一二一 恋をしたから




 びっくりしたのでつい根掘り葉掘りしたが、トリガー・カタプルタスの話は本筋ではない。


 あらためてトカクは、学院であったことをユウヅツに説明した。クラリネッタの件は最重要事項であり必須の情報共有だ。


「ええっ。イヤな話ですね!」と世間話みたいな反応のユウヅツに、思うところはあれど同意する。いびられている同級生がいるのは、こちらの損得を度外視しても気持ちのよい話ではない。


「とはいえ」

「とはいえ?」

「冷静になってみると、『ゲーム』の『攻略対象』としてのクラリネッタの情報をおまえから聞いた時点で、知っていた話ではあったんだ。クラリネッタが学院および家で冷遇されているというのは」


 というトカクの言葉に、ユウヅツは虚を突かれた顔になる。


「……そうですね。そういえばって言うのも変ですが、……そういえば、そうですね?」


 クラリネッタ・アンダーハートのキャラクターならぬ、パーソナリティ。彼女を取り巻く環境。

 最初に聞いた時に、そういうものと思って流していた。


「なのに現場を目の当たりにしたら、おどろいてしまった。ボクはどこか、クラリネッタのことを人間扱いしていなかったというか、万能解毒薬が入った箱、うまく叩いたら開く箱みたいに思っていたようだ」

「すごい表現ですね」


 おっしゃることは分かりますが。とユウヅツ。


「……クラリネッタ嬢が嘲笑されていたという話が、『ゲーム』のテキストを読んでいた時の印象より、双方のお顔や人となりを知っているぶん生々しくなって、……それで、うわーイヤな話だなと咄嗟に叫びましたけど、知っている話ではあったんですね」


 そう。

 学院の人間関係だけでない。トカクは(そしてユウヅツも)ゲームの知識により、クラリネッタの事情を網羅していると言っていい。


 物語でなく現実と思えば、クラリネッタの生い立ち、家庭環境は同情を禁じ得ないものだが、トカクは(そしてユウヅツも)、彼女を実家から守ってあげようみたいな発想にはまったくならなかった。思いつきもしなかった。


「自分が無意識に、こんなにいろいろなものを『自分には関係ない』で切り捨てていたとは、まったく思いもよらなかった」

「…………」


 ハナが、クラリネッタとチュリーのことは関係ないから首を突っ込まなくていいと『ワタクシ』を止めた道理が、今はよく分かる。

 本当に、心の底から、関係ないだろうと思っていたのだ。


「……自己弁護のために言い訳をすると、クラリネッタのことを守る助けるの対象にすれば、こんな難題もないんだよな」


 クラリネッタを彼女の不遇から助けるための、短絡的な手段として、たとえば『彼女を虐げる家族から引き離す』とする。

 それにより少なくとも、妹と差別されて家族の中でのけ者にされる苦痛から遠ざけることはできる。


 しかし彼女は大国の貴族、伯爵令嬢なのだ。


 これは『伯爵家から引き離すには手間と時間がかかって大変だ』という話ではない。『伯爵家から引き離した、その後は?』の話だ。


 ありえない話だが、もしクラリネッタを虐待被害者として大瞬帝国で保護したとして。

 その後の生活って、本当に今の伯爵家よりマシか?


 伯爵令嬢の身分を無くし、不明な言語の見知らぬ土地でクラリネッタはどう生きるのか。


 極論、紙で仕切った部屋で床に布を敷いて眠るというような帝国文化になじめなかったクラリネッタが、これなら実家の方がマシだと思わない保証がない。

 食事が合わないというだけで王国が恋しくなる日もあるだろう。


 ……それらの問題を『ゲーム』では、「保護じゃなく嫁入り」「大好きな人と一緒にいられるんだから別にいいよね」で片づけている。恋愛のパワーを思い知る。


「いや、殿下。あまりクラリネッタさんを気遣えていなかったのは、未来を知っているせいでもありますよ。ほら、ゲームで『主人公』と恋愛的に結ばれない友情エンドでも、クラリネッタさんって、「学院を卒業後、国内の商人と結婚。幸せに暮らしていると手紙が届く」なので。いずれ幸せになると知っているぶん、緊迫感はないですよね」


 そうなのだが、今この瞬間に困っているであろう相手を、あともうすこし困っていれば全部よくなるからと言って放置するのは、本人にとってはたまったもんじゃないだろうな。


 ……そして、その『友情エンド』は、やはり「惜しくもゲームクリアならず」って感じだし、たぶんバッドエンドだ。ユウヅツの語り口が軽いせいで分かりづらかったが。


 恋愛を主軸に置いた物語で、ヒロインが自分でない男と結ばれるというのは結構エグみのある甘酸っぱさと言うか、かなりビターな結末に違いない。


 しかしながら恋愛感情にもとづく独占欲や嫉妬心と無縁の夕也は、「幸せになったんだ、よかった~」で腹の底から祝福してしまう。そういうことだ。


 登場人物の気持ちを読めよ。


「……それはともかく。逆に、楽観的に考えてみるとさ。今って、クラリネッタから万能解毒薬をもらいやすくなってる可能性もないか?」

「?」

「こう……奴が困っているところをボクが、もしくはおまえが助けて、恩を売って……それに感謝したクラリネッタが、万能解毒薬をあげようって思ってくれたりしないかなと。わざわざ時間かけて友達になんなくても、もらえたりしないかなと」


 とトカクは説明したが、なんか自分があまり良くないことを喋っている気がしてならなかった。


「んん……、それは、難しいんじゃないですかね」

「倫理的な問題で?」

「いや、倫理でなく、実際のところ」


 と真顔で言ったユウヅツは、次のセリフも真顔で言った。


「まず、困っている人を助けるなんて、当たり前のことじゃないですか?」


 …………。

 当たり前のことを当たり前のように言われたが、あまりの浮世離れにトカクは呆気に取られた。


「ですから困っている時に助けてもらうのも、当たり前のことじゃないですか。万能解毒薬を贈与してしまうほどのことでは、ないじゃないですか?」

「……いや。いやいや、当たり前のことだからと感謝しないなんて、それこそ当たり前じゃない非常識だろ」

「そりゃ感謝はするでしょうが……」


 ユウヅツは説明の仕方を考えるそぶりをした。


「万能解毒薬って、クラリネッタさんにとってはお祖母様の形見でしょう。『ゲーム』で見ましたが。それでなくとも、家族から冷遇されている彼女が持つ数少ない私物で、財産で、宝物と言っていいアイテムだと思うんです」

「うん」


 それを奪おうとしているボク達だが、そこはもう考えないことにしている。


「それを差し出すのに、困っているところを助けてもらった程度のことでは、釣り合わないと思うんですよ」

「…………。ええーーっ……?」


 そうかぁ? トカクは首をひねる。


 正直、「お友達になった程度のこと」で譲渡するというのも、トカクにはあまり共感できなかった。ので、共感のできなさで言えばどっちもどっちだ。

 しかしユウヅツには、「あれは分かるけどそれは分からない」という線引きがあるようだ。


「友達がいたことない人はいますけど、誰からも助けられたことがない人って、いないと思うんですよ」


 性善説じみたユウヅツの思想を聞かされる。


 いや、分かんないけど、いるんじゃねーの……? クラリネッタがそうとは限らないが。

 誰にも助けられたことがない奴もいるんじゃん?


「助けられた自覚がないまま生きている人もいるでしょうが。そういう人は助けられても助けられたと思わないので、お礼とか無いんですよ」


 ……無知の知みたいな話だ。


「クラリネッタさんが、困っているところを助けてもらった程度で万能解毒薬を渡してしまうひとなら、もう彼女の手元に万能解毒薬は無いはずです」


 というのは、たしかに納得できる理屈だった。


「通りすがりの親切な他人じゃなく、隣に居座る親身な友達だから、万能解毒薬をプレゼントする気になったんだと思います」

「…………」

「……ええと」


 トカクの無言をどう捉えたのか、ユウヅツは更なる説明を開始した。


「殿下がもしも迷子になって困っているところを、通りすがりの親切な方が助けてくれたとするじゃないですか。……いえ、殿下は迷子にならないので例え話ですよ?」

「べつにそこに目くじら立てねーよ。続けろ」

「殿下、お礼として宝物を渡したりします?」

「……宝物の定義によるが」


 たしかに、私物や私財を渡すイメージが湧かない。謝礼用に用意させた物品あるいは金銭を渡すだろう。というか欲しいもの必要なものを本人に聞くと思う。

 なんなら、道案内してもらった程度なら「助かったぜ! ありがとな」の一言で済ませかねないが。


「宝物っていうと、たとえば殿下の妹君そのひとですけど」

「渡すわけねーだろ狂ってんのか。物扱いするな」

「殿下、妹君を任せるとしたら、通りすがりの親切な人でなく、信頼できる友人とかになるでしょう」


 コイツ自分の話してる?? ウハクを任せるなら信頼できる友人って。

 トカクは目を見張ったが、ユウヅツは本気で他意が無さそうだった。アホがぼんやり喋っているだけだった。


 ……こいつ顔のつくり自体は賢そうなんだよな……そのせいで騙されかけるが、何も考えてない時の表情だこりゃ……。


「というわけで、クラリネッタさんとはある程度、こう、親密にならないとって思います。恩を売るとか礼をさせるとかではなく」


 とユウヅツの話が着地した。


 トカクは。


「……じゃあ……。……おまえ、復学したら……頼んだぞ」

「クラリネッタさんとお友達になる件ですよね? がんばります」

「…………」


 トカクは考える。


「……なあユウヅツ。クラリネッタは生まれて初めて『お友達』ができたことに感激して、『主人公』に万能解毒薬を譲渡する予定なわけだが」

「はい」

「その情報、信用していいのか?」


 ??とユウヅツは首をかしげた。


「ボクはゲームをプレイしたわけじゃない。おまえから話を聞いただけだ。シナリオの流れを、おまえは細やかに話してくれたけど、おまえの解釈が混じっているんじゃないか」

「? ……と言われましても」


 どういうことですか?とユウヅツはピンときていない態度だ。


「クラリネッタって、マジで「お友達だから」万能解毒薬を渡したのか? 「恋をしたから」じゃなくて?」

「え?」


 これまでやってきたことをひっくり返すような仮説だった。


 しかしトカクはピンときてしまった。

 夕也が登場人物の機微に気付かなかっただけで、これ、そういう話だったんじゃないか?


 クラリネッタという少女が、自分に親切にしてくれる主人公に好意を抱き、恋愛的なアプローチとして万能解毒薬を——私財どころかマトモな私物すら持たない彼女の唯一の宝物——を手渡す。

 その後の交流で、結末ふたりが結ばれるか何もないまま卒業するかは変わるが。その時点で、クラリネッタの方は既に主人公を好きだったんじゃないか?


「…………」


 絶望じみた目の色で絶句したユウヅツを見て、トカクは自分が言わなくていいことを言ってしまったと察した。言っても仕方のないことを。


「いや、ちょっとした思い付きだ。忘れろ」

「…………」

「あ、そうだ。ユウヅツ。ボク、以前にホラ、カタプルタスの野郎に手にキスされたろ。忠誠がどうとか言って」

「えっ、あっ」

「あれ、どういう意図があったかって、本人に聞けたか?」

「聞きましたが、それは、殿下の前ではとても口にできません」

「ボクに言わなくて誰に言うんだよ、何を聞いたんだよおまえは」


 本当に何を聞いたんだ。




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