第7話 親睦会2

 二人の可憐なデュエットは終わりを迎え、いよいよ僕の番が回ってきた。アンコールと囃し立てる大西君を横目に暴れる心臓をなんとか鎮めようと努力するが、一向に静まる気配がない。うるさいと一言で騒ぐ大西君をはねのけた川崎さんからマイクが手渡される。僕はマイクを受け取るとジュースを一気に飲み干し、その場に立ち上がった。全員から目を向けられ足がすくむ。モニターに曲のタイトルが表示され伴奏が始まった。ここまで来たらもうなるようになれと、思うがままに歌い出す。

 最後のフレーズを歌いきるとタンバリンやマラカスの音が鳴り響いた。歌っている間はずっと目を閉じていたのでずっと不安だったが、現状を見るにそれなりに受け入れてもらえたようで胸を撫でおろす。数分前まで緊張感で押しつぶされそうだった体は解放感に包まれ、味わったことのない快感に身を支配されていた。役目を終えたマイクを机に置きソファへともたれかかると、入れ替わるように川崎さんが立ち上がる。


「もう残り一時間ないよ、みんな歌って歌って」


 彼女の号令を皮切りに室内のボルテージは一気に最高潮と化していった。一曲歌ったことでためらいがなくなり曲を入れようとタブレットに手を伸ばすと空のグラスが目に入る。のどの渇きも忘れていたことに気がつき、歌う前に少し休憩とグラスを手に部屋を出た。扉の向こうは別世界のように静かで、いつもの日常に戻った感覚となる。

 ドリンクバーでジュースを入れ部屋へ戻る途中、誰もいない小さなゲームコーナーの端に休憩スペースを見つけ座った。始まってまだ一時間というのに気を抜くとどっと疲労が押し寄せてきたが、悪くないと思ってしまう。瞼を閉じ中学生のころは高校生になってこんなにもにぎやか空間にいられるなんて思いもしなかったなと、カラオケボックスの景色を思い浮かべた。太ももの上に乗せているグラスがひんやりとして心地よい。僕はいまどんな表情を浮かべているのだろう。


「主役がこんなところでにやにやしてなにしてるんだか」


 僕はどうやらにやにやしていたらしい。目を開くと奇異の目でこちらを見る川崎さんが立っている。誰もいないことをいいことに長椅子のど真ん中に座っていた僕を、手を払う動きで端へと移動させると川崎さんは隣に座った。

 彼女は何をしに来たのだと隣をうかがうと、「ここ涼しいね」「あのゲーム面白そう」と呑気な声を上げ周りのものに興味津々だった。かと思えば急にこちらに向き直り目線がぶつかった。目線のやりばに困っていると先ほどまで目を輝かせていた彼女は真剣な顔つきになり口を開く。


「今日楽しめてる?もしかし歌うの嫌だった?」


 発起人である川崎さんの表情には陰りが見えた。僕は歌ったことを後悔など全くしていない。しかし彼女からすれば半強制的に歌わせる形となり、歌い終わって部屋を出て行った僕がなかなか戻ってこず不安になったのだろうか。だとしたらいらぬ心配をかけてしまっている。


「こういう雰囲気に慣れてなくて歌うのは緊張したけどすごく楽しかったよ。親睦会をやろうって言ってくれて本当にありがとう」


 なんとか心労を拭い去ろうと、持ち合わせが少ない語彙力を紡ぐ。ほとんどただの感想になってしまい、もっと気の利いたことを言えればと落胆する。それならよかったと笑みを浮かべた彼女の表情は日が差したようにいつもの明るさを取り戻してくれた。


「ノリで親睦会やろうって言い出したこと、歌わせたこと、結衣ちゃんのこと、いろいろ心配しちゃった。深田くんって断るの苦手そうだし」


 僕が知るいつもの調子を取り戻し、饒舌さが息を吹き返すと川崎さんは胸のつっかえを吐き出した。ついでに僕の性格もよく理解していらっしゃった。本当に申し訳ないと感じつつなぜか不安の種に柳さんの名前が含まれており、「柳さんのことって?」とつい聞き返してしまう。


「二人きりのときほとんど話さなかったって結衣ちゃんから聞いて、それに誘っていいか聞いたときも深田君気まずそうに見えたから」


「そうだったかな、気のせいだよ」


 僕は曖昧ににごした。他人の表情とか心情を細かいところまでよく見ているなと感心してしまう。いま目の前にいる人物に自転車を奪われたのが嘘のように思えてしまった。川崎さんとの出会いを思い返している間も、彼女は訝し気に細めた目でこちらに本当はどうなのかと訴えてきている。ずっと見つめられると落ち着かず、僕はキョロキョロと目線だけを移し挙動不審な動きをしていた。


「おい川崎、つぎお前が入れた曲だぞ。とばしていいのか」


 突如かけられた声のほうへと川崎さんは振り向き僕は追及を逃れる。彼女の背後を見るとこちらに向かって歩いてくる氷室君の姿があった。


「ごめんごめん、すぐ戻る」


 にこやかに返事をする川崎さんだったが、急に勢いよく立ち上がると氷室君のもとへと駆け出した。


「なに結衣ちゃんと大西を二人きりにして出てきてるのよ」


 氷室君は呆気にとられた顔をしていた。さすがに理不尽すぎると同情せざるを得ない。ここまでずっと柳さんのボディーガードとして立ち回る姿を目にしてきたが、そこまですることなのかと疑問だった。

 問い詰める暇さえ惜しいと彼女は部屋まで走り去ってしまう。静けさを取り戻した廊下にため息が一つこぼれた。立ち尽くす氷室君のもとへと向かったがかける言葉が見つからず、なんともいえない視線を向ける。沈黙に耐え兼ねて「僕たちも戻ろうか」と声をかけ歩き出すと、背後からもう一度ため息が吐かれ二人で部屋へと戻った。

 扉を開けて聞こえてきたのは歌声ではなく「遅い」と僕たちに向けられた不機嫌な声だった。八つ当たりするかのような口ぶりの川崎さんが不貞腐れる原因をすぐに理解する。彼女の対面では今もなお大西君が今日一番のテンションで柳さんと会話を続けていた。訪れたチャンスをやすやすと手放すわけもなく、大西君は抵抗し守り切ったのだろう。

 ちょうど歌い終わったタイミングだったらしい彼女から、もう疲れたという弱音がこぼれ僕はマイクを受け取った。流れ作業のようにマイクを氷室君に差し出したがマイクが手から離れることはなく、僕は川崎さんの隣りにすわるとタブレットを操作し選曲する。

 なんの緊張感もない人生で二度目のカラオケは、あっという間に歌いきっていた。その後はなぜか僕がほとんどマイクを握り続けヘトヘトになる。のどの限界が近づいてきたころ、備え付けのインターホンが鳴り響きカラオケの時間は終了となった。

 

 数時間ぶりに太陽の光を浴びて川崎さんは外に出るなり心地よさそうに大きく伸びをした。僕もつられて彼女の姿勢を真似てしまう。お風呂上りに冷たいものを一気飲みしたような充足感が押し寄せてきた。みんなで同じ感覚を共有しているのだと思うと、さらに心は満たされていく。

 カラオケを終えた僕たちはファミレスに入り、たわいもない話で盛り上がった。楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り親睦会は幕を閉じるのだった。

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