一一九 関係、無関係
トカクみたいなことをするなと猛烈に怒られて、トカクは目を白黒させるしかなかった。
「は、ハナさん」
壁に押し付けられる『皇太女様』をさすがに見かねてか、キノミがハナの肩を引く。
「そんなところを見られては、何を言われるか分かりませんわ。どうか腰を落ち着けて、お話しましょう」
「…………。そうですわね」
ハナはパッと手を離した。
トカクは締め付けから解放される。制服の胸元を直す。
「それで姫様、」
腰を落ち着けて、とキノミに言われたのに、ハナは立ったままトカクを見下ろし話を続けた。座りに行こうとしていたトカクはたじろぐ。
身体の正面で腕を組んだハナは、なんなら『ウハク』より支配者めいている。
「我々には、説明をいただく権利があるはずですよ。あなた様が、わざわざチュリー・ヴィルガ王女と対立することを選んだ理由は何です?」
「た、対立」
そうか、トカクはチュリーと対立した形になるのか。とトカクは己を客観視した。
であれば、ハナの怒りの源泉も分かる。……噴出を止めるすべはまだ模索しているが。
先程引っ張られていた時に男っぽい声が出ていた気がして、トカクは努めて『ウハク』っぽい表情で返答した。
「だ、だってハナ。チュリー様のご友人達が、クラリネッタさんに、嫌なことを言っていたから。お止めするのが、自然なことだろう?」
「敵陣で自然に振る舞っていてどうするんですか。ここは祖国ではございませんよ。姫様が無条件に庇護されるのは大瞬帝国の中だけです」
連盟学院を敵陣と言うか。
……いや言うか。なんなら『トカク』の方が言う。
「ハ、ハナさん、言い方がきついと思いますわ。もっとお優しく……」
「姫様は、厳しくしてくれと、いつもこのハナにおっしゃっていますよね?」
「う、うん」
トカクはうなずく。ハナに厳しくしてくれと頼んだ記憶が一度くらいしかないので、『いつも』言っていたのはウハクだろうな、とか考えつつ。
考えつつ、トカクは弁明を開始した。
「……いや、待ってくれハナ。分かっている。おまえがワタクシを叱るのは、ワタクシがチュリー様に逆らうような真似をしたからだな。それで、チュリー様の不興を買うことを、心配しているんだよな」
「…………」
「だけどな、ああいうことをワタクシはずっとやって来たと思うんだよ。チュリー様のワガママを、たしなめるようなことを。言い方は悪いが、子どもに礼儀作法を教えるようなことを」
反論が無いのでトカクは続ける。
「そういう、苦言を呈すような振る舞いこそをチュリー様はおもしろがって、ワタクシを気に入ってくれているんじゃないかと思うし、……対立するつもりはなかったし、向こうも、そんな捉え方をしていないんじゃないか?」
「…………、…………」
ハナは目を強くつむり、眉間にぎゅうとしわを寄せた。
トカクは、ハナの叱責がまだ終わりそうにないことを察した。
ハナの後ろにいるキノミ達を見やるが、特に助けてくれそうな気配はない。目をそらされたり、困り眉で見つめ返されたりする。
この反応。トカクは察する。
おそらく、ハナ以外の四人もハナ側に付いている。一対五でハナの意見が支持されており、多数決ならハナが正しい。
ハナは黙り込み、トカクに何を言うか考えていたようだが、やがて口をひらいた。
「……姫様、例え話をしますわ」
「お、おお」
「想像してくださいまし。もしも帝立学園で、仮に……そうですね、ユウヅツさんが、何かで失態を起こして悪目立ちしたとします」
ものすごく想像しやすい例え話だった。言われた通り、トカクは頭の中にその状況を思い浮かべる。
「それで……それがキッカケで姫様は、ユウヅツさんの無礼がよく目に付くようになったとします。それで姫様は、ユウヅツさんを目の敵にするようになった。……とします。ここまでいいですね?」
「……うん」
「それであなた様は、ユウヅツさんに忠告というていで、まあたびたび嫌味を言ったりするわけです。例え話ですが」
うなずきながらトカクは背中に冷や汗が伝っていた。
例え話が、例え話になっていない。
なぜなら『帝立学園で、悪目立ちしたユウヅツを目の敵にし、忠告というていでたびたび嫌味を言いに行く』は、実際にトカクがやっていたことだからだ。
そうして。
「そうして、そんなある日、外国からの留学生が、いじめはやめろと割り込んできたら、どう思いますか?」
誰だおまえ、しゃしゃってくんな関係ないだろ引っ込んでろって思う。
「おまえに関係ないだろうと思いますわよね。それが、姫様がさっきやったことです」
「…………」
「姫様がライラヴィルゴ王国内のいざこざに首を突っ込むのはやり過ぎです」
「…………」
なるほど、とトカクは得心した。
そこが、これまでチュリーに対してしてきた振る舞いとの差異らしい。
とどのつまり、いくらなんでもアレは内輪揉めすぎると。他所者が外野からガヤガヤ言える範疇ではないと。家庭の事情に(家庭じゃないが)口出すなと。
(でも、こっちは関係ないで済ませららんねーんだよ!)
トカクは歯噛みした。
だって、いびられているのはクラリネッタなのだ。
これがクラリネッタでなければ、たしかにトカクはここまで大っぴらにチュリー・ヴィルガ達に楯突くことはなかった。ふんわり注意するくらいにとどめただろう。
トカクは、まず己が感情的になっていたのを認める。
しかし、だから間違った行動を起こしたわけではない。と思う。
(だって、ここで問題になるのは、『クラリネッタ・アンダーハートがどう思うか』だ……!)
そりゃトカクは他所者だ。チュリーとその側近達が、自国の下級貴族を、ライラヴィルゴで許される範囲内で侮辱しても、「ワタクシは関係ありません」が通るに違いない。相手が第三者であれば。
しかし、『ウハクのドレスを汚したことがキッカケとなりチュリー達に目をつけられた』クラリネッタが、本当にトカクを無関係と思ってくれるのか?
変な恨まれ方をされてもおかしくないし、それは万能解毒薬を手に入れる大きな障壁になる。大瞬帝国への悪印象は、そのままユウヅツに対する好感度に影響するはずだ。
「は、ハナ。関係ないとは言うがな。クラリネッタさんは、先日の夜会で転び、ワタクシにスープをかけてしまった人だろう。それが原因で注目を浴びてしまった。キッカケがあれなら、ワタクシ達も無関係ではないと思う」
「関係ありませんよ! あの方達が勝手にやっていることでしょう? 我々の知ったことではございません」
「そっ」
「姫様も聞かれましたよね? あの方々、姫様が害されたこと、ひとつも口にしなかったではありませんか。もう、そんなことどうだってよくなっているのです」
ばっさり切り捨てられてしまった。ここまでばっさりやられると、でもでもとトカクが言い返しても効果がない感じがする。
「姫様、優先順位を間違えないでください。あなた様は、大瞬帝国の顔として入学しましたのよ」
「ゆうせんじゅんい」
「悪いことをしているわけでないと思って目をつぶってきましたけど、姫様は目立ちすぎです。無難に無害に過ごしましょうよ。それがこの学院に、大瞬帝国からの留学枠を増やす近道なのですから」
優先順位。連盟学院で『ウハク』の立場を作るためには、一介の伯爵令嬢に過ぎないクラリネッタよりも、一国の王女であるチュリー・ヴィルガを優先しろということだ。
「いいえ、違います」
「ち、ちがうの?」
「目の前のライラヴィルゴ王国のいざこざでなく、我らが大瞬帝国および臣民の未来をお考えくださいと申し上げているのです」
耳が痛くなるような指摘だった。トカクは『家族』を優先しすぎて『国』を度外視する悪癖がある。
そして、ハナ。恐れ多くも皇太女に対し、ここまで懇切丁寧に執拗と言っていいくらいに説教してくれるとは。
「……もしおまえが、帝立学園でも『ワタクシ達』の側にいてくれていれば……」
「? まあ、なんですの急に?」
ハナ・ヒシャクボシさえウハクの横に、あるいはトカクの横にいてくれたら、あんな事件は起きなかった気がする。
事情を知らないハナは首をかしげている。
過ぎたことを嘆いても仕方がないのでトカクは「なんでもない」と首を振った。
しかし、最優先事項が国の未来とするならば。
するならば、するとしても、やっぱりトカクはクラリネッタを庇護すべきだ。あの少女がウハクの――次期皇帝の生命線なのだから。
途中式は間違っていたが、解答自体は外れていなかったと言える。
しかし、それをハナ達は知らない。
万能解毒薬の入手の必要性を説けば、クラリネッタの重要さを納得してもらえるのかもしれないが、……今日までウハクが倒れたことも、ここにいるのが『トカク』だということも、ハナ達には秘匿してきた。
それをトカクの独断で無に帰すのはよろしくなかったし、今さら自分が男だと告げるのは、側近達の心証がすこぶる悪い。
困り果てた末、トカクがしぼり出せたのは「でもぉ、クラリネッタさんがぁ、お可哀想でぇ……見ていられなくてぇ……」という感情論だった。
「…………」
これでハナを納得させられるとはトカクも思っておらず、ハナの反論を待ちながら、他に説得材料はないかと思案した。
しかし、いつまで待ってもハナのお叱りは飛んでこず、トカクは「…………?」と側近達の顔色をうかがう。
ハナは、とても微妙な顔をしていた。どぶ川に降り立った白鳥を眺めるような。
その背後にひかえる四人も、それぞれ奥歯にものが挟まったような表情をぶら下げている。
ややあって、ハナは重たいため息を長々と吐いた。
「……分かりました。仕方ないですね。では、なんとかしましょう」
わかっちゃったの?
トカクは自分で言っておきながらぎょっとした。仕方なくなくない?
「姫様は先程、クラリネッタ嬢を探しに行こうとしていらしたんですよね」
「お、おお」
「では僭越ながら姫様、私に別行動させてください。どうかチュリー・ヴィルガ王女のもとへ参じる許可をくださいまし。……いえ、違いますわね。私に、チュリー・ヴィルガ王女の前であなたをフォローしてくるよう、お命じください」
「…………。ハナ。悪いが、チュリー様にうまく言っておいてくれるか」
「はっ」
深々とハナが拝命した。
「ネッコさん。行きますわよ」
「は、はいっ」
ハナはネッコを連れ立ち部屋を出ると、来た道を戻っていった。チュリー・ヴィルガと接触するつもりなのだろう。そして急いでいる。鉄を熱いうちに打つとか、逆にほとぼりが冷めないうちにとか、そういうことだ。
取り残されたトカクは、ぼうぜんとハナを見送っていた。
叱られたのにも驚いていたが、それ以上に、よく分からないところでハナが折れてくれたことで放心状態にあった。意味が分からなくて怖い。
どうしてハナは、「クラリネッタが可哀想だから助けたいよぉ」なんて、あんな一目で嘘と分かるようなトカクのきれいごとに乗ってくれたのか……と考えて、そしてハッとした。
ハナは、嘘が見抜けなかったのだと。
ウハクなら、本心でああいうことを言うから。
トカクがああいうことを言えば、「そうですね可哀想ですね、で、本当は?」と聞き返される。しかしウハクならそうならない。
ウハクの消極的で内向的な善性を、ここにいる者はよく知っている。
この状況は、大陸で人波に揉まれ外交と政治に振り回されてなお、素朴なやさしさを失っていない『ウハク』に、側近達が降参した――そういう場面だ。
「……姫様、先程クラリネッタ様がいた場所に戻ってみますか? さすがにもう、移動していると思いますが……」
おそるおそるのようすで、慎重にコノハが声をかけてきた。目の前で従者からめちゃくちゃに怒られたウハクをおもんぱかる声色だ。
「……ちょっと待ってくれ……」
トカクはふらふらと近場の椅子に寄ると腰かけた。頭を抱える。
ハナの言うことはすべて正しい。
怒られたくなさで言い訳をつらねたが、トカクは従者を置き去りにひとりで突っ走っていた。思いやりのかけらもなく。
ウハクの皮をかぶることで見逃されたが、先程の行動は本当に良くなかった。
今からどう動くべきか、冷静になって考えなければいけない。
トカクは、ウハクの名に恥じないよう、あの心根のやわらかさをトレースしなければいけないのだと、あらためて強く思っていた。
そしてそれは『クラリネッタからの心証を良くする』という、今のトカクの目的と合致する。トカクは彼女に優しくあらねばならない。
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