第25話 青春崩壊

 花火大会後も互いの家で課題をこなすなど、柳さんと恋人になってからもどんどん距離は近くなっていった。順風満帆の夏休みも青春の思い出をたくさん残し終わりを告げ二学期が始まる。

 夏休み明けのクラス内は初日から騒がしかった。久しぶりのクラスメイトとの再会に胸を高鳴らせ、輪を作り土産話を口にしたいる。中でも柳さんは一番の注目を浴びていた。クラスメイトは僕が彼女の変化を初めて目の当たりにした時と同じように、誰だと首を傾げ柳さんだと理解するのに時間を要している。夏休みを経てガラッと雰囲気を変えた自慢の彼女は多くの生徒から賞賛の声を浴び僕も鼻が高い。危惧することがあるとすれば今まで柳さんを気にしていなかった男子生徒が狙いを定めていることぐらいだ。柳さんの彼氏としてこれはうかうかしていられないと気を引き締めた。

 二学期が始まって一週間が経ち学校生活の感覚を取り戻しつつある二週目の朝、登校すると下駄箱に置いてあるはずの上履きが消えていた。誰かが間違えて履いていったのかなとも思ったが僕の下駄箱は空っぽでその線は薄そうだ。

 職員室で事情を説明してスリッパを貸してもらうことを考えたが、その前に下駄近辺を見て回ることにした。少しだけ歩き回ると上履きは予想だにしない場所から見つかった。ゴミ箱の中に乱雑に捨てられた靴を目にした瞬間、嫌な予感が脳裏をかすめる。恐る恐るゴミ箱の中に手を突っ込み掴み上げた上靴には僕の名前が書かれていた。

 明らかに何者かの悪意が込められた行為に朝から気分を害することとなったが、教室に入り柳さんの笑った顔を見た瞬間気分もすぐに晴れた。この日は靴が隠される以外の異変はなく下校する。翌日もそのまた翌日も学校に行くたびに身の回りのものが消えたりなくなったりした。小さな嫌がらせの積み重ねが続いた一週間を乗り切り二日の休息で気分を入れ替える。

 翌週を迎えても嫌がらせが終わることはなかった。今日はクラスメイトに話しかけても無視をされた。悪意はクラスメイトにまで伝染してしまっているらしい。しかし柳さんだけは普段と変わらぬ調子で話してくれて僕の心は平穏を取り戻す。彼女の笑顔さえ向けられていればどんなことにも耐えれそうだ。

 僕を避けるクラスメイトの一貫した姿勢にも慣れた頃、ついにことの現況となる人物が姿を見せる。少しの間教室を離れ再び戻ると数人の男子生徒がはしゃいでいた。キャッチボールをする彼らが投げているものに見覚えがあり、僕は少しだけ見つめる。すると僕に気が付いた男子生徒がわざとらしい声で「やっべ」と言葉とは裏腹に焦る素振りなど一切見せず笑った。ボールの代わりに彼らが投げていたのは僕の鞄だった。鞄を持つ男子生徒のもとへと歩みより返してくれと言うと、悩むふりだけして対面に立つ男子生徒に投げつけた。


「おい綾人、これどうする」


 鞄をキャッチした男子生徒は愉快そうな笑みを浮かべ、このクラスのボス的存在の高屋綾人の名を口にする。僕はこのときに確信した、嫌がらせの発端が彼であることを。


「そのへんに捨てとけ」


 高屋君がぞんざいに吐き捨てると男子生徒は意気揚々と相槌を打ち教室の窓を開け放つと外へと鞄を勢いよく投げた。


「悪い悪い手が滑っちまった」


「それだったらしょうがない」


 故意的に外へと鞄を捨てた人物たちの笑い声が教室内に響いた。何がそんなに楽しいのか、彼らの耳障りな声を遠ざけるように教室を後にし鞄を拾った。教室内に柳さんの姿がなかったことだけがせめてもの救いだ。

 嫌がらせは徐々に激化していく中、恋人の存在は非常に大きくどんなことにも心がくじけることはなかった。いつものように二人で下校し心洗われていたとき、浮かない表情を浮かべる柳さんから相談を持ち掛けられた。


「最近ね、身の回りのものがよくなくなるんだ」


 思い当たることなど一つしかなかった。ついに柳さんにまで被害が及び始めたかと危機感を覚える。なるべく不信感を与えないよう明るく言葉をかけると彼女の表情も柔らかさを取り戻していった。

 翌日の放課後から早速行動を起こそうと僕は高屋君たちがよくたむろしている駐輪所へと一人で向かった。柳さんへの嫌がらせも彼が裏で糸を引いているだろうと確信している。

 高屋君の前に僕が姿を見せると彼の周りに座り込んでいた男子生徒が立ち上がり詰め寄って来た。しかし男子生徒たちは途中で親玉である高屋君に止められ僕は彼と面と面を向かい合わせる形となる。花火大会以来の一対一の対面に鼓動は早まり、スッとうすら寒いなにかが背筋を伝った。それでも決意は鈍らず強い気持ちを込めて柳さんへの嫌がらせをやめるように言い放つ。

 はっきりと口にしたのだが高屋君は不気味に笑うだけだった。なにも口にせずただただ笑みを浮かべる姿は異様な雰囲気を漂わせていた。


「わかった、やめてやるよ」


 少しの間をおいてから彼はあっさりと承諾してくれた。こうも簡単に解決できてしまっていいのかと拍子抜けするとともに安堵する。今なら僕に対しての嫌がらせもやめてもらえるのではと思わせてくれるほど彼の口ぶりは軽い。


「その代わりお前は今後一生俺に服従を誓え」


 安堵したのもつかの間、すぐに彼から愉快そうな声で条件を持ち掛けられた。何事もなく終わることは想定せず多少の条件なら受け入れる心構えはしていたが、すぐに返事をすることは躊躇われた。彼に服従を誓えばこの先どんな扱いを受けるかなど想像するだけでも恐ろしい。しかし天秤のもう片方にかけられているものは柳さんの平穏な日常だ。彼女が守られ僕の隣りでこれからも笑顔が咲き続けるのであれば安いものなのかもしれない。

 高屋君に服従を誓ってから柳さんの笑顔が再び犯されることはなかった。その代わり僕への扱いはよりひどくなり、場所も時間も選ばなくなっていった。これまでは柳さんがいる場所ではなにもされなったが今はもうお構いなしだ。僕を見る彼女の目が笑っていないことだけが気掛かりだった。

 一か月が経ち地獄のような日々にもだんだんと何も感じなくなっていた。今日も柳さんと二人で帰ろうと教室で声をかけると用事があるらしく少し待ってほしいとのことだった。何の問題もないと僕は教室で時間をつぶす。しかし柳さんが再び教室に戻ってくることはなく完全下校の鐘がなった。ほのかにオレンジがかった校舎の陰が入り込む教室を一人後にする。柳さんのことは心配だったが時間が遅かったこともあり僕は晴れない気分のまま帰路についた。

 翌朝教室には異様な空気が流れていた。柳さんの席の周りを数名の男子生徒が囲みそこには高屋君の姿もあった。彼女には手を出さないという約束だったはずではと慌てて彼らのもとへと駆け寄る。男子生徒の輪に加わるとやっと来たかと、これから始まることへのワクワクを隠し切れない様子で気味の悪い笑みを向けられた。


「柳からお前に話があるってよ」


 口角を上げことの行く末を早く見たくて仕方がないと言わんばかりの歓喜に満ちた声で高屋君が口を開いた。柳さんの隣りまで移動し言葉を待った。椅子に座ったままの彼女は俯き表情は長い髪により隠されている。しばしの空白の時間ののち柳さんは震える口を開いた。


「深田君……ごめん……私たち別れよう」


 突然の別れを受けとめられるわけもなく頭が真っ白になる。これは夢なのかと疑いたくなるが、周りの男子生徒の歓声が僕を現実逃避させてくれなかった。受けとめきれない僕はちゃんと説明してよと彼女に一歩詰め寄る。しかし再び言葉が発せられることはなかった。すがるように彼女の肩に手を乗せよとした瞬間鋭い声が僕を刺した。


「おい人の彼女に触れんじゃねぇ」


 力なく柳さんに伸ばした手は高屋君に叩き落される。宙を彷徨う手もそのままに僕はなにを言っているんだと高屋君の方を見た。理解するのに時間がかかったがすべてを受け入れた瞬間、精神は壊れた。これまでずっと励まし支えてくれた微笑みがもう二度と僕に向けられる日は訪れない。それどころか彼女は僕のもとを去り、高屋君を選んだ。

 力が抜けきった体で教室の出口へと足を運ぶ。背後からはあざ笑う声が飛ぶが壊れた心に届くことはなかった。今までなんのために辛い日々を乗り越えてきたんだろう。この日を境に僕は学校に行くことをやめた。


 二学期は家に引きこもった。


 三学期からは保健室登校をするようになった。


 二年生になりクラス替えが行われた。


 全く知らない顔ぶれの教室に僕は足を踏み入れた。


 だれもなにも聞かない。


 嫌がらせもされない。


 何事もなかったかのように世界は回る。


 三年生に進級するころには僕の心もだいぶ安定した。


 クラスメイトともコミュニケーションをとれるようになった。


 中学最終学年の学校生活はそれなりに楽しかった。


 そして高校生になり、新たな人生の始まりに胸を高鳴らせる自分がいた。


 


 

 

 


 

 

 

 

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