第34話 思い出の軌跡

 手にしている過去の柳さんからの手紙を途中で開封することなく、真っ直ぐ家へと帰り自室の机の上にそっと置いた。その後すぐに浴室へと向かい濡れて肌に張り付きずっと不快感しかなかった服を脱ぎ捨てシャワーで身を清める。夕食を食べ終え自室に戻り学習机の椅子に座り後は心の準備だけとなったのだが、時間だけが過ぎてゆき手紙は手付かずのままだった。単純に手紙を開けるのが怖かったのだ。

 手紙を受け取ってほしいとは言われたが、中身の確認については何も言われていない。だからこのまま引き出しの奥に手紙をそっと仕舞い布団に包まれ眠ってしまおうか。つまらない屁理屈を並べるも机から離れることはできず、丸文字で僕の名前が書かれている手紙を眺めることしかできない。

 このままでは座ったまま翌朝を迎えてしまいそうな流れに陥る前に椅子から立ち上がる。薄手のパーカーをクローゼットから取り出し羽織ると机の上に置かれた手紙とスマホをポケットに突っ込んだ。部屋の電気を消し夜の散歩に出た。

 日中降っていた雨は上がり、蒸し暑さが残る夜だった。目的地も決めず家を出た僕は肌にまとわりつくような生温い風から逃れるように海沿いを目指した。歩いているとだんだんと磯の香りが濃く鼻を突くようになり十分ほどで海岸沿いの遊歩道にたどり着く。犬の散歩をする人やランニングをする人は見受けられたが、誰もが一人で静かな夜道だ。

 町中よりは幾分かマシになった潮風に当てられながら歩いていると歩道の脇に間隔をあけてテントや鉄パイプの柱が置かれていた。そんな時期だったなと今週末に迫った毎年恒例の花火大会が脳裏を過ぎる。何の気もなく訪れた場所だったのだが、ここは柳さんと初めて二人で花火を見た場所だった。屋台はまだ組み立てられておらず街灯の小さな光で照らされるだけの薄暗い道なのだが、一歩足を踏み出すたびに思い出が蘇ってくる。

 別れを告げられたあの日から心の奥底に封じ込めた記憶が鮮明に走馬灯となって頭の中を流れていく。もう終わってしまった青春の記憶だというのに心は暖かな幸福感に包まれている。柳さんと巡った花火デートの道順を辿るように一人闇夜の遊歩道を進んだ。花火大会の日は人で溢れなかなか進めず長く感じていた遊歩道をあっという間に歩き終え開けた広間へとでた。この広間を通り抜ければいよいよ二人で花火を見上げた場所だ。植えられている花や木を横目に広間を通り過ぎ街灯も何もない開けた駐車場にポツンと一人佇む。

 だいたいこのあたりだっただろうと立ち止まり空を見上げる。月も星も雲に覆われお世辞にも綺麗だと言えない夜空を眺めながら打ち上がる花火の情景を思い出そうとした。しかし打ち上がる花火の色や形は鮮明に思いだぜない。だというのに空を見上げる柳さんの横顔は強く深く刻まれており目の輝きや形から口元のゆるみまでが昨日のことのように鮮明だった。視線を横に向けるが誰もいるわけもなく、それでも一瞬だけあの日に戻ったような感覚に浸る。

 噛んだガムの味がなくなるように情景は薄れてゆき広場へと引き返した。街灯に照らされ闇世の中で脚光を浴びる長椅子に座る。磯の匂いが濃い夜風に当たり不思議と今なら手紙を開けられそうな気がした。思い立ったが吉日とポケットに手を突っ込み取り出す。軽い気持ちとまではいかないが躊躇うことなく手紙の封を開け半分に折られた一枚の便箋が姿を見せる。あとは折り畳まれた紙を開けるだけなのだが手が震えうまく捲れない。深呼吸を挟みゆっくりと親指で押し上げてゆき一枚の手紙を開けた。




 深田くんへ


 いきなり別れようなんて言ってごめんなさい。でも私はこの選択に後悔はありません。日に日に弱々しくなっていく深田くんに何もしてあげられず見ているだけなのが私は耐えられませんでした。

 相談して欲しかったしもっと私を頼って欲しかった。でも今だからこそ少しだけ気持ちが分かるよ、今の私と同じなんだろなって。深田くんに何も言わず決めちゃったから。

 私は深田くんに笑っていて欲しい。花火大会の日のような目いっぱいの笑みで瞳が綻ぶところをもう一度見たいです。たとえそれが私の隣で、私に向けられたものでなくても。

 別れは辛いけど、すぐに立ち直れないかもしれないけど深田くんが笑える日が来る

ことを私は願っています。幸せな時間をありがとう。そしてさようなら。


                                 柳 結衣


 全て読み終えたというのに感情の波は凪いでいた。目から涙を溢れさせることも感傷に浸ることもなく手紙を閉じる。何もかも僕が引き起こしてしまったのだ。彼女は後悔はないと手紙に綴った。それは僕も同じで自分の行動に後悔などない。互いが愛しく互いを一番に思いやったが故に僕たちはすれ違ってしまっただけなのだ。僕たちはただ互いの幸せを願ったはずなのに。過去はもう変えられないし心に負った傷は消えないだろう。それでも今からまた僕たちはやり直すことができるかもしれない。

 心に深い傷は残っても僕は確かに柳さんのおかげで嫌がらせの日々から抜け出せている。過程はどうであれ紛れもない事実だった。だというのに彼女はいまだあの日から始まった地獄を抜け出せていない。

 このままでいいわけがないと一種の使命感が電流のように駆け巡る。まずは感謝の言葉を目一杯の笑みと共に伝えよう。そしてできるならもう一度柳さんと一緒に。

 この先のことを考えたときふと川崎さんの顔が浮かんだ。高校生になり出会った彼女は光り輝いていた。気が付けば目は姿を追い、話す機会を心待ちにし心躍らせていた。事故とはいえ好きという言葉を告げた。新たな青春の訪れを期待し心から好きだと言える。


「ありがとう」


 叶わなかった恋に感謝の言葉と共に別れを告げ、僕は広間を去り遊歩道を抜け家へと帰った。


 

 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る