第2話 火車に殺される
「猫町のさぁ妹さん、相変わらず悪いままなのか?」
担任の霧島歩が、猫町京介へ訊ねる。京介は課題の問題を解く手を止めず答えた。
「悪いままですね。ここ一年、桜花ちゃんはずっと寝たままです」
「保護者は……おばあちゃんだっけ。金銭面とか頼れないのか?」
「そうですね」
「言いにくいなら先生からも話すぞ。猫町みたいのはヤングケアラーっていって、社会問題になってんだぜ」
「はぁ」
「『はぁ』じゃなくてよぉ。なんとか支援を受けられないのか?」
「祖母も体が悪いし、年金暮らしです。これ以上は迷惑かけられません。大丈夫です。お金はバイトで何とかします」
「しますって……。お前なぁ。バイトで疲れてよぉ、授業中に昼寝してテストで全教科赤点。おかげで今は補習で夏休み中に学校へ来ているんだぞ。できてねぇじゃん」
「そうですね。まったく情けない」
「情けないって……。エースだった陸上部も相談なく辞めやがって。確かインターハイの直前だったろ?」
「はい」
「おかげで内申点がボロボロだ。今のままじゃ卒業、いや進級すらヤベェんだけど、マジで」
霧島は熱血タイプの教師ではなく、ダウナータイプだ。ダウナーな立ち居振る舞いをするが、姉御肌で面倒見が良く平等で熱心だ。そう見えないのが玉に瑕だ。
京介は霧島を教師として信頼している。
課題から顔をあげ京介は、霧島を見る。霧島がかける眼鏡越しに見える、彼女の死んだ魚のような目と目が合う。なかなか迫力がある。
霧島はペンを口に咥えていた。煙草を吸わないくせに、ペンをタバコのように口に咥える変な癖。
無意識にペンを咥えていたのだろう。京介の視線で気がついて、ペンを咥えるのを止める。京介は答案用紙を霧島に渡す。霧島は採点をしつつ、言った。
「ペンを口に咥えるのは悪癖なんだよ、小さいときからの」
……今でも態度以外は小さいんだよなぁ、と思ったが口には出さない。
霧島は貧相な子供のような体型をしている。背も低い。なにも知らないと、彼女は大人ぶっている子供のようにしか見えないだろう。
それでも彼女は大恋愛の末に、幼馴染と結婚しているくらい、内面は魅力的な女性だ。それは京介も間違いないと思う。すごく魅力的な先生だ。口は悪いけど。
「猫町、お前は子供だ。そして馬鹿じゃねぇんだから、少しは大人を頼れ。別に先生を頼れってわけじゃない。絶対に頼れて甘えられる大人を最低一人、一人だけでいいから見つけろ。これが猫町にだけに出す、夏休みの特別課題な~」
「頼れる大人かぁ……」
馬鹿な面をしてふざける杉浦が頭をよぎる。なぜだろう? この一年、頼れる人なんて誰もいなかった。今、なぜ杉浦が頭をよぎったのだろか。
でも、彼女にはもう二度と会うことはないと思う。雲の上の存在である杉浦が、京介をかまう理由がないからだ。だから、彼女を頼れる大人の一人にするのは無理だった。
だいたい杉浦は、昨日、たった数時間だけ会話をした相手。年上だからといって、京介が頼るなんてことは杉浦にとって迷惑以外のなにものでもないだろう。
「はい、合格点。はなまるをあげちゃう。じゃあ、猫町。補習お疲れさまでした。明日から楽しい夏休みだな。最近、変なのが出没してるから、気をつけて夏休みを楽しんでください」
「変なの。それはたとえば、……死ぬまで引きずり続ける殺人犯とかですか?」
「ちげぇし。そんなの出たら、テレビ局がもっと来とるわ。つーか、死ぬまで引きずり続ける殺人犯なんてものをすぐに思いつくのが、こえぇよ。なんだよそれ。殺伐とし過ぎだぞ、猫町。本当に大丈夫か?」
霧島は青い顔をして京介を見る。ちょっと怯えているようだ。彼女の身なりからして子供をいじめているようで、背徳感がある。
霧島の話ぶりからして、昨日に祓った怪異関連というわけではないようだ。怪異関連の被害は教会が隠蔽するし考えすぎか、と安堵する。
出席簿の角で自分の頭をコツコツと叩き、霧島は出没する変なのを思い出そうとしているようだ。京介は荷物を鞄にしまいながら、霧島の言葉を待つ。
「なんかなぁ、下半身のないオッサンが学校とその近辺に出没してっから気をつけろって連絡が回ってきたんだよ。下半身がないってマジシャンみてぇだな? えーと、なんつったかなぁ、トコトコ……トボトボだっけ」
「はぁ……」
「……お前、今馬鹿にしただろ?」
「してないです。してないですけど、それって学校の七不思議とかに出てくる怪異の『テケテケ』のことですか?」
「おー。そうそう、そうだ。テケテケだ。テケテケおじさん。なんかそういう変質者が出没したって話だぞ。今は消されてるけど、SNSに動画もあがって少しバズってた。テクテクおじさんに気をつけろなぁ」
……テクテクおじさんって言った。興味ないことはすぐに忘れる人だ。突っ込むと怒るから胸にしまい込む。
テケテケが出たのか。あとで教会の掲示板を確認しよっと。
京介の後について霧島も教室を出た。職員室へ向かう霧島と昇降口へ向かう京介は反対方向に向かう。ここでお別れ。夏休みが終わるまで彼女に会うことはないだろう。
霧島の背中へ向けて、京介は言った。
「学校に出没するなら、先生もテケテケおじさんに気をつけて夏休みを過ごしてください」
「おー。そんなん出たら、旦那に守ってもらうわ〜」
霧島は振り返らず、片手だけあげて応じた。
先生に軽く惚気られた!
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