〇五三 異世界とりかへて
「で、その琵琶がこれだ」
トカクは一本だけかろうじて無事だった弦を打つ。びょーん、と間の抜けた音が鳴った。
楽器を鈍器に使って破壊するとは、楽師らしからぬ蛮行である。ユウヅツは楽師でもなんでもないのだが。……皇室から借りたものを粗末に扱ったのも華族としては最悪だ。
でもいいのだ。
「これで、どうにかアイツを学院へ連れて行けそうだから」
「…………」
眠るウハクは何も答えない。それにもう慣れきっているトカクは気にせず話を続ける。
「……ウハクなら、こういう時の沙汰はどうしていた? ボクには優しさの才能がない。ユウヅツに肩入れするか、それともユヅリハ男爵をかばってやるか?」
なんにせよ、冷遇していた実の息子に見限られ縁を切られたという醜聞は、ユヅリハ男爵家にとって充分に痛手だろうし、ひるがえってユウヅツも無傷では済まないが。痛み分けと言ったところか。
「しかしユヅリハ家は、ユウヅツが元気にやっていると知らせがあるだけで不幸らしい。なら、それ以上の追い打ちは野暮かもしれないな。…………」
ユウヅツは。
「……アイツは、『夕也はいいけどユウヅツを傷つけるのは許さない』という論法で父親に歯向かったらしい。……誰かのためと思った方が、力が湧いてくるというのは、ボクもとても分かる。……あ、夕也っていうのはアイツの前世の名前なんだと」
と補足して。
「ボクも、おまえのためと思っている時、……なんでもできてしまう気持ちになる……」
それに暴力性、残虐性をはらんでいることをトカクは自覚しているので、声は暗くなった。
「タガを外して、なんでもしたくなるんだよ」
トカクは手を祈りの形に組んだ。
「……ウハク。出航に向けて、いよいよ忙しくなるんだ。しばらくここには来られない。ゆっくり話ができるのは、これが最後かも。だから……今ここで誓おう。ボクはかならず……おまえを目覚めさせるから」
トカクはまぶたを強くつむる。
そして開けて、ウハクの顔を見た。そろそろ見飽きていいはずの寝顔だが、トカクはまだ離れがたい。
「……思えば、おまえは寝るのもけっこう好きだったな」
ウハクは睡眠時間をとても大切にしていて、寝具や寝心地にこだわりがあった、とトカクは回想する。夜は、癒されるという触れ込みの香を寝室に焚いたりしていた。
トカクは夜眠るよりも朝起きる方が好きで、ウハクの趣味にあまり共感できなかったが。
「せめて、この眠りが癒しになっていることを祈る。時が来るまで、おやすみウハク」
トカクはウハクのなめらかなひたいに口付けを落とした。寝台で二人の真白い髪が重なり合うのは、絵画のようにうるわしかった。
諸々の手続きが終わり、ユウヅツは迎賓館にあてがわれた自室へ戻って寝台に倒れた。
「これで……ユウヅツ・ユヅリハは、ユヅリハ家とのつながりを完全に失ったのか」
実感があるような無いような、なんとも微妙な心持ちだ。ユウヅツは寝台を転がって天井を仰ぐ。
しばらくぼんやりしていたが、ややあって身体を起こした。
ユウヅツは部屋に備えつけの鏡台の前に座る。
映り込んだ自分の顔。
ユウヅツは、そこに『夕也』ではない子どもを重ねた。
「ユウヅツ、……くん」
と呼べば、当然のように鏡のなかの少年も同じ形に口を動かした。
自分がいるだけだ、とユウヅツは再認識する。
ただのユウヅツだった子どもはもういない。夕也が入った時、本物のユウヅツは消えたのだ。
だから、これは夕也の自己満足だ。区切りをつけたい。あるいは決別を。
「……ユウヅツくん。君があれだけ望んでいたことを、果たせなくてごめん」
家族仲の構築を。父親からの愛情を。
領地に帰って、それに類似したものを与えられたかもしれない可能性。夕也は反吐が出たが、ユウヅツならすがったかもしれない。
もしくは、今もすがっているのか。お父さんに謝りに行ってよと叫んでいるかもしれない。それが夕也には見えないだけで。
「……俺は、君の身体を借りているだけだから、君の遺志を尊重すべきだったと思う。……でもできなかったし、たぶん俺はこれからも俺の意志で、君がしなかったであろうことをしてしまう、……君の意にそぐわないこともあると思う」
夕也は目を伏せる。
しかし、すぐに鏡のなかに視線を戻した。
「ごめん……」
鏡面に手をつける。虚像の少年も同じように手を合わせてきた。
「だけど絶対したいことがある」
がんばっている王子様に助力して、お姫様を目覚めさせたい。
たぶんユウヅツも、生きていればそう思ったはずだ。『主人公』は優しい男だった。
「……鍬で殴られたのは痛かった。体が動かなくて怖かった。夕也が刺されて死んだように、君も本当は死んだんだろう」
……だけど意外と、俺がこうしてユウヅツくんの中にいるように、今頃ユウヅツくんも俺の中にいたりして、と夕也は思う。……ゲームの世界から現代日本に転生って、なじめるのだろうか。年齢も急に上がるし。……『夕也』の記憶が引き継がれるならどうにかなるか?
本当は死ぬはずだった俺達は、命と引き換えに神様に取り替えられたのかもしれない。
そうだったらいい。
「せめて安らかに。おやすみユウヅツくん」
言い切って、ユウヅツは立ち上がった。
「……鏡とおしゃべり、はじめてしたけど、ちょっと意識を持っていかれる感じがあるなぁ」
やり過ぎると精神に異常をきてしそうだ。
「もうしない」とユウヅツは決める。
大陸への出航日がすぐそこまで近づいていた。
あっという間に暦は進んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます