一二〇 たまたまここにいる




 結論から言えば。

 放心状態から回復したトカクが、気を取り直してクラリネッタを探しに行った時には、彼女は行方をくらませていた。


 回復に時間がかかったせいだ。とトカクは己を責める。

 ウハクの思考をトレースしようとした結果、失敗した自己嫌悪や叱られた恥ずかしさやハナから失望される恐怖などの心情までつぶさにトレースしてしまい、まるで心が押しつぶされるようだったのだ。


 しかも、つい昨日「ボク最近まるくなった気がする。優しくなった気がする。ウハクに寄ってきた気がする」とユウヅツ相手にほざいた記憶が新しいせいで、いやぜんぜん優しくなってねーじゃん、と、そこでも落ち込んでいた。自己評価がてんで的外れだった。バカかボクは。


 そして淑女であらねばならない『ウハク』の都合上、ドタバタ草の根をかき分けるような探索や上へ下への聞き込み調査をするわけにもいかず、校内の主たる廊下を撫でるように歩いていたところハナ達と合流してしまい、そういえば我々は学生の身空だったと思い出した一行は講義に出席したりしているうちに放課後となり、帰宅した。


 クラリネッタと接触することはできなかった。当然、図書館にも顔を出したのに。


「あー……、異様に疲れた」


 朝は、今日のところはチュリー様に会いに行くだけ~ぐらいの気持ちで登校したのに。ドタバタした一日になった。

 トカクは自室でぐったりする。


 ……そのチュリーとは、ハナに言わせれば『対立』の形になってしまったし。


 学院で合流したハナに「で、チュリー様はなんて?」とたずねた時は、「……とりあえず、理解は、していただけたようですがぁ」と、含み、どころか口いっぱいに懸念を頬張っていそうな返しをされた。

 苦労をかけてすまないね。


「…………」


 チュリー・ヴィルガとの『対立』の件は、実はトカクはあんまり気にしていなかった。

 すでに、棚ぼたで得たチュリー・ヴィルガの庇護を、ダンスの授業で「殺すか?このお姫様」と振り落としかけた身だ。


 というか自国の民をいたずらに迫害するのはやはり高貴な振る舞いではないので、たとえ嫌われてでもたしなめ、改善させたいところだ。チュリーを好ましく思っているトカク個人の情からしても。放ったらかしにはしたくない。


 ……ウハクのことで頭がいっぱいだったトカクは、あの時点では、そんな風にチュリーを思いやっていたわけではないのだが。


 後付けである。


「…………」


 ……我ながら好かれ甲斐のない男だな?トカクは思う。


 自分は、チュリー・ヴィルガにほのかな恋慕じみた情があるはずなのだが。

 今の今まで、いっさいそれが思い浮かばなかった。ただ、万能解毒薬が入手できなくなったらどうしてくれる!?とキレ散らかしていた。


 これではチュリーは好かれ損じゃないか。

 女装した男が周囲をうろついているだけだ。気の毒に。


 他人事みたいに考えていると、脳内でリゥリゥが責めてきた。男子が女装して学校に通うのがキモすぎると今更なことで泣いている。

 トカクは思考を打ち消す。


 鏡を手に取った。

 鏡面をのぞくと輝くような美少女がいて、それは実は少女でなく少年であり、自分だ。まあまあ疲れた顔をしている。


 というかお腹が空いている。


 例によってトカクは人前で『お姫様の量』しか食事ができないので、学院で昼食を食べても、この時間には既に胃が空っぽになっている。


 なので事情を知っている者に(と言いつつ、ほぼユウヅツに)差し入れを持って来させて凌いでいたのだが、今日に限って音沙汰がなかった。

 今日という、ひさしぶりに登校して消耗した日に限って。


 しばらく謹慎していた間に、育ち盛りのトカクにおやつが必要という決まりが、忘れられているのか。


 仕方なしに、トカクはそのへんにいた使用人にユウヅツの居所を聞いた。広間か厨房か音楽室か自室か、離宮のどのへんにいるだろうと。


 返ってきたのは意外な返事だった。


「ユウヅツさんは外出しております」

「外出? 庭に出ているのか」

「いいえ、街に」


 街に。


 足を怪我しているはずだが、そういえば、出られなくはない。まだ学院で勉学に励むには尚早なんじゃないかと言われてるだけで。意外ではあるが。


 という意外さは、次の情報でさらに塗り替えられた。


「昼過ぎにトリガー・カタプルタス卿が訪ねて来られて、連れ立って街に繰り出されました」


 ……何もう仲良くなってんだ、アイツ?






 半刻後、街からユウヅツが帰ってきた。トリガーとは門のところで解散したらしい。


「おい、カタプルタスと出かける約束をしていたのか? 聞いてないぞ」

「俺だって聞いてませんよ! 急に訪ねてきたんです」


 話を聞く。


 今日の昼、ユウヅツがリゥリゥの手伝いみたいなことをしていたところ、前触れもなくカタプルタスが離宮を訪ねてきた。

「ユーウヅーツくーん、あーそびーましょ」という具合で。


 それを聞かされたユウヅツが、???と思いながらも正門まで出向くと、本当にトリガーがいた。


 語るところによれば、暇だから来たらしい。


「暇だからって、来るか? 普通」

「普通来ないですよ。異常ですよ。と思って、くわしく聞いておきました」


 ここでくわしく聞いてしまうのが『お人柄』だよなぁとトカクは思いつつ。


「あの方もあの方で、シギナスアクイラでは、というよりカタプルタス家ではそれなりに怒られたそうで。俺の介助役として登校する日まで、自宅謹慎を言い渡されたらしいのですが。外出禁止に飽き飽きして、そうだユウヅツくんの介助するんなら外に出ていいんじゃない?と思って、ここまで来たそうです……」

「で、遊びに誘ったと。ここだけ聞くといっそ無邪気だが、やったことを知っているから、すげえ邪悪だな」


 幼児が、ぬいぐるみを敵に見立てて殴る蹴るして遊んだ後に、同じぬいぐるみを今度はペットに見立ててお散歩して遊ぶみたいな、邪悪な無垢さだ。


 という直喩をトカクは思い浮かべてから、これ、まんまなんじゃないか?と戦慄した。

 適当な当てずっぽうで例え話をしたつもりだったが、今日のトリガーの行動原理は、まんまコレじゃないか?


 人を人と思っていない。


 ぞっとする。果てしない断絶は、怒りよりも恐怖が先に来る。

 ……だが、怖がっている場合でもないのでトカクは己の戦慄を封じた。


「……で、まあトリガーが急に来たのは分かった。だが、おまえはよくそれに付き合ったな」

「……事情をあまり知らないリゥリゥさん達が、友達が来たんだねいってらっしゃいって感じで、見送りの体勢に入ってしまって」


 なるほど。それで断り損ねたと。周囲の期待に負けたと。


「それでトリガーさんが、屋台に吊るした牛肉をその場で切り落として挟んでくれるサンドイッチ食べにいこうよ奢るよって言うから……じゃあ行こうかなって……」


 自分の食欲に負けてんじゃねえよ。


「ま、険悪でいても良いことないしな。その調子なら、学院でも仲良くやれそうだ。何よりじゃん」

「仲良くやれる気はまったくしないのですが……」


 ふたりで一緒に街に繰り出してサンドイッチを食べても仲良くやれる気がしないのかよ。逆に何したら仲良くやれる気がするんだよ。

 ……何も悪いことをしなければ、か。トリガーが。


 ユウヅツは話を続ける。


「仲良くやれる気はしないのですが、学院で問題なく、滞りなく過ごす必要はありますから……トリガーさんがどのような方なのかは、すこし探りを入れてきました」

「……おお」


 やるじゃん。トカクは素直におどろいた。


「で、どんなヤツか分かった?」

「……一言で言うと、ものすごく偉そうな人、です」


 と言うと?


「ほら、あの方って、シギナスアクイラという大国の侯爵家のお坊ちゃんじゃないですか。だから、どうして自分が小国の男爵家の介助役なんか、と不服に思っているんじゃないかって疑っていたんですが……」

「ああ、そうだな。アイツ、不祥事による左遷っつーか、閑職に追いやられる形での赴任だもんな。シギナスアクイラ的には」

「結論から言うと、トリガーさんは、そこは気にしておられませんでした」


 それだと、『偉そうな人』の人物像と外れないか?


「なんというか、……『今たまたま、この仕事をしなきゃいけないけど、これは自分の本分ではない』と思っているというか。『偉い自分』の自己が、確立されきっている感じというか」

「んん?」

「ええとですね……。トリガーさんは、今たまたま、流れで俺の介助をしなければいけないけど、……本当は自分はそんなことしなくていい人間だと思っていて。だからこそ、とてもおだやかに下働きができる。……と、いう印象を受けました」

「……おまえの介助をすることを、自分の仕事だと理解していない、と?」

「違います違います。俺の介助をするのが仕事だと理解した上で、『やってあげてる』意識なんです。『やらされてる』ではない。何故なら、自分はそんなことをやらされる人間ではないから」


 むずかしい。何かで例えてくれ。


「たとえば俺はね、こうして皇太女殿下の側近として大陸留学を果たして、経歴だけ見たらエリートですよ。けど自分がエリートなんて気がしないし、なんなら、俺は今も大陸留学なんてしてない気分です」

「エリートかはともかく、留学してんのは本当だろ。どんな気分だよ」

「自分は田舎華族の勘当された三男坊だって気分であり、自分は現代日本の庶民大学生だって気分ですよ」

「…………」


 ちょっと、なんと返せばいいかわからない話だった。トカクは黙る。


 どれだけ身のまわりが華やかになっていっても、ぜんぜん自意識がそこにない。という話。


「これの真逆がトリガーさんです。俺が出世しても平民気分でいるのと一緒で、トリガーさんは左遷されても貴族気分なんです」

「……なるほど。……しかし、誰でも多かれ少なかれ、そういう傾向はある気がするな。本当の自分はこうだ、みたいな意識は誰にでもある。ボクにも覚えがあるぞ」


 姫君のふりをして城を歩いても、自意識は皇子のままだったり。


「だが、トリガーはその自意識がとても頑強ということだな」

「そうです。そう理解すると行動原理が多少わかりました」

「行動原理が?」

「あの方は、他人から嫌われる可能性をいっさい考えていません。他人から嫌われた状態の自分という、自意識がないから」

「…………」

「嫌われたかもしれない、嫌われるかもしれないという意識がないから、俺で遊んだり、俺と遊んだりが平気でできる」


 そういえばユウヅツは、学院でトリガー達に囲まれて校舎裏に誘われた時は、悪意を感じ取って拒否したという。(その後、搦手により校舎裏に連れられたが)


 今回はトリガーの誘いに乗った。

 悪意を感じなかったからだ。


 なるほど。いっさい色事のからまない同性相手の観察なら、この精度。


 ……このレベルで相手の心を読める奴が、読み取った項目から恋愛だけスポッと抜けていたら、そりゃトラブルの種だ。

 というのをトカクは実感した。



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