第3話 新たなクラスメイト

 逃げるように黒板の前までたどり着き、座席表を確認する。今も背後からは誰かに見られているよ言うな気がしてならない。振り返えって教室に配置された机を見渡し、自分の机の場所を把握する。身を小さくした僕は自分の席へとまっすぐ向かった。

 誰からも声はかけられず、鞄を机の上に置き椅子の背もたれへとだらしなくもたれかかる。一つ大きく息を吐くと一気に気が抜けた。まだ登校しただけというのに体は疲労困憊だ。今日はもう何事もなく平穏に過ごせますようにと、見慣れない天井を眺めながら祈った。


「朝から川崎につかまるなんて災難だったな」


 ぼけっと天井のシミを数えながらつかの間の休息を謳歌していると、前の席から声が飛んできた。僕は慌てて姿勢を正し、視線を合わせる。キリっとした切れ長の目が特徴的でクールな雰囲気を纏う男子生徒だった。川崎という名が胡桃髪の美少女かつ自転車泥棒と理解するのに数秒。そういえば彼女は自転車の鍵から僕の名前を知ったようだが僕は彼女の名前すら知らなかったことを思い出す。遅すぎる自己紹介を本人以外から受け、僕は曖昧に返答をした。


「まあ、ちょっといろいろと」


 これではなにも伝わっていないだろうなと思いながら、顔に苦笑いを浮かべる。僕の苦労を察してくれたのか特に追及されることはなかった。


「いきなりで悪い。俺は氷室直哉、桐原中出身」


「深田大輔、朝倉中出身」


 よろしくとお互いに簡素な挨拶を交わす。川崎さんとは違いすぐに自己紹介をしてくれた。いきなり初対面に話しかけられるコミュ力があり気遣いまでする余裕がある彼を僕は素直に尊敬する。


「朝倉中ってことは柳 結衣と同中か。すごい可愛いって噂の」


 氷室君に羨望の念を抱いているとまた別のところから声がかけられた。今日は次から次へと人が現れる。これでは心も体も一向に休まらない。氷室君の隣りへと姿を現したのは坊主頭の男子生徒だった。柳 結衣という名前はもちろん知っている。朝倉中の生徒であれば知らないほうが珍しいくらいだ。毎日手紙が下駄箱に置かれていたとか同じクラスになった男子生徒全員から告白されたと本当か嘘かもわからない噂が校内で流れるほどの美人だ。まさか他校にまで広まっているとは。


「お前は初対面に馴れ馴れしすぎるんだよ。こいつは大西春樹、俺と同じ桐原中」


 悪いなと断りをいれて氷室君は僕が野球部員であろうと勝手に決めつけた男子生徒を紹介してくれた。紹介を受けた大西君は指を二本立てピースサインを作りながら「よろしく」と笑みを浮かべている。


「で、実際はどうよ。どれくらい可愛いいんだよ」


 紹介を終え再び柳さんの可愛さについて追及してくる大西君。初対面とは思えない距離感に僕はたじたじになる。そもそも柳さんとは一年生のときに同じクラスになったことがあるくらいの接点しかなく、それ以降の彼女の容姿をしっかりと見たことがない。


「一度見てみたかったぜ、朝倉中の女神様」


 僕が押し黙っている間にも大西君は一人喋り続ける。彼女の存在は女神の域まで達してしまったと柳さんを崇拝する大西君の姿を思い浮かべていると、彼の発言に引っ掛かる点があることに気が付く。


「見てみたかったって、もうすぐ見れると思うけど」


 大西君は目をパチパチと瞬きを数回しながら固まった。彼と視線がぶつかり僕も数回瞬きをする。目でモールス信号を送り合い通信ができるなんてことはなく、まぬけな顔が見つめ合っているだけだった。


「柳さんて同じクラスじゃないの」


 あらかじめ昇降口で確認したクラス表を思い出しながら逆に問う。彼女の進学先を知っているわけではなかったので絶対に本人である確証はなかった。いらぬ期待を煽ってしまったかなと少し罪悪感が芽生える。


「まじか。これは神様が与えた俺へのチャンス」


 なにがどうチャンスなのだろう。両手の拳を握りしめ歓喜しているお調子者を僕は冷めた目で見つめる。陽気なテンションに戻ったかと思ったが、またすぐに大西君はおとなしくなった。彼は僕が教室に入ってきた方向と同じドアの位置を見つめて固まっている。視線の先が気になり追う。大西君の視線を釘付けにした正体は教室に現れた女神様こと柳結衣の存在だった。

 教室内の視線を一身に向けられた柳さんは立ち止まり、表情を困惑に染めている。初対面で彼女に話しかける猛者はおらず、大西君すらもただただ見ているだけで動けずにいる。柳さんが再び歩き出し、肩の位置より長い黒髪が揺れた。男子生徒は彼女の姿を視線だけで追う。座席表を確認し彼女は自分の席へと座ると同じタイミングで予鈴が鳴った。まるでなにかに取りつかれたかのようにその場に立ち尽くし視線だけを動かしていた男子生徒たちは、鐘の音によりようやく解放されたといわんばかりに慌てて動き出した。

 自分の席へ戻った後、すぐに体育館へ移動するために廊下へと整列の号令がかかる。体育館に集められた生徒は一年生だけだったが八クラスともなると人数の多さに驚いた。一学年で中学校の全校生徒とほとんど同じ人数である。校舎の規模も人の数も桁違いだと実感しながら、校長先生と生徒会長のありがたい言葉を聞き終え入学式は終わった。

 再び教室へと戻りクラスメイトの自己紹介、一年間の大まかなスケジュール確認などをおこない朝からの目まぐるしい展開が嘘のようにホームルームの時間は終わりを迎えた。


「それでは、これから一年間ともに楽しい思い出を作っていきましょう」


 締めの挨拶を終えた担任の先生は教室を開け出て行った。半日のスケジュールが終了し解放感に包まれる。クラス内ではすでにグループが出来上がり雑談に花を咲かせているところがちらほら見てとれた。配布されたプリント類を鞄へしまい、来た時とほとんど重さが変わらない鞄を手に教室を出る。三階分の階段を下り長い廊下を歩き下駄箱で靴を履き替え、外に出た瞬間ある重大な問題が一つ残っていたことを思い出した。

 僕は慌てて教室へと引き返す。まだ彼女が残っていることを祈るばかりだ。廊下を小走りで階段を一段飛ばしで駆け上がった。最速で教室までたどり着いたが川崎さんの姿はなく、他クラスも見て回ったが無駄足に終わる。唯一僕の自転車のありかを知っている彼女から聞き出すことが出来ず、迷宮入りとなった。自転車を一台一台確認していくのも面倒なので、他の生徒が下校するまで教室で待機する。しばらく時間をつぶし自転車小屋へ向かうと自転車は片手で数えられるくらいしか残っておらず、狙い通りすぐに自分の自転車を見つけた。最後の最後で一難あったもののこれでようやく平穏な日常へと戻ることが出来る。清々しいほどに晴れ渡る空の下、半日の出来事を振り返りながら自転車をこぐ。川崎さんはどうして自転車が必要だったんだろうと疑問が一つ浮かび上がった。


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