火炎のナイフと魔眼の射手

宮本宮

第1話 八月の夜

 うだるような暑さの八月。新月の夜だった。月明かりがないが、都内では電灯が多くて明るい。どこの家も窓は閉め切られていた。きっと誰も、今日が新月だということにすら気づかないだろう。

 今日なら会えるかも。

 猫町京介には確信に近い予感があった。これ以上先へ向かうのは危険だ。第六感が引き返すように警鐘を鳴らす。肌に粟がしょうじる。この感じ、間違いない。

 異界だ。怪異が作る異界に迷い込んだぞ。

 ずるずると何かを引きずる音が聞こえた。京介は足を止める。

 京介の前を、子供の残骸らしきものを片手でずるずると引きずって歩いて来た女にふさがれた。京介は女を見上げた。

 背が高い。違う、首が長いのか……。

 京介はチビではない。女の首が異様に長いのだ。

 女の顔は目がつり上がり、耳まで口が裂けている。顔中を掻きむしったのかミミズ腫れが爛れて酷かった。瞳は腐った油のように淀んでいる。片手には引きずられて片足し以外原形をとどめていない子供の残骸。

 教会の掲示板にあったとおりの容貌だ。

 間違いない。こいつが都市伝説の一つに数えられる怪異、『ひきこさん』だ。

 ようやくお目当ての怪異に出会えた。

 ひきこさんの容姿端麗だったことが周囲の恨みをかいいじめられ、その恨みが人間を呪う怪異と化したものだ。怪異となったひきこさんは、いじめっ子の子供を捕まえては、子供がボロボロに崩れるまで引きずり回し殺す、人間に害意を与える危険度の高い怪異だ。

 ひきこさんは顔を近づける。

 興味がなくなったのか、残骸になり果てた子供の残骸を捨てた。京介はチラリと子供の遺体に視線を向けた。心の中で手を合わせる。

 ひきこさんが子供を捨てたということは、次に引きずり回す獲物を見つけた。京介が次の獲物だ。

 京介にひきこさんは尋ねる。

「私の顔は醜いか?」

「綺麗ですよ。うん、綺麗だと思います」

 京介は嘘をついたわけではない。ひきこさんは美人な容姿を周りから僻まれて生まれて怪異だ。きちんと手入れをすれば綺麗なのである。

 しかし京介は、自分は何を言っているのだろうと後悔した。

 本来は「醜い」と即答しなければならないのに。なに綺麗だと口を滑らせているのだ。

 ひきこさんは、京介の答えを聞き、すぐに顔を真っ赤にしてわなわなと震え、怒りはじめる。地面を何度も踏みつけた。アスファルトにひびが入る。

「噓つき、噓つき、噓つき! お前は私を醜いと思っている。噓つきは引きずって殺してやる!」

「……えぇ」

 ひきこさんは自身を醜いと言った相手に対して、害を与えるという怪異だ。

 京介はうっかり綺麗なんて言ってしまったから、どうなるものかと思ったが、幸いなことに状況は京介の望む展開になった。

 これで、まぁ、心置きなくひきこさんを祓うことができる。

 ひきこさんは、京介に手を伸ばした。

 その手は、たまらなく嫌な気配がする。一年前に感じたことのある濃厚な死の気配だ。京介はひきこさんの手を叩いて払おうとしたが、びくともしない。後方に飛びのき、ひきこさんとの間合いを取る。

 京介はひきこさんの近くに転がる子供の片足の残骸を見る。一度でも彼女に捕まったら、ああなってしまう。確信めいた予感。相手は本気でやる気だ。京介なんて彼女にとっては、立ち向かってくる馬鹿な獲物、もしくは手で払いのけられる羽虫程度にしか思われていない。

 相手が本気を出す前に祓わないと、引きずられてズタボロになってしまうだろう。

 胸の奥がイヤなほど熱くなる。八月のうだるような暑さも気にならない程、胸が熱い。燃え盛った火の玉を飲み込んだようだ。

 腰にさしていたナイフを抜く。頑丈だけが取り柄の軍用ナイフだ。ナイフを抜いたからといって、ひきこさんとの力の差は歴然だ。まったく怯む気配はない。

 威嚇にもならないか……。

 ひきこさんはまた、無造作に京介を掴もうと手を伸ばす。京介はナイフで手を払う。確かに彼女の肌を切り裂いたつもりだが、薄皮一枚くらいまでしか切り裂けてなかった。傷口から血の代わりに、青い鬼火がわずかに出る。

 絶大な効果ではない。人間相手なら今の斬撃で骨に刃が到達する。ひきこさんは不愉快そうな顔をして、傷口を撫でている程度の傷。ただ、まったく無意味というわけではない。京介は安堵した。

 ひきこさんは足を引きずり、京介との間を詰めてきた。足が悪いのだろう、彼女の動きはとても遅い。

 京介はひきこさんとの距離を一定に保ちつつ、考える。

 僕が唯一ひきこさんにまさっているのは、移動速度くらいか。時間をかけてちくちくナイフを刺していけば、勝てるかもしれないな。忌々しいことに僕はスタミナだけはあるから、先に折れた方が負けの根気の勝負になるな。

 ひきこさんの攻撃方法は単調だった。とにかく京介を捕まえようと手を伸ばすだけなのだ。ひきこさんの伸ばした手をナイフで払い、隙だらけの体をナイフで刺す。悔しいことに彼女には致命傷をつけることができない。

 しかし、一つわかったことがあった。ナイフで切るとそこまで大きな効果がない。薄皮一枚しか切れない。一方、ナイフで刺すと想像以上に深く刺すことができる。

 密着して、怪異の弱点である心臓を全力で突き刺せば、勝てるかもしれない。

「早く、早く、早く、引きずらせろぉぉおおおぉ!」

 ひきこさんは叫び声をあげた。顔面を両手でガリガリとひっかき、血の代わりの青い鬼火で顔を焼く。

 いきなり激高し、京介の集中力がわずかに乱れた。ひきこさんは縮こまると、目にも止まらないスピードで突進してくる。自分の速さにひきこさんが追いつけないと、すっかり油断していた京介は、彼女の突進に反応がわずかに遅れた。

 しまった!

 ひきこさんの全体重が乗ったタックル。京介は呻き尻もちをつく。肋骨が痛い。うまく息ができない。だが、今は自身の体の心配する状況じゃなかった。ひきこさんを見失った。背後から声がかかる。

「嘘つきは、引きずりの刑だあぁぁああ!」

 京介が振り返るより早く、彼の足をひきこさんが掴んだ。

 足の骨が折れるのかと思うほどの握力。骨が軋む。骨ごと握りつぶす気か? 京介はあまりの痛みに悲鳴を上げる。

 ひきこさんはつり上がった目を細めて、京介を片手で軽々と持ち上げた。逆さまになったひきこさんの顔が見える。新しい玩具を見つけた子供のような楽し気な表情みたいに歪んでいた。京介は気力を振り絞り空元気を装うために笑ってみせた。

「嘘つき嘘つきって、僕は本当のことしか言ってないぞ。馬鹿野郎!」

 京介は握られ固定された足を支点にして、振り子の要領で反動をつけ全体重ごと、握っていたナイフをひきこさん心臓へ向け突き刺した。予定とは違うかたちだが、ひきこさんに密着することができた。

 あとは心臓をナイフで突き刺し、怪異を祓うだけだ。

 ナイフは深く突き刺さる。骨に当たる感触がした。踏ん張ることができない。腕力で無理矢理、ナイフを刺しこむ。肉に刃が食い込む嫌な感覚。骨にぶつかり刃が押し戻され焦る。

 胸の奥に封印された力まで使う。熱が湧く。全身が炎に包まれているのではというイヤな錯覚。ナイフが骨を砕き、さらに奥へ突き刺さっていく。

「きひぃぃいいい!」

 ひきこさんは悲鳴を上げて、京介を地面に数回叩きつけた。数度、アスファルトへ激突した。ナイフが鈍い音をたてて折れた。猛烈な痛みに京介は呻く。もう帰りたい、と思いながら京介はひきこさんを見る。彼女は楽しそうだった。

「引きずりがいがある頑丈さだぁ。素敵」

 ナイフで刺した傷口から青い鬼火が漏れている。早く追撃をしなければ、すぐに傷口は塞がってしまうだろう。武器はもうない。ひきこさんはまだまだ元気そうだ。だったら、どうすればいい……。どうしよう? 手札がない。

 ビクッと京介の体が反応する。鳥肌が立つ。

 また濃密な殺気を感じたからだ。殺気の根源を目で追う。ひきこさんからではない。この怪異が発する殺気なんかよりもよっぽど強大で恐ろしさを孕んだ殺気。

 ただ、この殺気には覚えがあった。

「ギャアアアアアアア」

 ひきこさんが突然、悲鳴をあげた。胸に大穴が開き、彼女の後ろの風景が見える。ひきこさんの胸の鬼火めがけて、誰かが銃撃したのか?

 今度はひきこさんの顔に穴が開く。最後に、なおも京介を掴んでいたひきこさんの腕が吹き飛んだ。

 京介は再びアスファルトに激突し地面を転がった。青い鬼火に焼かれて燃え尽きる、ひきこさんなんかには目もくれず、彼は強大な殺気が向けられた方へふたたび視線を向けた。

 殺気の残滓が残っている。ズキズキ体中が痛いが、そんなことかまっている余裕はなかった。殺気の根源に向けて、京介は走った。

「ふざけんな。ひきこさんの賞金は僕のものだ。横取りされてたまるか、たまるものか!」

 京介は怒鳴った。




 とあるビルの屋上。イライラする気持ちを抑えて全速力でビルまで駆け、屋上へと駆け上がる。このビルにいる。あの殺気の残滓はこのビルから放たれている。そう予感に近い確信が京介にはあった。

 屋上には一人の女性がいた。八月だというのに、そいつは上質そうな黒色のメンズスーツをまとっていた。二つボタンのジャケットまで着ている。

 すごく暑そうな服装だ……。

 京介の存在に気がついたのか、そいつは驚いたような顔をした。すぐに余裕のある笑みを浮かべる。

 女か?

 女性は右目に黒い眼帯をしているが、整った目鼻立ちをしている。髪型は肩にかかるくらいの三つ編みのおさげだ。

 十代後半か二十代前半だろう。

 髪型と自己主張の激しい胸だけが、彼女の女らしさに思えた。

 京介は息をするのを忘れ、彼女のわずかな女性らしさに見惚れてしまっていた。油断するまいと思ったのに、すぐにこれだ。

 暗闇の中で輝く女性の目と、目があう。

「面白いね君……なんだいそりゃ?」

 女性は尋ねつつ、ひきこさんを撃つのに使った狙撃銃をばらす作業を再開した。

 胸に封印された物に気がついた? まさか、そんなことはないだろう……。でも、気づかれては面白くない。話を変えよう。

「さっきの怪異は、僕の獲物でした。横取りしないでください」

「あ~観てたよぉ。でも、ナイフも折れて、殺されかけてたじゃん。えっと……名前?」

「猫町、猫町京介です」

「猫町ぃ。あ。……君があの有名な『底辺くん』か」

「そのあだ名やめてください」

「なんで、底辺くんなんて可愛い感じのあだ名じゃん。馬鹿そうで。何が不満なの? お姉さんに言ってごらん~、底辺くん」

「うるさいな!」

 女は京介を馬鹿にするように「きしし」と笑った。

「きしし。ごめんごめん。あたしは『魔眼の射手』こと、杉浦知子。永遠の十七歳でぇす。きゃぴる~ん」

 杉浦はイエーイとピースサインを作り、馬鹿みたいな顔をして自己紹介をした。

 京介は、声には出さず、胸の中で「知ってる」と答えた。

 怪異祓いという、怪異をこの世から祓うことで怪異にかけられた賞金を得ることを職業とする者だ。

 元々は陰陽師や僧侶の専業であったが、戦後の動乱期に裏世界で広まったシノギの一つとなっている。その怪異祓いの世界のトップに君臨する伝説的な人物の一人が杉浦知子だ。

 駆け出しの怪異祓いである京介が、怒鳴っていい相手ではない。

 そして、杉浦は京介の命の恩人。

 杉浦は助けた人間の顔なんていちいち覚えていないだろう。でも助けられた京介は、彼女の顔も名前も匂いも温かさもも覚えていた。

 ……ただ、助けられたときに、もっと冷静沈着な、大人な女性と勝手に勘違いしていた。無意識に崇拝していた。実際の杉浦は、なんか想像する大人の女性とは違う。

 それに十七歳って僕より一歳上じゃないか。それは絶対嘘。黙っていれば美しい大人の女性なのに、なんでいちいち馬鹿みたいな行動をするのだろうか。

 謎だ。

 複雑な感情が胸に渦巻く。

「変な顔をして、どうしたの?」

「なんでもないです」

「え~、きになるぅ。トモモ、心がうさたんだから、気になっちゃうぴょん。ぴょんぴょん」

「とももって……」

「知子だからトモモ。可愛いでしょ。きゃぴるん」

「うっぜ」

 口をついて思っていたことを呟いてしまった。いちいちイライラさせる人だ。

 杉浦さんは僕を試しているのだろうか。わざと怒らそうとしているのではないか。京介の中に、そんな疑念までわいてくる。

 杉浦は馬鹿みたいなことを言っているわりに、狙撃銃の分解は淀みなく進んでいる。頭と身体は別なのかもしれない。ずっと京介を見ているが、手元の狙撃銃は狂いもなく分解されていっていた。

 京介への警戒もといていないようだ。抜け目がない。

 狙撃銃の分解が済んだら、杉浦という雲の上の存在との楽しくないお喋り時間は終わりになるだろう。それまでに、本題に話を戻さないと。変に焦ると言葉が出てこない。

「ねぇ、底辺くん」

「猫町です。猫町京介」

「うん。底辺くんは、なんで君はそんなに怒っているの?」

 あなたがふざけてケンカを売ってくるからです。という言葉をぐっと飲み込む。

 それは本題じゃない。

「ひきこさんにかけられていた賞金を、あなたに横取りされたから、僕は怒っているんです」

「なんだ、そんなことかぁ」

 杉浦は分解した狙撃銃をバッグにしまうと、人懐っこい笑みを京介へ向けた。 

「だったら、賞金は七、三でわけようぜ」

 杉浦は、スーツのポケットから紙パックのジュースを取り出して、ストローをさして飲む。

 ひきこさんにとどめを刺した杉浦が七。京介は三。

 正直、賞金の三割ももらえれば、妹の桜花の治療費用を今月も支払うことができる。

 ひきこさんを一人では祓うことはできなかったのだから、杉浦の提案に乗るのが正解。交渉の余地はない。それはわかっている。

 だが……。

 京介はダメもとで杉浦に交渉を持ちかける。

「な、なんでもしますから……賞金の四割をいただけませんでしょうか」

 杉浦は不思議な顔をして、小首を傾げた。

 当然だ。当然の反応だ。価格交渉の余地なんて初めからなかったのに、僕は欲を出したばかりに……。

 京介が自己嫌悪に陥っていると、ぽんと手を叩き杉浦が笑った。

「あ~ごめんごめん。あたしが三だよ。底辺くんが七ね。本当は全額あげてもいいんだけど、経費分だけちょうだい。赤字は嫌なの」

「え、いいんですか?」

「底辺くんのおかげで、ひきこさんを探す手間が省けたからね。ブイブイ」

 杉浦は左右に頭を揺らし、紙パックのジュースを飲む。何か思いついたのか、人を馬鹿にするような笑みを浮かべた。

「あたしが六割で、君が四割でもいいけどぉ?」

「七で。僕が七でお願いします!」

「ふっふーん。了解了解。あ、でも、底辺くんがなんでもいうことを聞くって提案は魅力的なので、それを条件にしまぁす。異論は認めませーん」

 欲を出したばっかりに、杉浦に変な条件をつけられ、契約を結ぶことになってしまった。この条件を飲まないと、賞金の七割をもらえることができない。京介は「はい」と頭を下げた。

 しかたない。桜花ちゃんのためだ。

「あと、約束を破らないように誓約書を作るね」

 怪異祓いは怪異との戦闘で、簡単に死ぬ。口約束では死後トラブルになりやすいから、契約書を作る。その中で誓約書というのは、怪異祓いが死んでも守らなければいけない血の誓約を記載するもの。

 賞金の分配に誓約書を作るのはオーバーだと思ったが、お金に困っている身分の京介は異論をはさむことができなかった。

 桜花ちゃん関係の今月の支払いはなんとかなりそうだ。

 安堵した途端に、京介の腹の虫が鳴いた。気をはっていて気がつかなかったが、腹の虫はよほど空腹だったのだろう。杉浦の耳にまで腹の虫の鳴き声が聞こえたようだ。杉浦は大笑いをする。

「きしし、ウケる。なに、お腹すいてるの? あたしもお腹すいたー。なんか食べ行こうぜ! 奢るからさ」

「え、いや、そこまでは……」

「遠慮するなって! 誓約書も書いて渡したいし、ついでだよついで。ファミレスでいいっしょ?」

 杉浦は思いついたかのようにその場でくるりとまわり、甘い声で誘惑するように続けた。

「それとも美少女トモモの手作りがいいかしらん?」

「ファミレスで……」

 京介には、杉浦が料理する姿が思い浮かばなかった。

「きしし。了解了解」




 深夜帯のファミレスには、他に客がいなかった。注文方法がタッチパネル式だから店員の気配もない。料理を持ってくるのもロボットだ。実はこのファミレスは怪異の腹の中で、「お前らはこれから食べられるのだよ」と言われても信じてしまうだろう。

 有線で流れる落ち着いた音楽に耳を傾ける。最近の曲なのだろうが、ゆっくり家でテレビを見ている暇がなく、京介の知らない歌ばかりだった。

 怪異と殺し合いをしていたのに、急に平和な世界で食事をするなんて、自分がこの平和な世界からものすごく浮いた存在じゃないかと心配になる。

 目の前に座る杉浦は、鼻歌まじりでメニュー表を見ていた。この人はどこにいても絵になる人だ。羨ましいな。京介は、杉浦を見てそんなことを考える。

「底辺くん、底辺くん。食べるの決まった? トモモは意識高い系のレディーだからサラダ系を攻めていくね。あ、パフェ。季節限定のおマンゴーパフェがある。やりおるなぁ。おマンゴーパフェは確保! あ! なにこれなにこれぇ。ハンバーガーだと? きみ美味しい奴じゃん。これ考えた奴、絶対馬鹿だね。トモモわかっちゃった。ほわぁ〜、チーズがたっぷりかったこのハンバーグ。グッドですねぇ。ああ、うどんがあるじゃん。うどん定食と海鮮丼。お、餃子もあんのかぁ。食べたい。あとはビール。暑い日はこれで至れる! ビールは食後に持ってきてねぇ」

 意識高い系のレディーはどこいった? おマンゴーパフェには触れないでおこう。見えている地雷を踏むほど馬鹿じゃない。

 あと、ビールを飲むということは、やっぱり二十代前半か。気になる。

「っていうか、杉浦さんって十七歳なのにビール飲んでいいんですか?」

「はぁ? あたしは二十歳だけど……」

 なに言ってんだこいつ、みたいな顔で杉浦は京介を見た。数秒して設定を思い出したのか、続けた。

「あ、違う。のんのん。トモモはぁ、えっと、十七歳と一〇九五日です」

「何言ってんですか」

「くしし。それよりトモモ注文できないから、注文よろぴく」

「めんどくさいだけでしょ……」

 京介は愚痴りながら杉浦の言ったメニューをタブレット端末に打ち込んでいく。自分の食べたい料理を入力して注文した。タブレット端末を元の位置に戻すと、杉浦は思い立ったかのようにどこかに行ってしまった。

 しばらくした後、どす黒いジュースをなみなみとそそいだグラスを持って帰ってきた。最悪なことにグラスは二つ握られている。もう一個のグラスはどぶ川のような色をしていた。

「なんですか、それ」

「特別ジュース。どっちも美味しいよ。たぶん、いや絶対」

「ドリンクバーを混ぜたんですか」

「うん。美味しいから飲んで。あたし、食後にビール飲むから、スペシャルドリンクを二杯も飲みたくない」

「なんでそんなもの作るんですか……」

「儀式だよ、儀式。至るための大事な儀式。一流の怪異祓いはみんなやってるよ」

 京介の問いに杉浦はニッコリと笑った。その笑顔は反則だ。大人っぽい女性がみせるあどけない表情はたまらなく、魅力的に見える。

「嘘ばっかり……」

 京介はどぶ川のような色をしたジュースのグラスを受け取る。コーヒーに混じりメロンソーダのほのかな香りがするのが凄くヤダ。

「それじゃ、お疲れー!」

 乾杯をしてから杉浦はどす黒いドリンクを飲む。

 小声で「まっず」と言ったのは聞こえた。自業自得である。

 杉浦はストローでどす黒いジュースを飲みつつ、誓約書を書き始めた。京介も見た目に反して美味しいジュースをちびちび飲む。

 誓約書を書きながら杉浦は、珍しく真面目な声色で京介に尋ねた。

「底辺くんはさぁ、なんで怪異祓いなんてやってんの?」

「妹を助けるために、怪異祓いをしています」

「ふーん。……その話、詳しく訊いていい感じ?」

 杉浦に詳しく訊いていいかと尋ねられて、京介はちょっと意外に感じる。杉浦はこちらの考えとか関係なしに、自分の知りたい疑問を奔放に訊ねてくる、そんな人だと京介は認識していた。

 つまり、デリカシーがない人間である、と。

 実際の杉浦は、京介が考えている杉浦よりも単純ではなく、複雑怪奇なのかもしれない。

「言いたくないなら言わなくていいけど、ね。なんかごめんよぉ」

 あまりもったいぶってしょうがない。そんなに面白い話でもない。京介は杉浦の疑問に答えた。

「去年の夏ごろですね。家に怪異が侵入してきたんです。火車という怪異です。奴に妹の桜花ちゃんの魂を盗られたんです」

 杉浦が手を止めて顔を上げた。目が合う。澄んだ瞳の人だと京介は思った。

「僕は今、魂を盗られた桜花ちゃんの肉体を維持していくために莫大なお金が必要なんです。そして火車を祓い、奴が持っている桜花ちゃんの魂を取り戻したい。これが僕が怪異祓いをやっている理由です」

 火車に京介の魂も盗られそうになっていたが、杉浦に助けてもらったということは言わない。それは怪異祓いになったもう一つの理由が、杉浦に憧れてだからだ。

 今のレベルでそんなことを杉浦に面と向かって言えない。恥ずかしくて無理。憧れの人を前に素直になれなかった。

「ふーん。火車をねぇ。いいじゃん。うん、いいと思う。怪異祓いは命がけな分、お賃金がいいからねぇ。あたしもお賃金大好き。もっとお賃金ちょうだいっていつも思うもん」

 杉浦は自嘲気味に鼻を鳴らした。そして真面目な声色で続ける。

「……それに怪異の出没情報は怪異祓いなら早く手に入る。火車を自ら祓える可能性も高い。そっか、考えてるじゃん」

 杉浦は書き終わったらしい誓約書を京介に渡す。京介は軽く誓約書に目を通したあとサインした。

 それを見届けると杉浦は三つ編みにした髪の毛を片手でいじりながら、顔を近づける。満面の笑みだ。今日一番の笑みかもしれない。

「底辺くんに、どんなお願いを聞いてもらおうかなぁ? トモモなやんじゃ~う」

 なんで、今、杉浦がその話題を口にしているのか、京介は不審に思いつつ首を傾げた。

 杉浦は満面の笑みを崩さずに、テーブルに広げられた誓約書を指でトントンと叩いた。京介は誓約書をもう一度見る。小さい字で『杉浦知子のいうことをなんでも一つ聞く』と一文が書かれていた。 

 京介は血の気が失せる。

 誓約書にはすでにサインをしてしまったからだ。今から一方的に誓約書を破棄することはできない。

 たとえば、杉浦が「死ね」と命じたら、京介は可及的速やかに死ななければならない。誓約書はそれくらいの効力がある。

「くしし。ちゃんと書類は読もうね、底辺くん」

 杉浦はペロッと舌を出す。

「トモモはぁ、好きなものは最後に食べるからぁ、お願いは後日にして、あ、げ、る。楽しみにしててね。底辺くん」

 ……嬉しくない。まったく嬉しくない。

 京介は「うー」と唸り、頷いた。杉浦の良心に賭けるしかないだろう。この人は「死ね」なんて命じないはずだ。たぶん、おそらく。

 最悪な気分の京介を無視するように、陽気な音楽を流しながら猫のような配膳マシーンが、二人の座る席に料理を乗せてやって来た。杉浦が「えー、ハイテク―。未来やん」っと漏らす。反応が一昔前のオッサンみたいだなぁと京介は苦笑いを漏らす。

 京介は食事を前にして頭を切り替える。今、悩んでも仕方ない。

 配膳された料理を、京介はテーブルに並べていく。杉浦は珍しそうに猫のような配膳マシーンを眺めている。

 自称、意識高い系のレディーである杉浦が注文した料理の量が多い。タブレット端末で入力していたからどのくらいの量を頼んだか京介は把握していたが、実際にそれが目の前に並べられると圧巻なものがある。

 京介はバレないように、杉浦をチラッと見た。あんなに身体が細いのにどこに栄養がいくんだ? 頭に……はいかなさそうだから、全部胸へ? それなら納得だ……。

「いや~ん。思春期男子のエッチな視線、感じちゃう~」

「べ、別に杉浦さんの胸なんて見てないです」

「あたしは胸に視線を感じるって言ってないのに! 底辺くんのエッチ~」

「ぐぬぬ。……よ、よく僕の視線がわかりましたね」

 これ以上誤魔化しても、杉浦に際限なく嫌なからかわれ方をする。京介は開き直る。視線が気になるほどしっかり見たわけではない。なぜ杉浦は京介の視線に気がついたのか、気になり尋ねた。

「それは、あたしの魔眼のおかげかしら」

 杉浦は黒色の眼帯で隠れた右目を指さし、自慢げに言った。

 また杉浦が自分をからかっているのだろうと思い、京介は鼻で笑う。

「えぇ、鼻で笑われた。酷い。本当なのに……」

「杉浦さんは、中学二年生で発症する病気がまだ治っていないようですね。僕は高校一年の頃には治りましたよ」

「ちげぇし。本当に魔眼なの。見る? 見ちゃう? あたしの魔眼、見ちゃう? いやーん、ちょっとだけよぉ〜」

 京介は、面倒くさいなぁと思ったが、頷いた。見ないと言った場合、杉浦が不機嫌になりもっと面倒くさいことになると思ったから、最善の選択をした。

 杉浦は眼帯をめくり、隠されていた右目をみせた。右目の瞳の色は青、黄色、オレンジ、そして紫色が複雑に混ざりつつ、絶妙なバランスを保ち幻想的に輝いていた。ガラス細工のように繊細で儚く、宝石のように美しかった。

 綺麗な物を見て感動する習慣がない京介でも、杉浦の魔眼は息を呑むほど美しいと思った。

「これはね、魔弾の悪魔ちゃん達との誓約で手に入れた魔眼。第三の眼。眼帯で隠していても、底辺くんが露骨に向けたエッチな視線くらい、見えちゃうぞぉ。君が今、あたしにものすごく見惚れているのもわかっちゃう。くしし」

 京介は杉浦に図星を突かれて、面白くない顔をした。

 杉浦は眼帯で右目を隠す。

 そういえば……、杉浦さんの二つ名は『魔弾の射手』だ。魔弾の悪魔達との契約。狙撃能力を高くする魔眼なのかな? うーん。杉浦さんの右目に本当に魔眼であることは分かったけど、魔眼の能力について上手にはぐらかされた感じだ。魔眼であることはわかったが、それって二つ名にあるから隠しているわけじゃないし……。魔眼の能力を教える程、杉浦さんは僕を信頼していないようだ。当然だが。

 ふざけているようで、抜け目がない。これくらい抜け目がないから、怪異祓いの業界でトップの一人に君臨しているのだろう。僕も真似をしていこう。勉強できるところは勉強するんだ。

「ところでさぁ、底辺くんは成長期じゃん」

「はい。そうですね。身長もまだ伸びていますよ」

 杉浦は女性としては平均的な身長だ。立って二人で並んでいると、杉浦は京介を見上げて話す必要がある。それでも男性物のスーツをしっかりと着こなしているからか、京介は杉浦の身長が小さいとは思わなかった。

「身長が伸びてるんだったら、もっと食べないと駄目だよ。苦しぃってほど食べないと身体大きくならんよ。接近戦が主体なんだから体力もつけにゃあならんって。あ、もしかして美人なお姉さんに遠慮してるのかなぁ? お姉さんはぁ、いっぱい食べる男子が好きだぞ」

 うっぜ。

 この人は僕を相撲取りにしたいのかな。

「いや……杉浦さんに遠慮なんてしてないですよ。なんなら僕はいつもより多く注文していますよ。杉浦さんこそ、ちょっと食べすぎじゃないですか。若いときに食べすぎると中年になった時、確実に太りますよ」

「え……これは食べすぎじゃないっしょ。今日は意識高い系のレディーだから、いつもより少な目に注文したんだけど。これ少ないでしょ? こんなの小鳥が食べるくらいだよ」

「何言ってるんですか。小鳥がそんな量食べたら死にますよ」

「え〜それは噓でしょ。あ、マジな感じですか。そうか……トモモ、食いしん坊キャラだったのか」

 杉浦はとても驚いた顔をする。何言ってんだこの人……。

 



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