第33話 3年ごしの手紙

 コンビニ前で濡れたアスファルトにうつぶせのまま微動だにしない僕は買い物客からの注目を集めていた。しかしその誰もが心配の声をかけてくれるわけでもなく、触れてはいけないと静かに姿を消す。いつまでも敗北に打ちひしがれているわけにもいかず、痛む体を無理やり起こした。

 足取りは頼りなく彷徨うようにただ前へと進んでいると公園の横を通りかかり足を止める。何かに誘われるように進行方向を変え目的もなく足を踏み入れた。

 雨のおかげか公園内には人っ子一人おらず濡れた遊具だけが哀愁を漂わせ鎮座しているだけだ。今の僕には現在の雰囲気の方が非常に居心地がよく受け入れてくれている気さえしていた。雨の雫が残っていることを気にすることもなくベンチへともたれかかり空を仰ぐ。先ほどまでの出来事を整理しようと思い返すもすぐに抑えていた感情が込み上げてきた。

 中学時代、僕は嫌がらせに耐えていた。柳さんが隣で笑っていてくれたから嫌なこともすぐに忘れられた。彼女に対する嫌がらせだけは許せず高屋君の条件をのんだ。嫌がらせはエスカレートしていった。それでも柳さんは二人きりになるといつも微笑んでくれる。それだけでよかった、なのに彼女は自ら僕のために動いた。

 僕はどこで間違えたんだろう。彼女に相談するべきだっただろうか。嫌がらせに耐えることが彼女の幸せにつながるというのはただの思い込みだったのか。いつからだろう、柳さんが僕にむけてくれる微笑みが変わってしまっていたのは。そしてなぜ彼女の笑みをいつもと変わらないものとして見て見ぬふりをしてしまったのだろうか。僕はただ思いあがっていただけなのだ。


「僕が柳さんを不幸にした」


 口からこぼれたのは気が付くのが遅すぎる真実だった。ずっと被害者面をして生きてきた僕は柳さんのことなどなにも考えていなかったのだ。今となってはどうすることもできない過ちに対する後悔、懺悔ありとあらゆる自責の念が心にナイフを突き立てる。閑散とした公園に救いの手を差し伸べてくれる人物などいるわけもなく、心は傷付き精神は朽ち果て抜け殻のような体は負の感情に染まった。


「深田君」


 一人公園のベンチに座り込みどれくらいの時間が過ぎたのだろう。空はいまだ曇天のままで時間の経過が分からない。なぜ意識が切り替わったのだろう、誰かに呼ばれた気がしたなどと呆けていると一人の女性が目の前で足を止めた。


「やっぱり。深田君じゃない」


 今度ははっきり僕の名を呼ぶ声が耳へと届く。焦点が定まっていない目を無理やり女性へと合わせ存在を認識すると僕はすぐに背筋を伸ばした。目の前の女性はつい数時間前に数年ぶり横顔を見たばかりの柳さんのお母さんだった。


「お……お久しぶりです」


 数年ぶりの、それも手で数えられるほどしかない直接的な会話に動揺し言葉を詰まらせながら挨拶を返す。病院からの帰りだったのだろうか。そもそも娘さんが事故にあった直後というのに僕なんかに話しかけていていいのだろうか。自身のことで精一杯のはずなのに、柳さんに負けず劣らずの笑みをこんなときまで浮かべ話しかけてくれていた。心やお腹、手に傷を負っているものの顔などの目立つところに傷を負っていなくてよかったと余計な心配ごとを増やさずに済み安堵する。


「一人でどうしたの……手、手怪我してるじゃない。なにがあったの、大丈夫」


 隠すのが遅かった。柳さんのお母さんは僕を気遣うように話し出したのだが、皮が捲れ血が付く手に気が付くと焦るように心配を口にした。


「ちょっと転んだだけで、このくらいなんともないです」


 すぐに嘘の言い訳を並べ、大丈夫だと手を動かして見せた。数回強くアスファルトを殴りつけた手は痛覚を取り戻した体に再び痛みを走らせるがいま表情に出すわけにはいかないと歯を食いしばる。


「それでもほっとけない。それに傷ついている深田君を見て見ぬ振りなんてしたら後から結衣に怒られちゃう」


 柳さんのお母さんは僕がもう彼氏ではないことを知らないだろうか。さすがに数年も経っているのだから気が付かない方がおかしい。知る知らないに関わらず自らの口で説明できるわけもなく返答に困り黙ってしまう。


「うちもうすぐそこだから。手当してあげるから来て、ね」


 断りきることもできず、柳さんのお母さんに流されるままに僕は柳さんの家へと歩き出した。


 数年ぶりに柳さん家の敷居をまたぐと玄関の景色は僕の記憶にあるものとは変わってしまっていた。知らない家、初めて訪れた家のような感覚だ。柳さんのお母さんは靴を脱ぎリビングの方へと消えてしまったので僕は玄関で立ったまま待っている。


「深田君そんなとこで立ってなくても入ってきていいわよ」 

 

 再びリビングへつながる部屋の扉が開き家に上がるように言われたが、衣服は汚れており長居するつもりもなかったので遠慮した。


「気を使わなくてもいいのに」


 決して許容はせず笑みを浮かべながらおばさんは小さな箱を手に持って再び玄関口へと戻って来た。床に箱を置いたおばさんは消毒液や絆創膏を取り出し僕は手当てをするからと座るように促される。座ることすらも躊躇われたが、手当てしてもらう立場なのでここは素直に従い床に腰を下ろし皮がむけ血が滲む手を出した。

 おばさんは手の汚れを軽く拭いてから消毒液を遠慮なく傷口に振りかけ、僕はあまりの刺激に苦悶の声が出てしまった。身をよじらせるも手だけはおばさんに掴まれ固定されているため、我慢してねと手当は続行される。


「はい、これでおしまい」


 消毒液が傷口に染みるのを耐え最後に絆創膏が貼られると軽くその上を撫でられ手当ては終わった。ずっと表情こそ明るく取り繕っているおばさんだったが声には娘を思う親の心配のような悲しみがにじみ出ていた。詳しい事情も聞かずに手当てをしてくれたおばさんに感謝の言葉を返す。そしてここに僕がいるのはよくないとすぐに去ろうと立ち上がる。


「ちょっと待って」


 腰を浮かすもすぐに呼び止められてしまった。こんなにも世話になっておいてこれ以上はと帰るわけにもいかず僕はおばさんに向き直る。呼び止めたにも関わらず何も言わずおばさんは救急箱をかかえ再びリビングの方へ姿を消した。なんだろうとじれったく待っていると少し時間を要してから再び現れたおばさんに一通の手紙を手渡される。


「これ結衣が中学一年生の秋ごろに預かったものなの。もし深田君が家に来たら渡してほしいって。けど深田君が来ることがなくて今更になっちゃったけどもらってくれないかな」


 中学一年の秋ごろと言われ真っ先に思い浮かぶのは柳さんに別れを告げられたあの日だ。青春の大きな分岐点となった時期の前後に書かれたであろう手紙に何が書かれているのか恐れ、今になって見るべきなのかとも思ったが僕の手は自然と伸びていた。


「お願いばかりになっちゃうんだけど……よかったら結衣のお見舞い来てくれないかな」


「家族以外の面会は禁止されているんじゃ」


 さすがに意識がないとはいえ柳さんに会う心構えが出来ておらず、医師にも面会は断られたことを伝え逃れようとした。


「それなら大丈夫、看護師さんにはあらかじめ話を通しておくわ。私ならいつでも病院にいるから、ね」


 ご厚意は非常にありがたくそこまでしてもらって行かない選択肢などとれるはずもなく、日付の明言は避け分かりましたと返事を返す。ありがとうと感謝の言葉を告げられたがお礼をしなければいけないのはこちらのほうだ。こちらこそと感謝の言葉と共に頭を下げ、僕は柳さん宅を後にした。

 

 

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