〇五一 ここで一曲
「お呼びでしょうか、皇子殿下」
「おお、来たか」
ユウヅツは言われた通りに琵琶を持ってきていた。視線で「何事ですか?」と困惑を訴えかけられる。
それに答えるようにトカクは。
「ユウヅツ。一曲歌ってくれないか。この前のあれがいい、星のやつ」
「……では、僭越ながら」
ユウヅツは楽師用の椅子に腰かけて琵琶を膝にかかえた。
おもむろに弾こうとしかけたが、はっと思い出してユウヅツは華族らしい口上を述べる。
「えー、……それでは、夜空がいつまでも輝き、その光がどこまでも届くことを祈って」
……「この曲は皇帝一族の治世が永遠に続くことを祈ったものです」の婉曲表現である。トカクから「このように言え」と教えられた通りに宣って。
ユウヅツが扇撥で弦を数度鳴らすと、……それだけで、ユヅリハ男爵は異様さに気づいたらしい。ぎくっと身を固くした。
『ユウヅツ』自身の楽器や歌の腕前は並だった。
そして前世の夕也にも、音楽の素養はなかった。楽器に触った経験は学校の音楽の授業だけで、カラオケの点数は八十前後。
しかし、夕也が生きていた現代日本は、この『スタ☆プリ』の時代設定から見れば先進的すぎたのだ。
いわば過去未来・世界各国の名曲を浴びる英才教育を十九年受けてきたようなものであるユウヅツの奏でる音楽は、この世界において「否が応でも耳を傾けてしまうレベル」の表現まで至っていた。
そして、弾いている曲。
ユウヅツは前世の世界で記憶していた曲を、今世の知識で譜面に起こすことに成功していた。そのうちのひとつがこれだ。
……楽譜も読めない一般人だった夕也でさえ耳がおぼえてしまうような曲だ。音楽史に残る名曲であり……この世界では、芸術のオーバーキルであった。
「…………」
一曲弾き終えると、すでにユウヅツの音楽を知っていたトカクの側近達はほうっと息をつき、口々に「何度聴いてもすばらしい」とユウヅツを褒め称えた。ユウヅツは緊張の面持ちながら、特に謙遜せず頭を下げる。
知らなかった、そして予想もしていなかったであろうユヅリハ男爵だけが魂が抜けたように放心している。
トカクがユウヅツの音楽の才能(と言っていいか分からないが)に気づいたのは偶然だ。なんせ、ユウヅツ自身にまったく自覚がなかったので。
たわむれに「異世界の音楽を聴かせろ」と楽器を貸してやったら、楽壇がひっくり返るレベルの名曲がぽんぽん出てきて度肝を抜かれた。
「なんで音楽の授業を取ってなかったんだよ?」というトカクの悲鳴に、「恐れ多くも殿下方となるべく授業が被らないように……」と返されて頭を抱えたりした。トカクとウハクは揃って音楽の授業を受講していた。
……ちなみに、音楽の代わりにユウヅツが選択していた美術は、前世の知識があってもどうにもならないほどセンスがなかったらしく、これこそ並だった。
ともかく、ユヅリハ男爵にユウヅツの演奏を披露できたので、トカクはぱちぱちと拍手していた手を止めてユヅリハ男爵へ向き直った。
「……というわけだ。ボクはユウヅツの才能を伸ばしてやるべきと思う。大陸で見識を広められたら素敵じゃないか? 将来的には専属楽師として宮廷で召し抱えることも考えている」
「……それはそれは」
にこっ、とユヅリハ男爵は表情を取り繕ってトカクへ言葉を返した。
「知らぬ間に随分と上達していて驚きました。……しかし、初めて聴く曲でしたな。不勉強でお恥ずかしいのですが、帝都で流行りの曲なのですか?」
「これから流行ることだろう。ユウヅツを発信源に」
「! …………」
ぴく、とユヅリハ男爵が口元を歪めた。作曲者がユウヅツであると言われたからだ。
それとほぼ同時に、「お、恐れながら」とユウヅツが口を挟んできた。
「その言い方には語弊があります。俺が作ったものではありません」
その言葉に、ユヅリハ男爵の顔色が明るくなる。
「ええと、」
ユウヅツは、自分は前世の世界の先人が作った楽曲を勝手に弾いているだけなので、それを自分の手柄にするわけには……と思っていた。横取りに抵抗がある。
しかし、では誰が?という話になっても、それに対する効果的な言い訳がない。なので。
「お、俺が自分の頭で作詞作曲しているわけじゃなくて……ど、どこからか飛んできた……聴こえてきた……音声を、拙いながら再現しているに過ぎません」
と電報を受信した無線局みたいなセリフを吐くはめになるのだった。
そして、それは天才特有の奇抜な創作論に聞こえてしまう。
案の定、トカクの側近の数名が「ユウヅツ殿は天女達の奏楽が聞こえているに違いありません」「いいや海の向こうの人魚の歌声かも」などと褒めそやす。
分かりきっていた流れなので、トカクは「ふふふ」と笑うだけで受け流した。
「……ユヅリハ男爵。次男では不足する理由をご理解いただけたろうか。どうかユウヅツの大陸留学について、前向きに考えてもらいたい」
「…………」
「何より……ユウヅツの意志を尊重してもらいたいな」
「…………」
すっ、とユヅリハ男爵の目がユウヅツへ向けられた。
ユウヅツの背筋が伸びる。
「……さようにございますね」
おだやかにユヅリハ男爵が頬をゆるめた。
「少しばかり、私の理想を押し付けてしまっていたようです。ユウヅツの話も聞いてやるべきでした。……己の過去の罪を滅さねばと、気が逸っていたのです。皇子殿下、私共のような者にまでお心配りをいただき恐縮にございます」
「…………」
ユヅリハ男爵の態度は、一見して殊勝だ。だが……。
…………。
「ユウヅツと話をする必要があるようだな」
トカクはパッと表情を切り替えた。
含むところのある笑みから、あっけらかん、何も考えてなさそうな笑みに。
「今日は興味深い話をたくさん聞けて本当に良かった。男爵もお疲れだろう、そろそろお開きにしよう。……ユウヅツ。父君と共に下がっていいぞ」
「はっ」
ユウヅツは琵琶を抱えて立ち上がった。
「ユウヅツ、戻ろう」
父親から声をかけられて、ユウヅツは顔をそちらへ向けた。
「…………」
ユウヅツは思う。
領主様は、『俺』の渡航を許してくださる気になったのだろうか。……いや、きっとなったのだ。そうでなければ、…………。
そうでなければ、こんな……。
光に引き寄せられる虫のように父親へ付いていくユウヅツは、その背中を心配げに見送られていることに気づかなかった。
迎賓館の、ユヅリハ男爵が寝泊まりしている客室にて。
ユウヅツの額には、次兄に鍬で殴られた時にできた傷痕が残っている。
その痕の上から更に打ち付けるように拳をぶつけられて、ユウヅツは「対象の戦意を喪失させる効率的な暴力の振るい方」を学習させられた。一発だけなのに、何度もぶたれたくらいの衝撃がある。
客室に連れ込まれたユウヅツは、実の父親から殴られていた。
両手で頭を庇うようにしながら、ユウヅツはぼうぜんと父親を見上げる。部屋に鍵をかける直前までのおだやかな様子から一転、ユヅリハ男爵はいきりたっていた。
「領主様?」
「お父さんと呼んでいいと言っているだろう。なぜ殿下の前でそう呼ばない?」
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