〇九七 不当な扱い(回想7/7)

 



「そうだな……。抜け出したことがバレたら、怒られてしまうし」

「はい。……やはり皇帝陛下や、皇子殿下から怒られたりするのでしょうか?」

「まあ、わたくしも怒られるだろうけど。わたくしよりも、わたくしのお目付け役をサボっていたことがバレた従者が怒られるだろう」


 その『怒られる』は、減俸とか解雇とか刑罰を伴うのではないか? なおさら早く帰った方がいい。


「そうだよな……。あの人たちが辞めさせられたら、こうして抜け出すのが難しくなるし」

「問題はそこですか?」

「…………。事実として仕事を怠っている人間が、仕事を怠っていることを咎められるのは仕方がないことだ。気の毒には思う。…………」


 ウハクはカバンを肩にかけ、スケッチブックをしっかり抱えた。


 そして、つぶやいた。


「早く帰らなきゃとわたくしも分かっているのに、わたくしは、どうして自分で動けないのだろう」

「? ……忘れ物はございませんか? 行きましょう」

「ああ」


 階段を降りる。今度はユウヅツが先だ。急勾配の階段におっかなびっくりのウハクを先導する。


 一階へ着いた。


「サタケ。この方をそこまで送ってくる」

「もうお帰りですか。お早いですね」


 サタケはのこのこと玄関までやってきた。

 サタケは、靴を履いているウハクに話しかける。


「お嬢さん、もしかして、前にも家にいらしたことがございましたか?」

「いえ、初めて来ました」

「これは失礼いたしました。坊ちゃんは客人が多いゆえ、このサタケには覚えきれなくて」


「……行こう、ユウヅツ」


 ウハクに急かされ、ユウヅツも家の外に出た。


 外は明るく天気が良い。しかし、そろそろ薄暗くなりそうだ。


 横並びでしばらく歩いていると、ウハクがパッと振り返って、こう切り出した。


「ユウヅツ、あの使用人、すごくイヤな感じじゃないか?」

「え?」

「お茶を出すとか言っていたのに、結局なにも無かったし!」


 ユウヅツはキョトンとした。

 それから。


「あー……。俺、あまり好かれてないんですよね」

「な……なんでだ!?」

「どうしてか……。でも、いつもの家事全般は滞りないので困っていません」


 この世界は洗濯機も乾燥機も湯沸かし器もなく、学業で日中は家にいないユウヅツには家事使用人が必須なのだった。


「予定にない、俺の急な引越しに付き合わせてしまったので、仕方ないんですけど……。……側から見て分かるほどでしたか?」

「お、おまえへの態度もそうだが……、わたくしにも、イヤな感じのことを言ってきたから」

「……うちの使用人が粗相をしてしまいましたか? 申し訳……」

「おまえに謝らせたいわけじゃなくてぇ……!」


 ウハクはぶんぶんと首を振った。


「主人の部屋にノックも無しに入って、客人がいたのに、頭ひとつ下げないのは……ありえないだろう。そもそも、客人がいるのは玄関の靴を見れば分かるはずだ。うっかりではない、悪意を感じる!」

「まあ……。ですが、階段を昇る音で来訪自体は分かりますし。それに、主人、と言いますが、彼の主人は俺の父親で、俺は貸してもらっているだけなんですよ」

「それにしたって態度がなっていなくないか!」


 ウハクは眉をつり上げて、サタケがいかにユウヅツへ不当な扱いをしているかを語った。


「それに、わざわざわたくしに、おまえの部屋には他の女の子もよく来ると教えてきたし……」

「…………?」

「とにかく、おまえを人前でおとしめようという悪意を感じる……っ」

「今おっしゃったことは、何が問題なんでしょうか」

「ああ?」


 ユウヅツは首を傾げた。


「田舎者ゆえ作法に疎くて恥ずかしいのですが、俺が、家によく人を呼ぶことを姫様に知られると、何かマズイのでしょうか……?」

「…………」


 ウハクは言葉に詰まり、あうあうと視線をさまよわせた。じわじわと耳が染まる。汗。


 それから顔を伏せ、蚊の鳴くような声で「べつに……」とつぶやいた。


 ユウヅツは、なんかマズイことをしたらしいけど何がマズイのかは教えてくれないらしい、なんで……?と不思議になった。ひどくないか……?


 そのうちウハクは話を変えてしまった。


 そうして、なんとか帝都まで戻ってきた。


「ここからお城へ戻るんですね。……安全なんですよね?」

「うん。ここまでありがとう」

「お気をつけて」


 とユウヅツは手を振ろうとしたのだが、ウハクがこちらに身体を向けたまま動きそうになかったので手を下げた。


「姫様?」

「ユウヅツ、今日は本当にありがとう。有意義な時間だった。感謝する」

「もったいなきお言葉にございます」

「……もう一度だけ聞くが、何か必要なものはないか? 礼に欲しいものは?」

「お気持ちだけで。機会があれば何かで助けてください」

「そうか……」


  ウハクは口を閉じ、またひらいた。ユウヅツ、と舌がまわる。


「突然だが、おまえには、わたくしのお友達になってほしい」


 え?とユウヅツが聞き返す前に、ウハクがユウヅツの手を取った。


「ダメか? お友達。できないか?」

「……わあ! いいんですか? やったー!」


 ユウヅツは手放しに喜んだ。

 ダメも何も、ユウヅツはそのために色々と考えていたのだ。有効な手が思い付かなくて困っていたが、まさかウハクからそう言ってもらえるとは。


 相手が皇太女という身分ゆえ、友達のなり方が分からず途方に暮れていたのだ。

 こうして言葉にしてもらえると、とても分かりやすくて良い。うれしい!


「うれしいです!」


 ユウヅツは握られた手を上下にぶんぶんと振った。「うにゃあ」とウハクが動きにつられて揺さぶられる。


「俺も今日お話して、姫様とお友達になれればと思っておりました」

「そ、そう?」

「はいっ」


 ウハクは嬉しいような困ったような微妙な表情だが、高揚したユウヅツは気にならなかった。


「じゃあ、もうお友達ですね」

「…………」


 ウハクは薄く笑った。


 その陰りで、ユウヅツは日が沈みあたりが暗くなりはじめていると気づいた。


「姫様、そろそろ……」

「ああ、うん。もう行くよ」


 ウハクはユウヅツの手をほどくと、タッタと城へ向かった。


「じゃあな。また学園で」

「ええ、おやすみなさいませ、殿下」


 ユウヅツは、ウハクの姿が見えなくなるまで見送った。


 ユウヅツには一種の安堵があった。


(これでバッドエンドも回避できたんじゃないか!?)




 ……そして、そこから紆余曲折あり。


 物語は第一話に続くのだった。


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