第37話 最悪の知らせ

 柳さんの意識が戻りつつあることに胸を躍らせ、翌朝の目覚めはすっきりとしたものだった。顔を洗い身支度をしている間も鼻歌を口ずさんでしまうほどには気持ちが浮ついている。

 面会時間は決まっているというのにいそれでも気持ちは早まり家を飛び出し、道中これで三度目となる花屋さんへと立ち寄った。柳さんを祝福する意味も込めてこれまでよりも少し豪華な花束を購入した。

 普段よりも早く家を出たのだから当たり前なのだが面会時間まで三十分ほどあり僕は病院内の受付前の待機椅子に座り待った。手に持っている花束は存在感を放ち通りかかる人々から注目を集めている。見られることに慣れてきてころ最前列に腰かけていた僕は丁度対応を終えた受付の女性に呼ばれた。柳さんとお見舞いに通ううちに顔見知りとなった受付のお姉さんなのだが今日はどこか浮かない表情でいつもの笑みも影を潜めていた。少し不信感を抱きながらもゆっくりと受付の方へと駆け寄る。


「深田君落ち着いて聞いてね。実は……」


 受付前へと立つと小声で前置きを挟み、受付のお姉さんは自分自身でもまだ整理がついてないと面持ちで様子で語った。話を全て聞き終えると花束を握っていた手の力が抜けすり落ちた。床に落ちた花束を拾うこともせず僕は柳さんの病室を目指して走り出す。背後からは待ってと呼び止められるが足は止まることなく受付を立ち去った。

 息を切らし柳さんが眠る病室へとたどり着くとノックも忘れ扉を開けた。一番に目に入って来たのは大きな鞄に手を突っ込みなにやら整理している柳さんのお母さんの姿だった。いきなり勢いよく開けられた扉におばさんは目を丸くし驚きを露わにしたが僕を視認すると表情は陰りを見せる。


「その様子だともう聞いたのね」


 少しの沈黙の後に確認するように尋ねられたが、信じたくないと僕はおばさんの言葉には耳を貸さずゆっくりとベットの方へと歩き出した。入り口からは見えなかったベットの上の全貌が明らかになり受け入れがたい事実が目に飛び込んでくる。ベットの上は無人となり柳さんの生命を維持するために機械音を鳴らしていた医療器具は停止し鳴りを潜めていた。柳さんがこの世を去ったことを受け入れざるを得ない現状を目の当たりにする。

 昨晩急に容体が悪化し彼女は帰らぬ人となってしまったことを受付で聞いた。信じられるはずがなかった。彼女は昨日目覚めの気配を見せていたばかりだというのに、ようやく明るい兆しが見え始めていたというのに。別れの言葉も感謝の言葉も僕は何も伝えられていないし、何も返せていない。これからだと未来に希望を抱いていたのに。

 泣き叫んで感情を露わにするでもなく深い絶望とともに静かに床へと崩れ落ちた。中学生の別れを告げられたときとは違い、柳さんは本当の意味でいなくなてしまったのだ。現実を目にしてしまったことで逃避することも叶わず、心には虚しさと共に穴がゆっくりと広がっていく感覚があった。


「すみませんでした」


 力の抜けた体を押し上げ立ち上がると、おばさんに非礼を詫び病室を後にするため出口へと足を運んだ。途中で声がかかることもなく病室を後にしそのまま病院を出ると雲一つない青空で輝く太陽が僕を照らした。温もりに包まれた心地よい日差しだというのに、心は晴れるどころか今だけは憎さが勝る。

 家に帰るとその後は一歩も自室から出ることはなく手紙を胸に眠りについた。翌朝目覚めても何も気力が湧かずベットから這い出るのも御苦痛に感じた。何もしないまま一日が終わり夜が明け夏休みの終わりのカウントダウンが迫る。一日を無駄に過ごしまた同じように時間を浪費するのは精神的にもよくないと外に出た。

 一日ぶりの太陽光は目に悪く玄関の扉を開くと少しの間真っ白な世界が広がる。足は再びあの海辺の遊歩道へと向かった。花火大会は終わり開けた歩道を立ち止まることなく通り抜けると、夏休みも最終盤というのに暑さは体力を消費させ喉の渇きが限界に迫り自動販売機へと移動する。

 身をかがめて冷えた缶を取り出すと近くのベンチに腰を下ろし缶のタブを押し上げる。プシュッと炭酸が抜ける音を鳴らし開いた缶を傾け流し込むと爽快感が喉を通過していく。この場所に来たというのに何も変化を示さなかった心に久しぶりの感情の波が訪れたことに安堵した。こんな些細なことでと半ば呆れ、笑いたくもなったがすぐに感情の波は引いてしまい余韻にすら浸らせてくれない。

 缶の中身が瞬く間に無くなり立ち上がると少し歩いて離れた場所にあるゴミ箱に捨てに向かう。缶を投げ入れるとすぐ目の前の道路を騒音をかき鳴らしながら数台のバイクが通過した。迷惑極まりないと過ぎ去るバイクを眺めているとすぐ側にある駐車場へと曲がった。

 バイクといえば柳さんの事故のことを想起させ胸が痛むのだが、僕は何故だかわからないが目が離せなかった。けたたましい音を鳴らしていた車体を止めまたがっていた人たちはヘルメットを外し地面へと降りたつ。次々と明かされる顔ぶれに見覚えはなかったが最後に降り立った二人組だけは知っていた。

 忘れもしない香水を纏い金髪を払い除ける女性に続き、これまた忘れたくても忘れられない諸悪の根源たる男性が目に飛び込んできた。コンビニで一度出会った高屋くんと金髪女性のカップルだ。空っぽの心に燃えるような今までに抱いたことのない感情が芽生えるの実感する。しかし今ここで飛び出して行ってもまた返り討ちに会うだけだと頭は冷静だ。煮えたぎるような感情を堪え僕は彼らに背をむけ歩き出した。


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