一一七 ツノのないウサギ




 殿下、またなんか裏でやったのかな〜とユウヅツは思った。

 帝国時代も含めて、トカクが誰かしらから忠誠を誓わせているのをさんざん見てきたからだ。


 さっすが〜!と思いながら振り返ったら、メチャクチャにドン引きしたトカクがいたので、むしろそっちに驚いてしまった。

 ウハクの仮面を忘れた、まんまトカクのドン引きだった。


「で、殿下」


 唖然としているトカクの背中をぽんと叩く。と、トカクはやっと正気を取り戻した。


「……カタプルタス。働きに期待していますよ」


 失態を取り返すように楚々と笑う。そして、ちらと侍女に目配せして話を切り上げさせた。




 ユウヅツとトリガーの儀礼的な挨拶が終わると、ユウヅツは首根っこを掴まれて別室へ連行された。ハナの手によって。


 引きずられる勢いのままユウヅツは壁に叩きつけられる。


「は、ハナさん?」

「この下郎! あんた、人前で姫様に気安い真似をしてんじゃないわよ! どんな立場の人間が皇太女の背中をぽんと叩いてんのよ!」


 そういえばさっき叩いた。ユウヅツは思い出す。

 たしかにあれは『皇太女』に対してありえなかったのでユウヅツは素直に反省した。


「姫様に恥をかかせて……!」

「ハナさん、そんな締め上げなくても……。呆気に取られていらした姫様を、フォローしたんではありませんか」

「そうですわ。ユウヅツさんは良かれと思ってのことでしょう?」

「あなた方はいったい何なんですの? この男に籠絡されすぎでなくって? 悪気がないからコントロールできなくて迷惑を被っていますのよ。悪気を調節できるぶん海賊共の方がマシですわ!」


 ハナは乱暴にユウヅツを解放した。憤懣の度合いが眉間にあらわれている。


「どーせ辞めると思って最近は優しくしていましたけど、辞めないんなら厳しく行きますわよ。まがりなりにも姫様のお側に仕えるのに恥ずかしくないようにしませんと。私は殿下方から頼まれているんですから!」

「ありがとうございます……」


 と頭を下げてから。


「……でも先程はトリガーさんの方がよほど気安い真似を……」

「他所者と比べてどうするのよ今はあんたの話をしているのよ」


 ハナは早口でまくした。ごもっともなのでユウヅツは口をつぐむ。


「だいたい、そう思ったんならトリガーとかいうクソ野郎の方を引き剥がしなさいよ。何、姫様の方に干渉してるのよ。そこからもうおかしいのよ。ラクな方に行ってんじゃないわよ。というかあんた皇太女殿下に触る方がラクで気安いってのがもうおかしいのよ。プリンセスの白く華奢な背中に躊躇したりしないわけ? 姫様は、あんたがド田舎で汗泥まみれの手でガシガシ触ってた畑仕事中のおっかちゃん達とはワケが違うのよ。触れたら割れる宝石よりも丁重に扱う必要がある方なのよ。しっかりなさい」

「はい……」


 立て板を流れる水のようだ。ユウヅツはさらにうつむく。


 ……ハナ・ヒシャクボシは帝国指折りに高貴でお上品な身分のはずだが、クソ野郎だのガシガシだのいう語彙をどうやって覚えたのだろう。おっかちゃん、に至ってはユヅリハ領にいた頃のユウヅツだって年寄り以外から聞かなかった単語だ。


 ……それを言ったら最高峰にお上品な身分であるはずのトカクの口の悪さも凄まじいが。ユウヅツは「立ちんぼすんなら田舎でやれよドテカボチャ」と罵倒がてら張り倒されたことがある。


 ハナは気が済んだようで、ユウヅツに背を向けると「トリガーさんにも釘を刺してきますわ」と部屋を出て行った。その背後を、糸に引っ張られるようにキノミ、コノハが付いていく。


 ユウヅツ達はその場に残された。


「……私達はどうします?」

「カタプルタスさんって、シギナスアクイラの侯爵家の方なんですのよね? あまり関わりたくありませんわ。うちの侯爵家以上の方々に任せましょう」


 ミキヱとネッコはそれぞれ伯爵家・子爵家の生まれだった。


「……ユウヅツさん、なんだか身分の高い方と行動することになって大変ですわね……。大国のお坊ちゃんでしょう?」

「他人の世話なんてしたことないんじゃなくて?」

「というか、どうして自分が小国の男爵家の介助役なんか、ってとても不服に思っているんじゃないかしら」

「……やっぱりそうですよね……」


 言うまでもないが、トリガーは不祥事による左遷というか、閑職に追いやられる形でユウヅツの世話係をさせられるのだ。

 罰ゲーム扱いされていることをネッコの言葉で再認したユウヅツは、元から重かった気が余計に重たくなっていた。






 しばらく後、ユウヅツはトカクの元へ行ってみた。

 私室。トカクは『ウハク』の格好のまま困り顔で腰掛けている。


「殿下、トリガーさんにキスされてましたけど、なんか、そうなるように暗躍されていたわけではないんですか?」

「手の甲に、まで言えよ」


 トカクは雑に髪をかき上げた。


「……なんにもしてないよ。トリガーのことは完全におまえに丸投げしちまおうと思っていたからな」


 トカクはユウヅツに向き直り、にっこり笑ってみせる。


「まあ『ウハク』はかわいいし、その高貴さゆえ、かしずきたくなる気持ちは分からんでもない。こんなこともあるだろう」

「ご自分じゃないですか……」

「まあ、それはいいんだ。別件でちょっと困ったことがあって」


 なんでしょう?とユウヅツは首をかしげる。

 トカクは己の顔を指して問いかけた。


「ボク、なんか丸くなってない?」

「? …………」


 体型の話か?と思ったユウヅツは、視線でトカクの頭のてっぺんから足のつま先までを往復した。


「体型の話じゃない。性格。性格が丸くなったと思わないか」


 性格!? ユウヅツは仰天した。


 つい先日もユウヅツを窓から突き落とそうとお暴れになって鎮静剤を打たれていたのに、丸くなったと自称を!?


「いや、前までのボクなら、実際に突き落とすまでやり遂げただろう。周囲が止めに入る猶予があるなんて考えられないことだぜ」

「だぜと言われましても……」

「あと、ほら、さっきイキナリ手に口付けられたじゃないか? あれ、前のボクだったらその場で激昂したと思うんだ」


 正確には、『ウハクに何すんだよ!?と激昂した上で、それを人前で表出しないよう耐える』が発生したと思うんだ。とトカク。


「しかし、先程はなんというか……ビックリしただけで、特に怒りが湧いてこなかった。激怒するハナの勢いに押されたくらいだ」

「…………」


 ユウヅツは先程のトカクの表情を思い返す。


「……ドン引きしすぎて怒りを忘れたとかではないですか?」

「いや、違う、丸くなってる」


 トカクは自分で断言した。


「思うに」とトカクは足を組んだ。


「大陸に来て以来、『ウハクならどうする?』を常に考えて動くようになったのが、癖になってきている。優しくなってしまっている」

「……なってしまっている、って。悪いことみたいにおっしゃいますね」

「悪いことだよ。ウハクが怒らない事柄こそ、ボクが怒らねばならない」


 まあ、そんな義務感だけで怒ってきたわけではないが。性格がキツいのは生まれつきだ。


「肝心な時に怒り損ねる奴が、二人並んでいても意味がないだろう。逆に、すぐキレる奴が並んでいてもダメ。まったく違う人間でないと。ウハクはぜんぜん怒れない子だったから、ボクが怒る」

「……そうですか?」

「? なんだよ不思議そうに」

「え……、俺は姫様からもけっこう怒られていたので」

「ああ!? 貴様、ボクが知らないウハクの一面を知っていることを示唆してんじゃねーぞ!? キョトンとしやがって殺すからなッッ」

「ぜ、ぜんぜん丸くなってない」


 ユウヅツは一歩引いた。


「……けど、たしかに姫様が手に口付けされて怒るイメージは湧かないですね。殿下は怒りそうですが」

「そうだろ。そんなウハクを怒らせるって何したんだよ、おまえ」

「……だいたい、もっと怒れよって怒られてましたね」

「…………」


 何を聞かされているんだ? トカクは眉間のシワを指でぐりぐりほぐそうとした。惚気みたいな話だが、恐ろしいことに少しも惚気ではないのだ。惚気だったらマシだったという話だ。


「……いや、ウハクの件は今はいい。ボクが丸くなってしまってるという話をしよう」

「ぜんぜん丸くなってないと思いますよ」

「おまえ、今のボクがどれだけおまえに甘いと思っているんだ。これが丸くなった結果じゃなくて何なんだ」


 と言われるとユウヅツは黙るしかなかった。

 一時はトカクによって座敷牢に入れられたり用水路に突き飛ばされたり足置きにされたりしていたので、その頃に比べると、トカクはたしかに親身になってくれているとは思う。


 しかしそれはトカクが、言ってしまえば『一度ふところに入れた相手には甘い』性格であるせいというか、……ユウヅツへの対応が特別に優しくなっただけで、トカクの性格自体が優しくなったわけではないのではないかと。

 思うのだけど、それを指摘して良い結果になることはなさそうなのでユウヅツは黙った。


「今は『ウハク』だから、あんまり怒らない方がいいっちゃいいんだけどな。トカクに戻った時、ちゃんと前みたく怒れるのか心配になった」

「……心配なさらずとも、お召し物を着替えれば気分も変わると思いますよ」

「そうかな。まあ、腑抜けすぎないよう気をつけるよ。ツノのないウサギなんて、かわいいだけだからな」

「?」


 一拍遅れて、ユウヅツは「あっ、『兎角トカク』とかけた冗句か」と理解した。ら、トカクに「解説すんな」と叱られてしまった。


 それから、今後の予定について話し合った。


「ボク達は明日から学院に復帰だが、おまえの復帰は、おまえが走れるようになってからだと。なるべく早く治せ」

「……今も走れると言えば走れるのですが」

「医師の診断書にはそう書けないらしい」


 トカクは「仕方がない」と、本当に仕方なさそうにうめいた。


「……ボク達の休学と、ほぼ入れ替わりでクラリネッタが復学してるはずなんだよな……。こんなすれ違い方をするとはな」

「……本当に申し訳ございません」

「ひとまず万能解毒薬どうこうってのは、おまえの復帰まで待つ。ボクがクラリネッタに接触しても意味ないからな。……講義をずっと休んでいるから、はやく追いつかないといけないし」

「はい」

「せいぜい、おまえが登校できるようになるまでは穏やかな学院生活を送るさ。波風立てず。今のボクは丸くなってるから余裕だ」


 丸くなったという自称にユウヅツはまだ納得がいっていなかったが、ひとまず話は終わった。




 そして。


 翌日、ひさしぶりに連盟学院に登校したトカクは怒り狂って大暴れするハメになっていた。

 学院の女王チュリー・ヴィルガが、復学したばかりのクラリネッタをいびっていたからである。

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