一一八 保身しか頭にない
まだ怪我の治っていないユウヅツを離宮に置いて、トカク達一行は学院におもむいた。
話しかけてきた顔見知りに「いやはやお騒がせを」など挨拶を返す。
「そうだウハク様、シギナスアクイラのカタプルタス家の者を配下に置いたとは本当ですか?」
「さて、どこでそんな話になったのでしょう。従者の怪我が良くなるまで人手をお借りするだけです」
「その従者の方はいつお戻りになられるんでしょう?」
「足の経過次第です」
そつなくこなす。
……ユウヅツがいつ戻るか聞いてきた女は要注意だな。トカクは脳内の控え帳に記載する。
もう絶対に足元をすくわれたりするものか。気を付けすぎってくらい気を付けてやる。
「ウハク様。チュリー様が、ウハク様と学院で会えると、とても楽しみにしていらっしゃいましたよ。先程お見かけしましたから、共に参りませんか?」
「ええ、そうですね。是非ご一緒したく存じます」
チュリー・ヴィルガとは、お忍びで離宮に突撃されて以来だな。トカクは考える。
落ち着いて顔を見られるのは多少うれしいかも知れなかった。
「あら、ウハクさん! 学院でお会いするのはひさしぶりね。元気そうで何よりだわ」
「ご無沙汰しております、チュリー様。こうして学び舎で皆さんと再び相まみえることができて、本当によかったです」
トカクは『ウハク』のそれを意識してなるべく可憐に微笑んだ。
それから、シギナスアクイラに助け船を出した(ように見える)件について、チュリーの背後にいるライラヴィルゴ陣営から若干の嫌味をくらう。のらくらとかわす。
(うるせーな。べつに裏切ったわけじゃないし。そもそも、べつにライラヴィルゴの属国になった覚えはねえっつーの。『慈悲深きお姫様のほどこし行為』くらい勝手にさせろよ)
と心の中で舌を出しているのをおくびにも出さず、トカクはふわふわと相槌を打ったり首をかしげたりした。
過ぎた話は終わり、トカクが休んでいた間の授業や校内について喋ってもらう。特にめぼしい事件はないらしい。
「そもそも、この学院でそうそう事件なんてないわよ。ウハクさんが転入してきて、立て続けに起きたのが変なのよ」
「うふふ、耳が痛いです」
「ウハクさんの側近の男の子、シギナスアクイラのお偉方からは最果ての悪魔って呼ばれているそうよ」
チュリーにずばずば言われてトカクは耳をおおった。
にしたって失礼だな最果てって。帝国から見ればシギナスアクイラの方が地図上の最果てだぞ。
……たった一人の田舎者のために国内の貴族子女四名が学院で問題を起こしたのだから、悪魔と罵りたい気持ちは分かる。その咎がユウヅツひとりだけを指して、大瞬帝国ごとまとめられなかった幸運を喜ぼう。
などと話していると、すぐそこの曲がり角から歩いてくる人影があった。
クラリネッタ・アンダーハートだった。
(! 万能解毒薬の持ち主……!)
トカクは注視しないようにしつつ、クラリネッタのようすをうかがう。
……彼女の復学に際して何か贈り物でも、とトカクは画策していたのだが、ユウヅツのゴタゴタのせいで機を逃し、完全にお流れになっていた。今はむしろトカクの方が復学祝いをもらわなければいけない立場だ。
どうしようかな、トカクは考える。
あいさつくらいはした方がいいのか。
……とにかく、『大瞬帝国のユウヅツ』と仲良くなってもらわなければいけない都合上、帝国および『ウハク』に悪印象を持っていてほしくないのだ。
もはやユウヅツ自身の悪評があって、それどころでない感じもあるが。
既に何か思われているなら払拭したいし、何も思われていないなら触らぬ神にしておきたい。
などと思案している間にも、クラリネッタは廊下を歩いている。
(……チュリーが話しているのを切り上げさせてクラリネッタにかまうのは、良くないか。せいぜい気付かなかったふりでもしておこう)
トカクは意識を目の前の会話に固定した。
と、チュリーの側近連中の視線が、クラリネッタを向いていることにトカクは気付いた。
次の瞬間、歩行するクラリネッタの足元に側近の足が差し出され、それに引っかかったクラリネッタが前のめりに転倒した。
「ぴゃんっ」
クラリネッタが、管楽器のような悲鳴をあげる。胸に抱いていた本が床をすべった。
それを見たチュリー・ヴィルガの側近達は、ころころと優雅に笑い合う。
「アンダーハート嬢、大声を出したらはしたなくってよ」
「転びやすいんだから気を付けて歩きませんと」
「ぁう……」
クラリネッタが恥ずかしそうに顔を上げる。引っかけられたすねを気にしているあたり、今見たものはトカクの幻覚ではないらしい。
「ちょ……」
驚きのままトカクは視線をチュリーへ戻す。
チュリー・ヴィルガは驚くでもなく、静観のかまえだった。冷めた目で床に這うクラリネッタを見下ろしているし、どうでもよさそうに側近達をながめている。
あ、あんたが止めなくてどうする!
沸き立つ怒りのままトカクは側近達とクラリネッタの間に割り込んだ。
「ちょっと! 今のは何ですか!」
クラリネッタを背中にかばう姿勢は、まるで彼女を守ろうとしているようだ。
しかし、トカクの本意はそこにはない。
(『ワタクシ』が共犯だと思われて、クラリネッタからの好感度が下がったらどうする!!!!)
だからやめさせなければと、とても純度の高い保身で動いていた。
「およしください!」
「何のことでしょうか? それにしてもクラリネッタ嬢は、何もない場所で転ぶのが得意な方ですわよね」
「ワタクシの目には、足を引っかけて転ばれたように見えましたよ」
「そうですか? 気付かないうちに、どなたかの足が当たって、それで転んでしまったと? ……では、私達のせいかしら、アンダーハート嬢?」
圧に屈したクラリネッタが「なにもされていない」と証言してしまえば詰みだ。
「誰のせいだとしても、傍で人が転んでいるのに笑うのは、すこし意地が悪いと思います」とトカクは先手を打つ。
そしてトカクは「ここじゃなんだし場所を変えたい」と進言した。
「…………」
チュリー・ヴィルガの側近達は、トカクを見つめたまま静止した。表情で、「あなたの命令では動けなくってよ?」とうながされる。
体裁は大事である。トカクは魚の小骨程度の屈辱を感じながら、チュリー・ヴィルガに目力で助けを求めた。
「……皆さん、ウハクさんはどこか座ってお話できる場所に行きたいみたい。行きましょう?」
うながされ、トカク達はクラリネッタから離れる。
トカクは「失礼いたします」と軽くクラリネッタに礼をしてからチュリーの案内に従った。
……ここにいたのがもしもウハクなら、立ち上がろうとするクラリネッタに手を貸すなり自分の側近達に介抱を頼んだりするのだが、本当に自分の保身しか頭にないトカクは思いつかなかった。まさかの事態に混乱していたせいもある。
落ち着いて話せる場所に移動すると、チュリーは不思議そうに「ウハクさん、どうなさったの?」と小首をかしげた。
どうしたもこうしたも。
トカクは詰め寄らんばかりに問いかけた。そっちこそ何があってどうしてあのようなことを?
「特に理由はないんじゃないかしら? でも、そうね、ホラ、以前の夜会でクラリネッタさん、結構なドジをしたじゃない? 元々あんまり校内でも国内でも権力のない子だし、あれで本格的に顰蹙を買って、爪はじきにされてるんだと思うわ。物笑いの種とも言うかもね」
なんで自分の側近のやってることなのに、こんな他人事なんだよ、このひとは!?
側近がやったことを、側近が勝手にやっただけと言い訳できるのは、せめて別行動している時だけだろ! チュリーほど権力のある女が、自分の真横でやっているのを黙認していたら、チュリーが主犯ってことにされるだろ!
ひたいに青筋を浮かべながら、トカクは「ですので即刻やめてください」と低い声で述べた。
いやトカクだって理屈は分かる。チュリー・ヴィルガは第十二位とはいえ王女様だ。自国の一介の伯爵令嬢をちょっといびったところで、なんでもないだろう。
そう理解しているチュリーは、とても不思議そうに「あら。私が指示したと思われて、何か問題ある?」と。
「私に無礼を働かせない抑止力にもなるし、思わせておけばいいじゃない」
「よくありません!」
問題も何も、当然ながら推奨されてるわけではないんだよ! 自国の貴族をいたずらに虐げることは! 高貴な者のすることじゃねえよ!
……という説教をかましていたが、トカクにとっても実はそこは主題ではない。
トカクの主題はずっと「『ワタクシ』が恨まれたらどうする、ひいては万能解毒薬の入手に支障が出たらどうする」だ。
(予想してたけど最悪だ、あの夜会がキッカケって! 間接的にボクのせいみたいじゃん! クラリネッタがいびられる遠因が『ウハク』にあるみたいじゃん!)
しかしそんな話はできないので、トカクは精一杯に偽善でチュリーを言いくるめようとした。まるでチュリーを想ってだけ言っているように。
しばらくチュリーはトカクの話術を浴びせかけられていたが、ふと「もしかして……」と声を上げた。
「ウハクさん、怒ってらっしゃるの?」
「お……怒ってるに決まってるでしょ!?!?」
言うに事欠いて何を寝ぼけたことを!? トカクは今日一の喉をふるわせ方をした。
「と……とにかく! 次やっているところを見たら、止めますから! ワタクシは本当に気分を害しました!」
トカクは立ち上がる。
チュリーはまだ何事か言いたげに手を伸ばしたが、言葉がなかったようでテーブルに下ろした。
「講義があるので失礼します!」
ざっ!と長い髪をなびかせてトカクは退出した。
——ああああ、チュリー・ヴィルガの『学院の女王』設定を忘れていた! ユウヅツから聞かされていた『攻略対象チュリー・ヴィルガ』の人物像をかんがみれば、あの方はあれくらいする人だ!
『ウハク』の前で比較的おとなしいから、すっかり忘れていた!
(完全に油断してた、あの夜会での一件は、ワタクシが泥を被って済んだと思っていた!)
まさかこんなことになっているとは。
……とりあえずクラリネッタにフォロー入れに行くか!
ワタクシはさっきの件と関係なくて君の味方だよとか言っておいて……。
という歩きながらのトカクの思考は中断させられた。
廊下をある程度進んだところで、背後から迫ってきたハナがトカクを追い越し前方に立ち塞がったからだ。
「なんだ」よ?と声を出す前にハナはトカクの手首を捕らえると、無言のままぐいぐい連行した。
「っおい」
ハナは人のいなそうな教室に顔を突っ込むと強風にひらめく旗のように首を回して左右を確認し、本当に人がいないと確信するとトカクを引きずり込んだ。
側近達もハナ、そしてトカクの後に続いて教室に入ってくる。最後に入ってきたネッコは当然のように扉を閉めた。
「ハナ、何っ」
伸ばされたハナの手によって、ダァン!と勢いよく壁に体当たりさせられた。
腹心による狼藉にトカクが目を白黒させているところに、さらに叩きつけるようにハナは叫んだ。それは意外にも苦しげな、悲鳴じみた声だった。
「恐れ多くも皇太女殿下に申し上げるッッ!!」
「ぉあ」
「どうか、説明を、なさってください! 殿下は一人で突っ走っておいでです。我々は今、あなた様がどういうつもりでヴィルガの王女にあのようなことを言い、これからどこに行って何をするつもりか、まったく理解できておりません!」
『ウハク』を締め殺すんじゃないかという剣幕で壁に押し付けるハナ。肩を掴まれたトカクは足が宙に浮きそうだった。
ハナは鬼の形相のまま続ける。
「我々は姫様の手足ゆえ、いつでもあなたの意に添いましょう。けれど、せめてお考えを共有してください。トカク皇子殿下みたいな真似をなさらないで!」
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