〇五二 ユウヅツの悲願
「…………」
ユウヅツは、父からこんな扱いを受けるのは初めてだった。
しかし、意外なほど驚きがない。どこかで「やっぱりな」と思ってしまっている。先程までニコニコしていた家族の機嫌が急に変わることが、『ユウヅツ』の人生には多々あった。
だけど『夕也』にそんな慣れや諦念はない。
だから今のユウヅツは、新鮮な怒りがあった。まだ反抗の気力が余っている。
「ユウヅツ」
ユヅリハ男爵は、悪いことをした生徒を叱る教師のような表情をした。何もかもが場違いで、ユウヅツは虚をつかれる。
「大陸に行くのは諦めなさい」
「何故ですか」
「おまえには無理だ」
「あなたに決められることではありません」
ユウヅツが、かつてなく強気に反抗してきていることにユヅリハ男爵も気がついたらしい。しかし、うろたえて付け入る隙を作ることは良しとしなかった。
「ユウヅツ……、おまえはまだ子どもだ。自分がどうすれば一番いいか、自分じゃ判断できないんだ」
「領主様はたしかに、俺がどうすれば一番いいか判断していらっしゃるのでしょう。けれど主語が
「!」
「それが今、確信できました。……殴るのは良くなかったですよ、領主様」
前までなら、こういう時ユウヅツは自分を切り離していた。自分の悲しみや苦しみを押しつぶしなるべく何も感じないようにして、嵐が過ぎるのを待っていた。
だけど自分の心を切り離すのは間違っていた。切り離すべきは……。
「どうして殴られたと思っている? 殴られるようなことを、おまえがしたからだろう?」
「していません。殴られる理由がございません」
ユヅリハ男爵は「?」と怪訝そうにした。ユウヅツに反論されたのが予想外らしい。
「……あなたには殴られたことがない、それだけがユウヅツが家族を諦めないでいられる生命線、最後の拠り所でした」
「!」
「ですが今、躊躇なくそれを手放してしまったあたり、あなたには自覚すらなかったんですよね。たまたま殴らずに済んでいただけなんでしょう」
「ユウヅツ……」
ユヅリハ男爵はユウヅツの言葉を聞いて、とても悲しげに表情を歪めた。
「ぶたれたことがショックだったのだな。だが、愛しているからこそ、こうする必要があった。どうでもよかったら、こんなことはしない」
「領主様、俺を愛してくださっていますか?」
「当然だ。おまえは私のかわいい息子じゃないか」
「だったら領主様、なぜ俺を領地に連れ戻さなければいけないのか、本当の理由を教えてください。……奥様に、俺の邪魔をするように言われたからですよね!?」
聞いておいて、答えが返ってくるまで耐えられずユウヅツは叫んだ。
『ユウヅツ』ならそんな事実は受け入れられないので、自分で口にすることはできない。……だけど夕也なら直視できる現実だ。
口にすれば怒りがあふれてきた。
「奥様は、あなたが使用人風情に手を出したことにたいへんお怒りです。その不義の証明である俺のことは、汚物のようにお思いでいらっしゃる。……その嫌悪を、今更どうにかできるものではない。俺を迎え入れる土壌ができたというのは、真っ赤な嘘に違いありません」
「う、嘘などでは」
「奥様は、俺が視界に入るのも耐えられないが、目の届かないところで幸せになられるのも許せない。ロクな後ろ盾もなく放り出した帝都で堕ちぶれてくれればよかったものを、皇太女殿下の側近に選ばれた、その栄誉が憎らしくって、どうにかしろとあなたに詰め寄った!」
ユウヅツは父親を指差しながら怒鳴る。
「あなたは不倫の負い目もあり奥様に頭が上がらないッ! どうにか俺から尊厳を取り上げないと、屋敷で立場がないのでしょう? それが俺を領地へ連れ戻さなければいけない理由に違いないんです!!」
「……それはおまえの妄想だ!」
ユヅリハ男爵は大声を上げた。
「なんの証拠があってそんなことを?」
「十二年も同じ屋敷で暮らした家族のことです。想像はつきます」
「家族?」
ユウヅツのセリフに、一瞬だけユヅリハ男爵の表情に嘲笑がにじむ。おまえなんか家族じゃないだろう、という……。
しかし、すぐにマズイと思ったのだろう、神妙な顔をしてみせた。
その反応が来ることを予想して、ユウヅツはあえて「家族」なんて表現した。しかし実際にその反応が来ると平静ではいられなかった。
「領地に戻るのが今すぐじゃなければいけない理由が、奥様のご機嫌取り以外にあるんなら、俺は教えてほしいですよ。無いでしょう、あなたの仕事は自分の妻のご機嫌取りだけです。婿養子の分際でありながら女主人を裏切ったあなたは」
「黙れッッ!!」
激昂だった。
ユウヅツは張り倒されていた。力任せの一撃にユウヅツは吹っ飛ぶ。戸棚に身体を打ち付けて、ユウヅツは痛みにうめいた。
「おまえの母親が誘ってきたんだッ! 私は悪くないっ。あの女さえいなければ……」
「は、はっ……誘われたら、断れないんですか? とても領主の器ではありませんね」
「おまえさえ出来ていなければ!」
「男女がまぐわえば子どもが出来るなんて当然のことを、俺が出来るまでご存知なかったとはお可哀想に」
壁に手をついて立ち上がったユウヅツの胸ぐらを掴み上げ、ユヅリハ男爵は息子の首をギリギリと締め上げる。
「……こっちの事情が分かっているなら話が早い。ユウヅツ、大陸留学をやめて領地に戻れ」
「イヤです。何の得があって。俺がそうする理由がひとつもありません」
「育ててやった恩を返せッッ」
「仕返しの間違いでは!?」
ユウヅツは勢いよく自分の額を相手の鼻先にぶつけた。
顔面に頭突きを食らったユヅリハ男爵は、口を押さえながらユウヅツから距離をとる。
「がっ、お゛……」
「家族仲の構築はユウヅツの悲願でした。叶えられるものなら叶えてやりたかった。けど、…………」
「きっさま……」
「自分で言うのも何ですが、義理立ては充分したと思います。どうにもならない。諦めがついた。
ユウヅツは壁際で倒れていた琵琶を手に取って、部屋の出口へ向かった。
「昔の
ユヅリハ男爵は口元を押さえて悶絶していた。鼻血を出しながら、憎らしげにユウヅツを睨みつけている。
「……どうするつもりだ。私が認めなければ、留学はできない!」
そんな問いかけにユウヅツは平坦に答えた。
「本日でユヅリハ家との縁を切ります。ので、あなたの許可はいりません」
「…………!?」
ぎょっ、とユヅリハ男爵が目をむいた。その決断は、本当に予想だにしなかったらしい。
「う、そだ……おまえが、私と縁を切るなど……。そんなことをすれば、本当に他人に……」
「飼い犬が首輪から逃れることはないと思っていたんですか。おめでたいことですね」
「……お前は誰だ?」
ぴく、とユウヅツの目尻が痙攣した。
「ユウヅツが……そんなことを言うはずがない。そうだ……おかしい。おまえを帝都へ追いやった時だって、私に文句ひとつ言わなかったのはおかしかった。……おまえは誰だ!?」
「頭を怪我しておかしくなったんじゃないですか? こんなふうに」
ユウヅツは目の前の父親を黙らせたかった。
手にしていた琵琶を振り上げて、ユヅリハ男爵の頭めがけてぶつけた。
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