一二二 謝りたくなさすぎる




 翌朝、トカクはいつものようにスッキリ目覚めて学院へ向かう馬車に乗った。


「いいですか姫様。チュリー・ヴィルガ王女に謝って、仲直りしてくださいね」

「わかったわかった。わかったって。ワタクシを何だと思っているんだ、ハナ。国の為だろ? わかったって。ワタクシなんかの頭くらい、いくらでも上げ下げするさ」

「いけませんよ姫様。上げ下げという言い方では、誠意がないように聞こえますわ。……とにかく、王女に許していただくのですよ」


 わかったって。とトカクはうなずく。

 というか実際に誠意がないゆえの言い方をしたのだが、『ウハク』の人柄のせいでわざとではないと思われてしまった。つまりウハクの失敗だと。……あああ。


 ……クラリネッタについては、クラリネッタの前でチュリーに楯突いたことで『義理は果たした』と思うことにした。いびられていたクラリネッタのために声を上げた『ウハク』の精神性を、ちゃんと見てくれたと信じて。


 トカクの方からは無理して接触せず、ユウヅツに任せよう。ユウヅツの手腕に。


 なので、ここからは後処理だ。ライラヴィルゴ陣営に対する余計な真似を謝罪し、チュリー・ヴィルガの傘下に入りなおす。


「チュリー・ヴィルガ王女には、昨日、弁明にうかがうと私のほうから伝えましたから。……そうそう、手土産は持ちまして? コノハさん」


「ええ、ここに」とコノハが風呂敷を掲げた。


 それを横目に、トカクは思考した。


 ……謝るようなことはしていないが、謝らなければいけない必要性は分かる。チュリー・ヴィルガの庇護を今さら失うのは惜しいし、国の為と説かれれば是非もない。


 悪いことしたヤツに怒って何が悪いんだ?と思うが。

 しかしトカクは皇子だ。しがらみの多さではハナにも負ける気がしない。政治のために思ってもいないおべんちゃらを並べるのも慣れている。


 謝ればいーんだろ謝れば。

 トカクは居直る。


 精一杯かわいく申し訳なさげに、なるべく健気に見えるよう肩を落としてやるさ。

 得意だ。いつもやっていることを、チュリー達の前でもやるだけだ。


 馬車が動き出した。




 学院に到着した途端、ライラヴィルゴのご令嬢達に「チュリー様がお待ちですよ」と連れられた。


 校内にいくつかある、チュリー・ヴィルガのサロンのひとつである。


 ライラ家の紋章がかかっている扉。ライラヴィルゴ王室の所有する部屋なのだが、現在、学院に通うライラヴィルゴ王族がチュリー・ヴィルガただひとりのため、すべてチュリーが好き勝手に使っているという……。


 まあ、何度も訪れたことがあるので、今さら説明することでもない。


「…………」


 これから仲直りするというなら、今あまり馴れ馴れしくするのもおかしいか。という配慮から、トカクは初対面の時にしていたような礼儀を意識して入室した。わきまえねば。


 チュリーは部屋の真ん中の椅子にゆったりと腰かけている。ひろげた扇で顔の下半分を隠して、細めた瞳だけトカクに見せていた。


「あらウハクさん。他人行儀はよして? 私とあなたの仲じゃない」

「ありがとうございます」

「今日は、何か私に伝えたいことがおありなのよね? お話して?」


 話が早い。


 トカクは居住まいを正した。


「……チュリー様、昨日は大騒ぎした挙句、勝手に帰ってしまい、申し訳ありませんでした。皆様にも失礼な態度だったと、反省しております」

「あら! いいのよウハクさん。本音でお話したいって、私いつも言っていたじゃない? そうしてもらえてうれしいわ」

「ええ、しかし、急にワタクシがチュリー様を責め立てるような真似をして、きっとおどろかれたことでしょう……。本当に、申し訳ございませんでした」


 と言いながら腰を折るのは、チュリーの機嫌を損ねず済んだらしく、チュリーは扇のうしろでニコーッと笑んだ。


「気にしてないわ! それで?」

「昨日の差し出がましい振る舞いを、正式に謝罪させてください。ライラヴィルゴ王国内の、…………、…………、……クラリネッ……、…………」


 急に言葉に詰まりだしたトカクを、まず見咎めたのはハナだった。心配の圧を横目で感じながら、「謝ればいーんだろ謝れば!」と念を送る。おそらく通じていないが。


「くっ……、クラリネッタさんが……っ、昨日……お転びになったのを……、心配したあまり……チュリー様のご友人の皆様にもっ、言いがかっ、りをぉ……」


 どうにかしぼり出したが、肝心なところがまったく声にならずトカクは苦しむはめになった。


 そこでようやく、トカクは己の気持ちを悟った。


 あ、謝りたくねえ~~~~~~。


 イヤ過ぎて、知らないうちに手に汗を握っていた。


 謝りたくなさすぎる。


 百歩譲って、昨日のトカクの対応が良くなかったのは認める。わめいてキレ散らかして捨て台詞を吐いて去った昨日は、たしかにすまなかったなと思う。


 でも、クラリネッタを――自国の伯爵令嬢をおもしろ半分でいびって遊ぶなんて悪党のやることだし、それを止めないチュリーも悪い。王女なんだから。

 王女なんだから、上に立つ者として、弱きを助け尊重するべきだ。それがチュリーのためになるし。


 王女と言っても十二番目で、継承権もなく、今後の縁談や異動によっては身分なんかいくらでも下落するのに、敵を作るのは危ない。

 悪女の汚名は間違いなく彼女の未来に影を差す。お姫様だから仕方ないねで許されるのは、お姫様の間だけだ。


 感情的になっていたのは良くなかったかもしれないけど、怒ったのは間違ってなかった。


 それを絶対に謝りたくないのだと、トカクはここに至って自覚した。


(バカか! 謝ればいーだろ謝れば!)


 と自分で自分を罵倒するが、いまいち口がまともに動いてくれなかった。舌を噛み千切りそうになる。


 ……チュリー・ヴィルガはどうしようもないワガママお姫様で、彼女は、自身の行き過ぎた行動を注意してくれる人間ほどうざったがって遠ざけてきた、ので。まわりにいるのは『都合が良いので便乗するやつ』と『仕方ないかとあきらめの目で見守っているやつ』だけだ。


 そしてトカクも、どちらかと言えば都合がいいからと便乗してきた性質だ。

 それはいい。周りに人がいるだけいい。


 しかし、ここでトカクまでも仕方がないかとあきらめて見守ることにしてしまったら、もう矯正できない気がする。


 矯正したいなんて本人は思っていないのだろう。最近トカクにちょっとたしなめられて、言うことを聞くごっこ遊びをしてはいたが。

 が、直した方が絶対にいい。


 どれだけ身分が高かろうが、それを受け止める心が貧しいと人生の品質が悪い。


 ……心が貧しいとか、チュリーにめちゃくちゃな悪口を言っているみたいになったが、本気で心配している。

 ひとことで表すと、チュリー・ヴィルガは幼いのだ。人の気持ちを考えていない。喋ったことのない他人にも、自分と同じような心があることをあんまり理解していないというか。


 ……悪口みたいになっているが、そうではなく。


 昨日、万能解毒薬に気を取られて、その場ではここまで考えていなかった。

 しかし、これだってトカクの本音だ。チュリー・ヴィルガの将来を心配している。


 ……人生のおもしろいところは、自分以外の人間が自分と同じように色々と考えて思い思いに動いているところなのに、それを理解せず生きているというのは、『役』を知らずにカードゲームしているようなものだ。人生の遊び方が分からないままテーブルについている。


 そんなんだから退屈をもて余すはめになるんだよ。そんなんだから。

 以前、『私、お友達ってこれまでいたことなかったのよ。だって、誰も彼も不足しているんだもの。無知蒙昧で品性下劣で、とても私のお友達たりえない人ばっかり』とか、とんでもない台詞をチュリーは言っていた。こんなんだから、そんなことを言うはめになる。


 人生ってのは普通にしていれば苦しかったり楽しかったりするもので、退屈になる原因はだいたい己の心の貧しさにある。


 だから謝りたくない。膝を折りたくない。

 そもそも頭を下げるのはきらいだ。都合のために仕方なくやるもので、やりたくてやるものじゃない。

 しかも、今は都合まで悪い。


 ボクがここで屈したら、『ワタクシ』はチュリー・ヴィルガのワガママを助長させる有象無象に成り下がる。


 皇子としてのトカクの矜持にとっても許しがたい。


「…………」


 しかし、謝らなければ話が進まない。立場は大事だ。国を優先すべきだ。ハナも怖い。


 とりあえずトカクは、謝罪の屈辱で震えているふうに見えないように立ち方を調整した。申し訳なさに感極まっているみたいに見えればいいのだが。


 よし、一度深呼吸して、せーので謝る。この場だけ謝っておけばいい。謝りゃいーんだろ謝りゃよ。ええ?


「…………、…………、…………」


 ダメだ、出てこない。


 トカクは口元を押さえてそっとうつむいた。なるべく楚々と見えるように。

 時間稼ぎである。


 今この瞬間に窓がカチ割れて全部うやむやになってくれないだろうか。形だけはしおらしくしながら、トカクは心から望んだ。


「……ウハクさん、なんだかとても伝えづらいことがあるみたいね。みんなの前では言えないのかしら?」


 と、チュリーが助け舟らしきものを出してくれた。助けになるか分からないが。なんせトカクは、みんなの前でなかったところで謝罪できる気がしない。


 気持ちとしては無実なのだ。どうしても謝れと言うなら、罪を犯すところからやっていいだろうか。


「…………」


 黙り込んだトカクに、しびれを切らしたハナが焦りをひたいに浮かべながらそっと寄り添った。ささやく。


「……どうしたんです姫様、何だと言うんです」

「……すまないハナ……」

「私にじゃなくて」


 ウハクなら謝るのかなぁ。いやだなぁ。

 目の前には待ちぼうけのチュリーがいて、背後からはハナの圧をかけられ、あれだ、前門のトラ後門のオオカミだ。


 ガタ!と大きな音を立て、前門のチュリーが椅子から立ち上がった。退室かな。


 と思いながら視線で追っていると、チュリーはトカクの目の前まで歩いてきた。


「言いたいことがあるなら言えばいいじゃない。人の目が邪魔なら、ふたりきりでお話しましょう。おまえ達、全員出てお行きなさい」

「…………」


 チュリーの従者や取り巻き連中は困り顔を見合わせた後、さくさくと退出の準備をはじめた。


 まさか私達まで追い出されるの?という表情のハナが、トカクの肩に添えた手の力を強くするのを感じながら、トカクはチュリーを見上げる。


 先程までチュリーはそこまで怒っていなかった(とトカクの目にはうつっていた)のだが、今はとても不満げだった。


 ……本気で気分を害させる前に謝った方がよすぎる。

 でも謝りたくなさすぎる~~……!


「ウハクさん、二人になればお話してくれるわよね。あなたのご友人方にも、離れてもらえないかしら」

「え、ええと……」


「ね、よろしいですわよね? それとも私が信用できません?」とチュリーはハナを見た。


 トカクもハナを振り返る。ついで、ハナの後ろに控える彼女達も。


「…………」

「ハナ、すこし外してもらえるか? ワタクシは大丈夫だから……」

「…………」


 ハナはイヤそうだった。領土でもなんでもない場所で、護衛と監視の目から皇太女を放つのが心配らしい。

 しかし、ここで表立って逆らいはしなかった。拝命する。


 ハナがトカクから手を離して数歩下がった。


「よかったわ! じゃあウハクさん、こっちこっち」


 腕を引かれ、トカクはチュリーのサロンのさらに奥へといざなわれた。




 連れて来られたのは二人分の椅子があるだけの狭い部屋だ。扉を閉めると、外界と完全に遮断される。監視すらない本当の二人きりだ。

 トカクの脳裏に『取調室』の三文字が浮かぶ。類するものをそれしか知らない。


 ……チュリー様一人なら、どうにか言いくるめられないかな。とトカクは遅まきながら打算を始めた。

 始めた打算を、チュリーの頭突きが揺さぶった。


「ぐっ」


 げえ、暴力かよ!?と咄嗟に思う衝撃を胸板に受ける。男だからビックリで済んでいるが、ウハクだったら心臓が止まったんじゃないか?


 平静を装いながらトカクは反撃の体勢に入る。(トカクの名誉のために追記すると、ここでいう反撃とは穏便な取り押さえのことである)

 しかし、チュリーはトカクの胸に頭を埋めたまま追撃の気配を見せなかった。


「…………?」

「ウハクさん。私、そんなに怒らせるようなことをしたの?」


 落ち着いてよく観察すると、チュリー・ヴィルガはトカクにすがりつく形だ。手が制服にしがみついている。


 チュリーは。


「なんで怒るのよぉ〜〜! べつにウハクさんが意地悪されたわけじゃないでしょお!? 私なんにもしてないのにぃ……!」


 とわめいた。チュリーの口の動きや呼気を制服のリボン越しに感じる。


 いや、なんでもしていい立場の人が、なんにもしてなかったから怒られるんだろうが。


 というのを敬語に直して言いかけた口を、トカクは閉じた。チュリーが顔を上げたからだ。

 めちゃくちゃ泣いていた。


 チュリーは紅玉の瞳からハラハラと涙をこぼしながら、上目で恨みがましくトカクをにらんだ。


「まさか私のこと、キライになったんじゃないでしょうね……!? 友達やめるなんて許さないんだから!」



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