〇九二 同じ人間(回想2/7)
といっても、ゲームでは詳しい日時や場所が出てたわけじゃないし、そもそもそこまで覚えてないんだよなぁ。
ユウヅツは学園に戻って来たものの、どこへ向かうべきか迷っていた。
イベントがあるとしたら、試験の結果が返却された今日かな?と思って来てみたが、空振りに終わる確率の方が高そうだ。
(……行くとこないし、本当に自習室に行こうかな……。やればできるようになるかもしれないし……)
「ユヅリハの」
「あ」
声をかけられ、ユウヅツは横を見た。廊下の先から見たことのある顔が近づいてくる。
ユウヅツが人懐っこく手を振ると、同級生の男子はちょっと面食らってから振り返してきた。
「こんにちはー!」
「よう。帰ったんじゃなかったの?」
「自習室を借りようかと。テストの結果が良くなかったので」
「勉強熱心だな」
「そちらはどうしてまだ校内に?」
「迎えの車を待ってる」
この国に自動車はまだ無い。『車』と言えば人力車のことである。
「待ちぼうけだ。時間割を勘違いしていた俺のミスだ」
「迎えは何時に来る予定なんです?」
「まだかかる。俺も自習してようかな」
などと話しながら歩いていると、同級生の男子が「あ」と窓を指した。
「皇太女殿下だ」
「え、どちらに」
「木陰にいらっしゃる。……御髪が真白でいらっしゃるから、お目立ちになられるんだな」
「…………」
「お美しい……」
同級生は、ほう、と感嘆の息を漏らす。そういえばユウヅツは忘れがちだが、ウハクは目がくらむような美少女だ。
ユウヅツも窓から地面を見下ろした。
なるほど、白い髪の少女が木陰に座り、本を開いていた。……教科書だ。
やはりゲームと同じで、自分の試験の結果に思うところがあったのだろう。
もしも彼女が黒髪なら識別できなかった。
この距離でさえ否が応でもウハクだと分かられてしまうのは、すこし気の毒に思った。ユウヅツなら、視線を窮屈に感じるだろうから。
「そういやユヅリハ、舞踏会で皇太女殿下とダンスを踊っていたな。あれさ……」
「……お勉強をされている」
「あ? あー、……あれ教科書か。本当だな」
ユウヅツは同級生の男子を振り返った。
考えてみれば、ウハクの『お友達』になるのが一人でなくてはいけない道理がない。たった一人の友情に依存するようなことになるのは危ういし。人数はたくさんいた方が楽しい。
だからユウヅツは、同級生にこう提案した。
「お声がけしに行きませんか。勉強してるみたいだし、一緒に自習室を使わないか誘おう」
「え」
聞かされた相手は固まった。
「……悪い、確認だけど君、皇太女殿下にって話をしてるのか?」
「? うん」
男子生徒は、渋いものを食べたような顔をした。
ユウヅツが疑問符を飛ばしていると、おもむろに両肩を掴まれる。おい、
「ユヅリハ、そういうの、田舎では普通だったかもしれないが、帝都ではあまり良くない」
「え……?」
「皇太女殿下、ならびに帝室の皆様のことは、天上の人だと理解した方がいいよ」
忠告したからな。
男子はそう言うと、また歩きだした。
「…………」
制止されたのを突っぱねてウハクのもとへ行くことはできず、ユウヅツは自習室で黙々とテスト範囲の復習をして、家に帰った。
それから、ユウヅツは同級生に言われたことを反芻していた。
帝室の皆様のことは、天上の人だと理解した方がいい。
「……天上の人だと、思ってるつもりだけど……?」
ユウヅツには自覚はないが、のどかな田舎の領主の家に生まれ、帝都に出てくるより先に現代日本の価値観を植えつけられた彼に、身分制度の実感は薄い。特にユヅリハ領は帝都との関わりが薄く、交通の悪さを利用してかなり独立した自治を行っていた。
つまりユウヅツは『皇帝一族』のことを、取引先の社長とか国民的スーパーアイドルとか、そういう括りに入れており、……本当の意味での身分差を理解しているわけではなかった。
「同じ人間なのに」
ユウヅツは、あまりにもかけ離れた相手であれば友達になるより恋人になる方が簡単なこともあると知らなかった。
ユウヅツは『お友達作戦』の出鼻をくじかれて、またしても今後の身の振り方を考えるハメになっていた。
お友達作戦を続行するか、ウハクと完全に関わらないようにするか。どうしよう。
しかしながら、その迷いは早々に打ち切られることになる。
その日、学園が休みでユウヅツは朝から帝都をうろついていた。ゲームで見た『薬屋』がないか調べるためだ。
無いなぁ〜と、ユウヅツはほぼ散歩のつもりで歩いてた。
最近は天気が良くて気持ちいいなぁと思っていると、用水路のところに見覚えのある少女が腰掛けていた。
髪を
「え……?」
ウハクは小さな身体に不釣り合いなほど大きいスケッチブックを広げて、水辺に生えた野草を写生しているようだった。一人に見える。
なんで!? とユウヅツは仰天した。
前もそうだったが、一国の皇太女が街を単身ふらふらしているのは、一体どういう了見なのだ。彼女の侍女や護衛はどうなっている?
「ひ、姫様っっ……」
『姫様』の呼称は皇女に限らず、良いとこのお嬢様程度の身分でも用いられる。それを知っての呼びかけだったが、ウハクは瞬時に自分のことと察したようだった。
ウハクは、いなくなった自分を捕まえに来た城の者だと思い、叱られると焦った。
びく!と全身をバネのように跳ねて立ち上がり、わたわたとスケッチブックや鉛筆やらを片付けようとして——思いきり手を滑らせ、取り落とした。
「あ! ああっ……」
ばさっ! ずざざ、ぼちゃん。
ウハクの手からこぼれたスケッチブックは、用水路に音を立てて着水した。
なだらかな水流に乗って、スケッチブックは船のように流れていく。
「あーーーーっ」
水路に並走しながら手を伸ばしつつ、オロオロ惑っているウハクに、ユウヅツは「俺がなんとかせねば」と思った。
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