第26話

 酸いも甘いも経験した中学時代の出来事を川崎さんと氷室君は最後まで真剣な面持ちで聞いてくれた。今まで誰にも話してこなかった過去を話し終えた僕の心は思ったよりもスッキリしている。今も外から差し込む陽射しの温かさ背中に感じながら二人の反応を待つ。


「林間学習のとき二人きりにしてしまって悪かった」


「それだったら私も親睦会のとき……誘って良いか聞いたときに少し違和感に気が付いてたのに……ごめん」


 先に口を開いたのは氷室君だった。その後に川崎さんも心当たりがあると続いた。何の事情も知らなかった二人に悪気があったわけではなく、仕方のないことだったと僕はすぐに弁明の言葉を口にする。


「二人は何も悪くない、ずっと隠してた僕に責任があるから。謝らないといけないのは僕の方だよ」


 今度は僕が頭を深く下げた。すると二人は焦った声で止めにかかる。肩を掴まれ上体を起こされると慌てふためく顔が目に飛び込んできて思わず笑ってしまった。いきなり笑い出した情緒不安定な人物を前に、川崎さんと氷室君は顔を見合わせるがすぐに二人からも笑い声がこぼれた。


「二人に出会えて本当に良かった。いつもありがとう」


 半年も経っていない出会いからの今までの軌跡を思い起こし、潤んだ目をぬぐいながら一言一言嚙み締めて感謝を伝えた。もちろん二人だけではなく今はここにいない大西君も忘れてはならない。三人がいなければ僕の高校生活は全く別の世界線をたどっていただろう。そして終業式の日から僕はもう二度と立ち直れなくなっていたかもしれない。

 二人は謙遜しているが、本当に頭が上がらない。今後どうやって恩を返していけばいのかも想像がつかなかった。三人が恩だとかそんなこと何も気にしていなかったとしても僕は絶対に困ったことがあれば手を差し伸べ、見方でありたい。

 ひとしきり笑い合った後、僕たちはソファーへと座り直した。ずっと張り詰めていた糸が切れると、限界だった僕のお腹は情けない音を鳴らす。腹の虫を聞いて思い出したかのように川崎さんが来る途中で買ってきていたお菓子をテーブルに広げてくれた。チョコ系からスナック菓子まで様々な種類のお菓子が広がるテーブルに手を伸ばしながら、僕たちは今後の夏休みの計画を話し合い始めた。

 玄関の扉が開かれ母が帰ってきてようやく僕たちは時間の経過を実感した。窓からは夕日が差し込み和やかに長時間話し込んでいた。長居してしまっていたことに気が付くと二人は話を区切り、机の上を片付け始める。


「川崎さんに氷室君もよかったら夕飯食べていかない」


 出て行ったときのお通夜の雰囲気から一変し慌ただしく動き出した僕たちに母は嬉しそうに声をかけた。動かしていた手を止め二人はキッチンに立った母の方を見る。こんなにも破顔する母を目にするのは久しぶりだ。二人も快くごちそうになることを告げると、スマホを取り出し家族に連絡を入れた。

 夕飯まで時間が出来てしまったため自室にゲーム機を取りに行くことになりリビングを離れた。よくこんな荒れた部屋で引きこもっていたなと酷い有様の部屋からお目当てのゲーム機を引っ張り出す。明日は一日ずっと掃除確定だなとため息をこぼし、二人をあまり待たせぬよう早々に部屋を後にした。

 リビングに戻るとソファーには氷室君の姿しかなく、川崎さんはというとキッチンに立ち母の手伝いを買って出ていた。普段から進んで手伝いなどほとんどしない息子とは違い、隣であれこれ聞いてくれる川崎さんに母も嬉しそうだった。

 一人取り残されていた氷室君のもとへと向かいゲーム機のセッティングが終わると男二人で時間を潰した。あまりゲームはしてこず家にもゲーム機の類は一切ないと言っていた氷室君だったが、数戦もすればすぐに僕と対等に戦えるまでになっていた。ゲームは違えど川崎さんに負けた日のことを思い出し、もしかしたら僕が下手なだけかもしれないと知りたくなかった真実にまた一歩近づいた気がする。手伝えることがなくなったのか川崎さんも戻ってきて三人となったゲームバトルはさらに熱を帯びていった。

 三人横並びの争いも夕飯の完成を知らせる母の一声で停戦となり食卓へと着いた。テーブルの上には豪勢な手料理が並べられており、母の張り切り具合がうかがえる。各々席につき手を合わせいただきますと告げると箸を取った。


「それ私が形作ったんだ」


 大好物であるハンバーグへと箸を伸ばし取り分けようとしたときに、対面から川崎さんの誇らしそうな声がかかった。食べやすい大きさに丸められたミニハンバーグを自分のお皿に移し、今一度感謝を込めていただきますと言ってから口に運んだ。

 母お手製のいつもの味だがそこに川崎さんの手作りという付加価値が加わり舌鼓を打つ。川崎さんとその隣に座る母からは満面の笑みが向けられ、本人に直接感想を伝えるのが気恥ずかしくなり僕の隣に座る氷室君に美味しいよと勧める。お皿に盛られた料理たちがどんどん姿を消していくなか、母だけはほとんどなにも口にせず食卓の風景を眺めていた。

 ご飯を食べ終え小一時間ほど休憩してから川崎さんと氷室君は家を後にした。途中まで送っていこうかと一緒に家を出ようとしたが、氷室君もいるから大丈夫と川崎さんに止められ玄関で最後にもう一度感謝の言葉を告げた。

 二人を見送りリビングに戻ると母は後片付けを行っていた。テーブルの上に残されていたティーカップを手に取りお皿を洗う母の隣りへ向かう。


「お皿、拭くの手伝うよ」


 カップを手渡すと、料理を手伝う川崎さんにあてられたのか自ら進んで口にした。


「それじゃあお願いしようかな」


 物珍しそうな目で僕を見つめた後、すぐに表情を笑みへと変え母からお皿が手渡された。それからは会話もなく黙々と作業をこなし、水の流れる音と食器の音だけが響く。お皿を拭く速度は徐々に落ちていき拭き終わっていないお皿を持ったまま手が止まった。


「ごめんなさい」


 ずっと伝えられていなかった母への謝罪の言葉を口にした。水の音でかき消されていないか心配だったが、握っていたスポンジを手から離すと母は水を止める。すぐに言葉が返ってくることはなくしばしの沈黙が流れた。拭きかけのお皿を握る手には力が入る。立ち尽くしたまま母が口を開くのを待った。

 

「素敵な友達に出会えたんだね」


 間を開けてから母は許すことも叱責することなく穏やかな口調で予想していなかった言葉を口にした。思わず母の方へと顔だけを向けるが曇りない笑みが向けられており、つられる様に僕も自然と笑みを浮かべ頷く。母はその一言だけ口にすると、僕の表情を少し眺めてから再び皿洗いを再開した。拭くことをやめていた手を再度動かし再び作業へと戻ると仲睦まじい家族のひと時が流れ始めた。

 



 

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