〇九四 シロ(回想4/7)
それからウハクは、「じゃあ、何がいいのだ?」と顔をあげる。
「ユウヅツは、わたくしがどんなことをしたら助かる?」
「お礼はいりません。お気遣いなく」
「……おまえがそう言うなら、本当に何もしないぞ?」
ウハクは眉を下げた。不満なようだった。
「わたくしは、おまえの家に利益があるように取り計らうみたいなことが、上手にできない。何が欲しいか言ってくれないと……」
「俺の家には、何の施しもしないでください。あまり関係が良くありません。卒業後は縁を切られることになっていますし……」
ユウヅツの弁に、ウハクはキョトンとした。
「……そうなのか?」
しまった。言わなくていいことを。ユウヅツは実家が絡むと我を失う。
「……うちが特別ではなく。弱小華族の三男坊ともなると、継がせるものもないんですよ」
これは一般論としてよくある話だ。嘘ではない。
病院が近づいてくると、道はあからさまに寂れてきた。
道は細く、舗装されておらず、建物も洗練されていない実用性重視のものになってきた。土の地面を踏みながら歩く。
「まっすぐ行くと病院なのですが、こっちに曲がります」
「ふんふん」
ウハクは物珍しそうにキョロキョロしながら歩く。
「おー……」
声を漏らしながら、ウハクはスケッチブックをひろげて、鉛筆でザカザカと線を引き始めた。
おおまかに建物の輪郭をなぞってアタリを取っている。
歩みは止めない。ふらふらとユウヅツの後をぴったり付いてくる。
かなり描く人の手付きっぽいな。とユウヅツは素人ながら思った。
「姫様、待ちましょうか」
「や、後から思い出せるようメモしてるだけ、だから、すぐ終わる。終わった」
ウハクはスケッチブックを閉じて背中にまわしてみせた。
そうですか、とユウヅツが移動を再開すると、また背後で描き始める気配がある。
(ながら歩き……)
ユウヅツがなるべくゆっくり進んでいると、庭で洗濯物を干している女がいた。ユウヅツにとってご近所さんで顔見知りだ。
女は歩いてくるのがユウヅツだと気がつくと、破顔して「あらー、ユウヅツちゃん!」と声をかけてきた。
「こんにちは」
「おかえりー。その子は?」
「えーと」
皇太女殿下だと打ち明けることはできないし、『同級生の』と言えばどこぞの華族ということになる。
「さっき街で会った知り合いの、えーと……」
「シロです」
「シロさんです」
「あらあらデート? いいわねぇ〜若い子はね〜〜」
「いやいやそんなそんな」
「ウチの子がいなくてよかったわ〜〜。あの子ユウヅツおにいちゃん大好きだから。嫉妬しちゃう」
女はアハハと笑い、「あ!」と思い出したように手を叩いた。
「リンゴがあるのよ。持ってくでしょ? いっぱいあるから好きなだけ持ってって」
「いいんですか、ありがとうございます! リンゴ大好きです!」
「良いやつよこれ。オバチャン達もう食べたけど蜜入りだったわ」
「わー! 真っ赤だ! やったー!」
諸手を挙げて喜ぶユウヅツに、女は「あげ甲斐があるねぇ」とニコニコした。
「そっちの女の子とね、一緒に食べるといいよ。ほら、まだ持てるよ、持っておいき」
「ありがとうございます! でもさすがに! これ以上は!」
「ありがとうございます」
ウハクもぺこりと頭を下げた。
じゃあねえ、と見送られる。
「……わたくしも半分持とうか?」
「大丈夫です。でも姫様、リンゴを置きたいので、先に家に行きましょう」
「うん」
両手いっぱいのリンゴをもらった。一日一個は食べられるのですぐ無くなるだろう。ユウヅツは家路を急ぐ。
ウハクもこの状況でスケッチに精を出す気はないらしく、ポテポテとユウヅツの後を付いてきた。
「ユウヅツ、先程のご婦人はどなただ?」
「良くしてくださっているご近所さんです」
「ご母堂ではないのか。おかえりと言われたから、てっきりおまえの自宅かと思った」
「おかえりは近所の子どもにも使うんですよ」
ユウヅツの自宅へ到着した。
「この建物に住んでます」
「おー……。ここが……」
「姫様、リンゴは食べられますか?」
「食べたい」
「外で食べますか、中で食べますか」
「……中!」
「では中にどうぞ。……申し訳ないんですが、両手がふさがっているので、代わりに玄関を開けてもらえますか」
「わかった! まかせろ」
とても皇太女殿下に頼むことではないが、リンゴで両手がふさがっていたのでユウヅツはお願いした。
ウハクは嬉しそうにタタッと駆け寄ると、隣家の扉を開けようとした。
「違います! そこはお隣さんの家です」
「??」
ウハクは手を止めて首をかしげる。
「……ユウヅツの家は」
「こっちです」
「……この建物とこの建物は、ここで区切ってあるということか?」
「……そうです」
建物が小さすぎて、それぞれ独立した世帯だと思わなかったらしい。そして、大きくて立派なドアが付いている方を「玄関だ」と思い込んだと。
「こっちか?」
「そう、そこです」
今度はちゃんとユウヅツの住処の扉に手をかけた。
ガララ。
ユウヅツは中に入ると靴を脱ぎ、すぐそこにある台所にリンゴを置いた。ふう。
「あー、一応お手伝いさん……使用人が一人いるんですけど、今は外出してるみたいです」
「そうか」
「とりあえず、中へどうぞ」
ウハクは屋内に入ったことで帽子を脱いだ。長い髪がふわりと広がる。
それから自分の靴に手をかけながら、ユウヅツの家を見回した。
「へえ、玄関に台所があるんだな……。近くて便利だな……」
「惜しいです。玄関と台所がすごく近いだけです」
この家の玄関は、人がひとり立てる程度のスペースしかない。
そこから食堂へ伸びる廊下に台所が設置されているという、かなり空間を有効活用した作りになっている。家の中に余白がないのだ。
「食器を飾るスペースには、机と椅子が用意されている。休めて良いな」
「惜しいです。そこは食堂といって、ごはんを食べるスペースに食器棚も置いてあるんです」
庶民の家に遊びにきた世間知らずのお嬢様キャラみたいなことをおっしゃられる。さすがは本物のお姫様だ。ユウヅツは感心した。
「狭いところで申し訳ないです。やっぱり外で食べますか?」
「せ、せまくない。中で食べる」
「そうですか? 無理そうなら言ってくださいね」
ユウヅツは気にしていなかったが、ウハクは失言の繰り返しで、自己嫌悪に気まずそうにしている。
ユウヅツはウハクを食卓に座らせた。自分は台所に立つ。
リンゴを洗って、ひとまず一個だけ剥いて切り分けた。皿に盛って食卓へ運ぶ。
それにウハクは小さく拍手した。瞳がキラキラしている。
「すごいすごい、ユウヅツは料理ができるのだな。すごいな」
「リンゴの皮を剥くだけでは料理とは言いませんよ。でもありがとうございます」
仮にも華族令息の『ユウヅツ』はリンゴの皮剥きなど習っていないので、これは『夕也』の知識だった。家庭科教育さまさまである。
ユウヅツは先に一切れリンゴを食べた。シャクシャクとした食感と共に、さわやかな果汁が口の中に広がる。毒見である。
「おいしい。これは本当に良いリンゴでした。おいしいです。どうぞ」
「いただきます」
「とはいえ、皇太女殿下のお口に合うものかどうか」
「んーん、おいしい」
「おいしいですか、よかった」
ウハクはニコニコとリンゴを頬張る。そうしていると年相応のどこにでもいる少女のようだ。
(……お可愛らしい)
とユウヅツは思った。
思ったけど。
(ゲームで知ってたけど、実際に話しても良い子だ。やっぱり『お友達』になりたい……)
と、心底から思うのだった。
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