第29話 お菓子のお誘い

 思いを口にしてしまってから心はずっともやもやしたままだった。スマホを気にするが何の音沙汰もない日々が続いた。告白の返答ばかりを気にしていたが、そもそも雰囲気任せの突発的な発言は告白として受け取られているのだろうか。川崎さんとの関係性はどうなってしまっているんだろうか。様々な疑念が頭をよぎりこのまま悶悶とした日々を送ってもなにも解決しないと、もう一度川崎さんに会うことを心に決めた。

 そうと決まれば行動あるのみなのだが、やはりというべきかどのように連絡をとるかという高い壁が待ち受けていた。スマホを操作する手は川崎さんとのトーク画面を開いたところでピタリと止まる。まずはこの前の件について謝罪から入るべきだろうか。それともまた課題に付き合ってもらおうか。何個か思い浮かぶものはあったがすべて止まった手を再び動かすまでにはいかなかった。

 リビングで立ったり、座ったり、寝転がったりとせわしなく姿勢を変えながら思考を巡らせているとキッチンの方から甘い香りが漂ってきた。匂いに誘われるようにキッチンへと足を運ぶ。ここ最近の様子のおかしい息子にも見慣れたといった様子で悩む僕のことなどまったく気にせず母がお菓子作りに勤しんでいた。


「なに作ってるの」


「カヌレよ」


 興味本位で聞いてみると聞いたこともないお菓子が告げられ、なんですかそのオシャレな名前の食べ物はと聞き返してしまう。テレビでも紹介されるほど世間で流行っているらしく母にはなぜかため息をつかれてしまう。


「暇なら一緒に何か作ってみる」


 流行の最先端と言われれば興味はあったが、あいにく僕は川崎さんを誘うメッセージを考えることで手一杯だ。遠慮しとくよと口にしそうになったが思いとどまる。もしかしたらこれは誘いの口実として使えるのではないか。ソファーの上へと投げ捨てたスマホを取りに戻り手を動かした。


 家でカヌレとかお菓子作りをしたんだけど作りすぎてしまってもしよかったら家まで心配して来てくれた日のお礼に食べに来ない?


 世間で大流行というお菓子の名前を入れ、あくまでも僕が閉じこもってしまったときに駆けつけてくれたお礼として誘いの文を送った。お菓子などまだ何一つ出来上がっていないのだがそれはこれから僕が頑張るだけだ。

 メッセージを送るとスマホをポケットに入れキッチンへと向かい母にカヌレ作りを伝授してもらうことにした。しかしカヌレ作りの生地となる液体は前日から準備されており、型に流し込む作業しか残っていなかった。これでは到底僕の手作りなどと言えるはずもなく、今からでも作れる簡単なお菓子はないかと母に頼み込んだ。

 それならクッキーはどうと提案されカヌレに名前負けしてると思いながらも、すでに誘ってしまっていることもあり甘んじてクッキー作りへと予定変更した。母が取り出してくれた材料をレシピ通りの分量でボウルへと移しかき混ぜる。レシピにはだまにならないようにとか、空気を含ませてと書いてあり混ぜるだけでもなかなか難しい。数回に分けて卵液を注ぎながら混ぜ、クリーム色の固めの生地が完成した。

 混ぜ合わせた球体の生地を取り出すと次は綿棒で伸ばす。簡単な作業ではあったが生地が薄くなりすぎずはたまた厚くもなりすぎずを心がけ伸ばし終えると、ここで生地は一時間の休憩に入るとのことらしい。

 伸ばした生地を冷蔵庫へと入れしばし自分も休憩しようとソファーへと腰を下ろすとポケットから振動が伝わってきた。お菓子作りに夢中になりすっかり忘れてしまっていたスマホを取り出す。メッセージは先ほど届いたばかりの一件しかなく安堵しロックを解除した。

 川崎さんから届いたのは時間があるから行くといった内容の文で、氷室君も誘っておくと気まで使ってくれていた。しかし今日だけは氷室君がいるとお菓子パーティーに隠された裏目的である告白の真相を確かめることが出来なくなってしまう。氷室君は僕から誘っておくという嘘と駅のいつもの集合場所まで迎えに行くというメッセージを送った。

 生地の休息時間が終わり最後の工程となる型抜きへと取り掛かった。ハートや星、アヒルといった定番の型が取り揃えられている中から今回使うものをまずは選別する。型が決まれば次々と型抜きをこなし生地が穴ぼこだらけになれば丸め伸ばしてまたくり抜くという作業を繰り返した。

 生地をほとんど余すことなく型取りを終えると待ち合わせ時間が迫っていた。焼く工程は母に任せ家を出る準備を急いで済ませる。玄関を出ると空は曇天に覆われ雨が降ってきそうだった。自分用に傘を一本と、もしかしたら川崎さんが傘を持ってきていないかもしれないと予備としてもう一本手に持ち家を出た。

 家を出てすぐに雨が降り始め傘を差しながら集合場所で待っていると、駅の方から傘もささずこちらへ走ってくる女性が目に留まる。走っているのが川崎さんだと分かるやいなや僕は駆け出した。

 

「もう最悪だよ。やっぱり傘持ってくるんだった」


 足を止めるなり予期していたと彼女は嘆いた。このような場面を見越して持ってきておいた開かずに手にしたままだった傘を彼女に差し出した。


「よかったらこの傘使って」


 傘を手渡しいつもとは逆に僕が先導する形で行こうかと歩みを進めた。しかし川崎さんが後を付いてくることはなかった。


「待って、まだ氷室が来てないよ」


 ありがとうという感謝の言葉の後、来る手はずとなっているであろう人物の名を上げ呼び止められた。嘘の返信をしたはいいもののその後型抜きの何とも言えない気持ちよさにハマってしまい何も考えていなかった。これはまずいと頭をフル回転させる。


「誘ってはみたんだけど今日は都合が悪かったみたい」


 安直な嘘しか出てこなかった。しかし川崎さんはそれならしょうがないかと素直に納得してくれた。少しだけ胸が痛んだが、目的を果たすためには致し方ないと歩みを再開させる。家までの道のりはお菓子作りの体験談を早速川崎さんに語り場をつないだ。帰る途中に一台の救急車とすれ違った。家を出てすぐに雨が降り始めたり、黒猫ではないにしても救急車とすれ違うなど不吉な予兆を感じ取りつつ甘い香り漂う家へとたどり着いた。

 

 


 

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