第36話 目覚めの兆し

 夏休みの残された時間のほとんどを僕は柳さんのお見舞いに費やすことを決めた。毎日というわけにはいかなかったが柳さんのお母さんの次くらいには多く病室を訪れていると思う。初めてこの病室を訪れた日から一週間が経ち花火大会の日は過ぎ去ってしまった。夏休みも残りわずかとなり二学期が迫りつつあるというのに柳さんの意識はいまだ戻っていない。それでも彼女の病室に足を運んでは毎回話しかけ話し相手になってもらっている。


「高校生になって結衣は少しずつまた明るくなっていったの」


 すっかり特等席となった窓際の椅子に腰かけているとおばさんは高校生になった柳さんの変化を口にした。中学生のころ厳密には二年生になったころから柳さんは家でも余り口を開かなくなり笑うことも少なくなったそうだ。それが高校生になり徐々に明るさの片鱗を見せていたらしい。特に一学期の後半の彼女は話こそあまりしてくれなかったが表情は晴れ渡っていたとおばさんは眠る柳さんを見つめながら口にした。


「同じクラスに川崎さんがいたことが大きかったのかもしれませんね」


 話を聞いて誰にでも好意的に接し笑顔の花を咲かせる川崎さんの顔が浮かび、おばさんにクラスメイトを紹介した。彼女とは事故当日に病院へ駆け付けたこと、柳さんと肩を並べて男子生徒の人気者だということ。性格は全然違って川崎さんは大胆でとにかく人を巻き込む性格だということ。彼女の人柄のおかげで親睦会が開かれたり林間学習では同じ班として行動することになったりと僕も柳さんも楽しい思い出が残せたことを伝える。


「聞いているだけでも楽しそうな子ね。ぜひ一度会ってみたいわ」


「柳さんが元気になって面会ができるようになったときは一緒にこの病室に来ますね」


 微笑みを浮かべながら語り合っているとベットの方から絹が擦れたような物音がした。どうやら僕の聞き間違えではなくおばさんもベットの方へと視線を落としている。僕が持ってきた花を花瓶へと移し替えていたおばさんは手を止め柳さんのもとへと駆け寄り名前を呼んだ。しかしその後は特に反応もなく僕は肩を落とし視線を切ろうとした瞬間彼女の口がわずかに動いた。数秒でも遅れていたら見逃していただろうが今回ばかりは見間違いでもなければ夢でもない。


「先生を呼んでくるわ」


 言うやいなや急いでおばさんは出て行ってしまった。僕は椅子から立ち上がり柳さんの顔もとへと近寄る。そして呼び起こすように優しく彼女の名前を何度も呼んだ。何度目かのタイミングで呼び声に反応を見せるかのように唇が微かに震えた。ここにいるよと優しくも先ほどよりも強く彼女の名前を呼びかけ、手紙にもあった満面の笑みを僕は作る。一瞬、ほんの一瞬だけ彼女の瞼が開いたような気がした。心なしか口角が数ミリ上がり微笑んだようにも見える。あと少しだと頑張れと声をかけ続けようとしたところで病室の扉が開け放たれ先生を引き連れておばさんが戻ってきた。

 先生と入れ替わるように僕はベットから一歩引き様態を確かめる先生を見守った。一通り確認が終わったが柳さんの様子に変化はなく僕とおばさんは意識が戻りかけていたときの状況を説明した。


「なるほど名前を。今後も時々呼びかけてあげてください。彼女が目覚める日も近いかもしれません」


 先生は話を聞き終えると一筋の希望を残し退室した。一週間ずっと変化のなかった彼女を見守っていた僕とおばさんは視線が合わさると相好を崩し喜びを分かち合った。

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