分の通う学校にヤバい怪異が棲んでいるとは、怪異祓いとしてどうなんだろうか。間抜けと罵られても反論できないぞ。
三階建ての校舎の一階、職員室には電気がついていたが、他の階には人気がなく、真っ暗だ。太陽も沈み、雰囲気がいい。いかにも怪異が出そうな雰囲気だ。
駐車場には教会の車が何台か停まっていて、西村と同じようなスーツ姿の人々がいた。多分、西村と同じようにサポートをする人員なのだろう。
西村のもとに集まり、立ったまま会議が始まった。
ツンツンと腕を突っつかれた。杉浦だ。深刻そうな顔をしている。
「どうしよう……すごいミスに気がついた」
「え、それはいったい?」
「トモモ可愛いからさ、女子高生と間違えられたらどうしようかなって……。学校の制服を取り寄せてから、再度アタックしたほうがいいんじゃないかな。どう思う?」
杉浦がわけわからないことを心配し始めた。彼女が制服を着ていたら、女子高生と間違えるとは思う。そこらの女子高生より可愛いだろう。それを認める。ただ認めるとまた調子にのりそうだから明言を避ける。
「何言ってるんですか。そんな鉄砲を持った物騒な女子高生が、いるわけないじゃないですか」
「くしし。素直じゃないわねぇ。トモモ可愛い! キュート! ラブリー! って素直に言ってくれていいのに」
「はいはい」
「猫町様、必要な装備品はございますか?」
会議が終わったのか、西村が声をかけてきた。
んー、戦うわけじゃないしなぁ。
トランクの中にはボディアーマーから肘や膝用のプロテクターも用意されていた。すべて手にとってから答える。
「ナイフとかってありますか。昨日、ひきこさんに折られたんです。新しく買うのを忘れてしまいまして」
「それならば……」
「あ! 西村さん待って。底辺くん。ナイフを貸してあげるよ」
杉浦が二人の間に分けて入り、ナイフを寄越す。黒い鞘に入った地味なナイフ。
「杉浦様。そのナイフは……。良いのですか?」
西村の声色がわずかに変化した。気にしなければわからないくらいの変化だ。落ち着いた雰囲気の中に動揺、焦りや混乱を含む声色。
「大袈裟だよぉ。良いの。あたしが持ってるより師匠も喜ぶだろうしねー」
杉浦は自分に言い聞かせるかのように言って、頷く。
「底辺くん。ちょっとナイフを抜いてみせてよ」
京介は「はい」と言って、杉浦からナイフを受けとる。
それは今まで使っていた物より小ぶりのナイフ。すごく軽い。グリップの具合や杉浦達の話からして新品ではなさそうだ。手に吸い付くような錯覚を覚える。
軽い気持ちでナイフを鞘から抜こうとすると抜けない。まったくびくともしない。
「抜けない……」
思わず声を漏らしてしまった。
わずかに抜けても、すぐに引っ込んでしまう。
なんだこれ? 強力な磁石でも入っているのかと疑いたくなるな。
自力で抜こうとするがびくともしない。
杉浦さんの新しいイタズラか。でも、そんなことするような人じゃないし。多分、おそらく。……そう信じたい。
杉浦は右手で京介の胸を拳で軽く叩いた。視線をナイフから杉浦に向けた。
すごく真面目な顔をしている。ふざけた雰囲気がない。ミステリアスな大人の女性の顔だ。魔眼が鈍く輝く。美しい。
「底辺くん、ここに何かすごい力の何かを入れてるよね?」
「な、え、えぇ?」
咄嗟にとぼけるが、うまくいかない。
「言えない感じ?」
「さ、さぁ〜。なんのことやら?」
「言えないなら言わなくてもいいけど、心当たりはある?」
京介は迷ったが、「まぁ」と頷いた。何が封印されているかまで言えるほど、杉浦を信用する度胸がないから言えない。それに、命の恩人に軽蔑されるのは嫌だ。
杉浦はすぐに満足したように頷き、また、京介の胸を拳で叩く。
「うん。そのナイフは君の腕力なんかじゃ抜けない。でも、底辺くんが胸に封じているモノの力と同期できれば、簡単に抜ける。ひきこさんと戦うときはできていた。君にできないことはないよ」
よく見てるなぁ、というかよくわかったな。京介は関心する。
ただ、切羽詰まらないと胸の中に封じられたモノの力を上手に引き出せない。熱暴走を起こして体が燃えるように熱くなる。今まで力が溢れ出ないようにしていた。
僕に扱えるのだろうか?
ナイフに視線を落とし考える。杉浦が優しく京介の肩に触れる。
「今、焦って抜く必要はないから落ち着いて。でも、底辺くんならできる。期待……していい?」
「……はい」
京介は即答ができなかったが、首を縦に振った。
火炎のナイフと魔眼の射手 宮本宮 @zamaba
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