第14話 林間学校5

 生徒から発せられる歓喜に満ちた声によりお祭り騒ぎとなったグラウンドだったが、僕は先ほどの熱狂が嘘のように感じられるほど静寂に包まれた雰囲気の場所にいた。頭上に輝く月の光は木々に遮られ、懐中電灯から放たれる一筋の光を頼りに森の中を進んでいる。神経が研ぎ澄まされ、風が吹き枝葉を揺らすだけも過剰に反応してしまう。さらに森に入ってからずっと怯えている人物が後をぴったりと付いて来ているため、余計に不安感が募り気が気ではいられない。

 

「あの、川崎さん。さずがにずっと後ろにいられると僕も落ち着かないし、歩きづらくない」


 普段の明るさが身を潜め、挙動不審な様子で僕の後ろを歩く川崎さんに声をかける。ごめん、そうだよねと短い返事こそあったものの彼女は身を小さくしたままで動く気配はなかった。秘密にされていたレクリエーションの内容が肝試しと発表されたときから川崎さんの表情は優れず、森に入るとさらに様子はおかしくなり怖いのが苦手なのだと悟る。肝試しと知った生徒からは賛否両論が上がり、僕もどちらかというとやりたくない派だった。今回のルールは森の中をぐるっと一周、十分もかからない短いコースを歩くという簡単なものだ。組み合わせは班を二分割して決めるということで話し合いをしたが決まらず、公平なくじによって最終的に決まった。


「まだそんなに歩いてないからリタイアする?」


 日頃の天真爛漫な姿が嘘のように恐怖に身を竦める姿を目にし、まだ森に入ってすぐということもあり引き返す選択を口にする。


「大丈夫、もうすこしで慣れそうだから」

 

 さすがにただ森を一周歩くだけなんてことはなく、道中は先生たちによる仕掛けが待ち受け彼女の心臓がもたないだろうとこの先も見越しての提案だったのだが断られてしまった。身震いする川崎さんではあったが、目にはいつもの生気が宿っている。      言葉に嘘はないようだと納得し、恐怖心に打ち勝とうとする彼女の表情を見ていると場違いかもしれないが微笑ましい気持ちとなり口から洩れた。


「なに笑ってんのよ、あんたまでおかしくなっちゃった」


「学校じゃこんな姿、絶対に見れなかったなって思って」


 呼ばれたことのない呼称を使うまだ正常に思考が回復していない川崎さんに素直な気持ちを包み隠すことなく吐露する。こっちの気持ちも知らないでと大きく息を吐いた彼女は「もう知らない」と言い捨て一人歩き始めた。恐怖心が薄れ笑みを浮かべながら胡桃色の髪を揺らす人物を僕は追いかける。

 普段の調子の半分くらいは取り戻しつつあった川崎さんだったが、想像通りすぐにまた生まれたての動物のように僕の後ろに隠れることとなった。目の前には逆さ吊りにされた理科実験室によく置いてある骸骨模型が宙を漂っている。この日のために用意された一つ目の驚かせギミックが作動したのだ。

 いきなり骸骨が降って来たことにはもちろん驚いたが、それよりも前を歩いていた川崎さんの絶叫のほうが上回りすぐに正気を取り戻すことが出来た。森に入ったときと同じポジションに戻ってしまったためどうしたもんかと頭を悩ませる。役目を終えたというのに未だに吊るされたままの骸骨がだんだんと滑稽に見えてきた。お前も気まずいよなと心中お察しするかのように同情していると、ゆらゆらと揺れながら樹冠の中へと吸い込まれるように骨人形は姿を消した。


「骸骨は消えたからもう大丈夫だよ」


 川崎さんを恐怖のどん底に突き落とした存在が消え、そろそろ落ち着いたころかなと背後に声をかけた。彼女は僕の背中から顔だけを出して前方を確認すると、顎を二回しゃくり前へと進むように促す。指示通りにゆっくりと歩き始めると、この状況でいきなり走り出してしまえという悪魔のささやきが頭の中をよぎった。一時の好奇心と彼女との絶縁など天秤にかけるまでもなく悪戯な悪魔を振り払い、ゆっくりと進んだ。

 その後も二つのトラップが用意されており、川崎さんは驚かせ役冥利に尽きる悲鳴を森の中に響かせた。ゴール地点まで残りわずかだろうというところで正面に見える茂みが揺れる。これが最後のギミックかと立ち止まり待ち受けていると一人の男子生徒が現れ、僕たちの前を横切ると反対の茂みの中へと走り去った。川崎さんから悲鳴が上がることもなく最後がこれかと拍子抜けする。

 ようやく終わったと完全に緊張の糸が切れた状態で歩いていると、周囲を警戒していた川崎さんはちょうど先ほど揺れた茂みのあたりで僕の手をつかみ立ち止まった。これまでとは別の意味でドキドキし、鼓動が早くなるのを感じる。

 最後の最後にどういうつもりなのかと彼女の方を向くと、真剣な顔で茂みの奥を見つめていた。視線の先には暗闇の中に木々が立ち並んでいるだけで他には特に何もない。もう一度彼女に視点を向けるがなにかに取りつかれたように茂みの奥に目が吸い寄せられたままだった。不思議に思い声をかけようとした瞬間、いまだに握られていた手にさらなる力が加わる。本当にどうしてしまったんだと不安を募らせていると、小さな物音が茂みの方向から聞こえた気がした。

 茂みを注視すると、小さな物音ははっきりと聞こえるようになり闇夜に目が慣れ始めたこともあり奥の方で何か動いているものが見えた。川崎さんも視認したらしく小さな悲鳴が上がる。どうやら暗闇に紛れるなにかはこちらに向かってきているようだ。

 足が地面に縫い付けられたかのようにその場から動くことが出来ず正体が現れるのを待った。するといきなりこれまで何度も聞いた大きな悲鳴が上がり、川崎さんは来た道を引き返すかたちで駆け出してしまう。追いかけなくてはと思いつつも茂みに一度視線を戻した僕は数秒遅れで視認した。暗い森の中に女性が一人ポツンと立っていたのだ。顔はよく見えなかったが長く伸びた髪が柳のように揺れ、白い何かを持っているようだった。

 登場するには遅すぎないかと引っ掛かる点もあったが、いまはそんなことどうでもいいと逃げ出してしまった川崎さんの後を追う。数メートル離れたところで足がすくみ彼女は豪快に地面にダイブしてしまった。すぐに追いつくことが出来きた僕はなんとか落ち着かせようと声をかける。

 平静を装いながら言葉をかけていると先ほどの茂みが揺れた。二人の目が吸い寄せられ、こっちに来ないでくれよと祈りながら姿が現れるのを待つ。女性のシルエットが道の真ん中に立つと川崎さんは僕の腕にしがみついた。今日一番の動揺を見せる彼女をいざとなれば身を挺してでも守ろうと身構える。しかし立ち止まったままの女性は身を半分に折りこちらにお辞儀をしたかと思うと、ゴールの方向へと走り出した。

 どういうことかまったく理解できなかったが、謎の女性が何事もなくいなくなり指先から足先まで神経を集中させていた僕は張りつめた糸が切れるように気が抜けた。


「ごめんね、取り乱しちゃって」


 安堵の息をついていると、落ち着きを取り戻した川崎さんが涙目になりながら申し訳なさそうに口にした。まったく気にしていないと伝え、そんなことよりも足の状態のほうが心配で彼女に尋ねる。


「ちょっとひねっただけだから大丈夫」


 苦笑いを浮かべつつも一人で歩けると言われたが僕は不安げな表情を浮かべる。心配性の男子生徒に本当に大丈夫だからというように満面の笑みを川崎さんは浮かべた。こんなときまで気を使わせてしまってどうすると情けない自分を蹴り上げる。手を差し出し優しく彼女を起こすと、ゆっくりとした歩調で僕たちはゴール地点へと向かった。




 

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