第2話 再開

 朝から全力ダッシュすることとなった僕はなんとか遅刻することなく校門前までたどり着いた。朝から現れた美少女はだんだん自転車泥棒へと脳内変換され、次に会うことがあれば小言の一つや二つ言ってやりたい気分だ。

 校門を通り抜け昇降口まで歩く。入り口手前で人だかりを見つけ最後尾へと加わった。ここに集まる生徒のお目当ては大きく張り出されている八枚の紙のようだ。前列では張り出されたクラス表を確認した生徒が何組だったかを友達と共有する声が聞こえてきた。最後列にいる僕はここから自分の名前を探し出せるほどの超越した視力を持ち合わせているわけもなく、前列の生徒がはけていくのを待つ。まだ鼓動が早い心臓を落ち着かせながら周りにいる生徒を見渡す。知らない顔つきばかりで新しい学校生活の始まりを実感した。

 少し待って名前が確認できる位置へ移動し一組から順に探し始める。まさか八クラス全部確認することはないよなとフラグじみたことが頭をよぎった。嫌な予感は的中するというもので二組まで見終わり嫌な汗が背中を伝う。しかし幸いなことに三組で名前を見つけ安堵の息がこぼれた。クラスメイトの名前を軽く眺めてから生徒の合間を抜けて下駄箱へと向かう。

 靴を履き替え校舎に足を踏み入れる。教室までの道順は廊下に張られた赤い矢印が教えてくれたので迷うことなく進むことが出来た。一年生の教室は三階建て校舎の最上階となっており、三階分の階段を上り教室へとたどり着く。下駄箱から階段までの距離も離れていたのでこれはこれから一年間移動だけでも大変そうだ。

 教室に着いたときには緊張や興奮は掻き消え、疲労感が体を支配していた。教室後ろのドア前で新しいクラスを眺めていると黒板前に立っていた先生の声が耳に入る。


「登校した生徒から黒板に座席表が貼ってあるので確認してください」


 今すぐにでも空いている席へと座り込みたい欲求を我慢して、重い足を進める。机の間を通り抜け教室の真ん中あたりまで進んだところで僕の足は止まった。


「あ、さっきの猫くん」


 いきなり声が発せられ思わず立ち止まってしまう。聞き覚えのある声ではあったが聞き流し、再び黒板前へと向かう。猫君なんてあだ名なのかもわからない呼ばれた主の顔を想像しながら足を数歩踏み出したところで僕はまた止まった。右腕の袖が掴まれ進めない。無理やり振り払うこともできず振り返ると、胡桃色の髪をした女子生徒が座ったまま僕の袖を握っていた。


「さっきは助かったよ、自転車貸してくれてありがとう」


 僕を猫君呼ばわりしたのは満面の笑みを浮かべる自転車泥棒さんだった。彼女の中では自転車は僕が貸したことになっているらしい。このときばかりは彼女に見惚れることなく言い返す。


「初日から自転車を盗まれるなんて思わなったよ。おかげでもう帰って寝たい気分だ」


「盗む? 私はちゃんとお願いしたよ。それにあとで絶対に返すって言ったよね」


「返すって言われても信用できない。そもそも僕は一言も貸すなんて言ってない」


 疲れ切っていたことで脳に言葉を考える余裕もなく本音が自然と口から出てくる。彼女から漂ういい香りがリラックス効果をもたらしてくれたことも要因だったかもしれない。僕は今、美少女と会話のラリーを続けられていた。ほぼ初対面の美少女に内容はどうあれ内心でガッツポーズをする。


「はいはい、でも私はいま目の前にいる。もし今じゃなくても名札の色から一年生って分かってたし、鍵に名前が書いてあったから絶対に返せたよ。深田君」


 彼女は僕の名前が書かれたキーホルダー付きの鍵をこちらに見せながら、猫君ではない本当の名前を呼んだ。貸した貸していないについては触れられなかったが、返せる確信があったことは分かった。見惚れて同じ制服を着ていたことすら見ていない僕とは大違いだ。しっかりと返す意思があったことは伝わったのでこれ以上愚痴を言うのはよそう。

 最後に自転車の鍵を返してもらおうと右手を差し出す。彼女は一度怪訝な表情を顔にまとったが、すぐにくりくりした目は見開かれ笑みをこぼした。僕の右手と彼女の左手が重なる。手の中に鍵はなく空気のみだった。次第に空気はつぶされ手と手が密着する。僕は頭が真っ白になった。


「これで仲直り。これから同じクラスなんだからよろしく」


 なぜか握手をしている現状に理解が追い付かない。仲直り?これが仲直りの握手というやつか。小学生くらいなら分かるが高校生にもなって、しかも教室の真ん中でこれは恥ずかしい。僕は壊れたロボットのようにまた言語回線がおかしくなった。


「い……いや、そ……そ…そういうつ……つ……もりじゃなくて……」

 

 言葉はとぎれとぎれで最後はほとんど息だけになってしまい伝わているのかも怪しい。現にいきなりおかしくなった目の前の男子生徒をみて胡桃色の髪が首を傾げる動きと一緒に揺れた。一刻も早くこの場所から消え去りたかったが、ここで自転車の鍵を返してもらわずにまた後で声をかけられるのかとわずかな理性がささやく。


「ただ自転車の鍵を返してほしかっただけ」


理性に従い、僕たちに向けられているであろうクラスメイトからの視線に耐えながら一気に言葉を言い終えた。


「それならそう言ってくれないと。はい、これ」


一応握手をした張本人であるはずなのに羞恥心などは一切窺えず、呑気に笑っている彼女は僕の手の上に鍵を置く。受け取るやいなや鍵を握りしめ、ありがとうと早口で言い残し黒板まで速足で向かった。


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