〇五〇 お涙ちょうだい

 


 トカクはゆっくりと茶を飲んでから、「でも」と切り返す。


「結構な言い草だな? 自分の息子のことであろう。やればできる子だったとは思わないのか?」

「息子であるからこそにございます。あの子のことはよく分かっているつもりです」


 キッパリとユヅリハ男爵は言った。


「……しかし、ユウヅツ本人にこんなことを言うのは、はばかられ……。ユウヅツの「どうして留学してはいけないのですか」という問いに、答えることができないでいます」

「そうか。まあ本人に「おまえはバカだから責任の重たい仕事なんか無理だ」とは言えないよな」


 トカクは足を組む。


「とはいえ、三年もやりとりのなかった貴殿に、ユウヅツの何が分かるのか?」

「帝都に赴き、実際にユウヅツと話して確信しました。あの子に留学、ましてや皇太女殿下の側近などという大役はできません」


 ……実際に会ってるってのがなぁ!とトカクは内心で顔をしかめた。


 たしかにユウヅツは頼りないし、父親の前だと更に十割増しで頼れなくなっている。


「とはいえユヅリハ男爵。ユウヅツに留学の資格があることは、正当な審査で認められているんだぞ。それが信用できないのか?」

「…………」


 ユヅリハ男爵は。


「……殿下はもしかしたら、既にユウヅツから聞き及んでいるかもしれませんが、私はあの子にとって良い父親とは言い難い男でございました。自分の妻を抑制できず、あの子が冷遇されるのを見て見ぬふり……」


 と言って、くっとつらそうに目を伏せた。


「しかし、冷遇が原因の事故であの子が頭に大怪我を負って、ようやく私も目が覚めたのです。まずあの子を帝都に避難させて、その間に家を変えねばと思いました。誰もユウヅツを虐げないように!」

「…………。それで、どうしてユヅリハ家の次男坊が代理をするという話になるんだ?」

「うちの次男は優秀なのです。少なくともユウヅツよりは。あの子なら側近たりえると判断いたしました」

「…………」


 映えある皇太女殿下の側近に誰がふさわしいかは、おまえが判断することじゃねえよ。

 と思ったが、トカクはやわらかい表情を崩さずユヅリハ男爵の次の言葉を待った。


「ともかく、ようやくユウヅツをあたたかく迎え入れられる土壌ができたのです。あの子を家族の一員にできる時が……。それなのに、引き離されるなど……」

「…………」

「……恐れながら、側近の代わりはいくらでもいるのでしょう? 志願者も多いはずにございます。しかし……私にとって、ユウヅツはただひとり、替えの利かない宝物なのです」


 そう言って、ユヅリハ男爵は「どうかご容赦ください」とトカクへ頭を下げた。


 不器用ながらうつくしい父の愛に、部屋にいたトカクの侍従や護衛達の空気が弛緩した。


「…………」


 一方トカクは「都合の悪い問いかけを黙殺して、お涙ちょうだいの泣き落としに走った」と、ユヅリハ男爵の頭頂部を冷酷な目で見下ろしていた。


(……この男、ユウヅツから聞いていた印象よりも狡猾だ)


 というか……、……ユウヅツが騙されているせいだろうが、ユウヅツの話とまったく違うじゃないか。不倫の罪悪感から義母の言いなりだけど本人は無害で穏やかな人、という触れ込みは何だったのだ。

 この男、どちらかというと……。


「はあ」


 思考を打ち切り、トカクは話を切り出す。


「……まず、留学したいというのはユウヅツの意志だ。実家に帰るより、帝都に拠点を置きたいと言っている。少なくともボクはそう聞いているのだが……、貴殿の前では、逆のことを言っているのか?」

「いいえ。しかし、皇子殿下」


 ユヅリハ男爵は目を細めた。


「子どもというものは未熟なものです。本人の希望から外れようと、保護者が行く道を指示した方が、結果的に本人のためになる……私は、今回はそれに該当すると思っております」

「……そうか」


 なるほどなぁ、とトカクは背後にもたれた。


(……こりゃユウヅツがどうこうできる相手じゃねえや!)


 トカクは自分が敵を侮っていたことを認めた。


 ユヅリハ男爵の言葉は、どれも正しいことばかりだ。反論できないくらいの。親という立場でこれを振りかざされると対処が難しい。


 ユウヅツがいつまでも父親を説得できない理由が分かった。


 しかし、じゃあ諦めるというわけにいかないのだった。


「…………」


 仕方ない、これは「皇子様のワガママ」を使う時かもしれない。あんまり多用しすぎると信用を失うので、奥の手なのだが。

 トカクは無邪気そうな笑みを浮かべる。


「なるほどな、男爵。つまり……貴殿は己の利益のためにユウヅツを引き留めているにあらず、むしろ国家のため、そしてユウヅツのためを思っている。そういうことだな?」

「さようでございます。ご承知いただけて何よりでございます」

「それが聞けてうれしいよ。ユウヅツに、我が妹の側近たりえる能力があるのなら、留学を許すつもりなのだろう?」

「…………」

「次男を代わりに差し出そうとしたあたり、悪い話とは思っていないのだろうし」

「…………。……さようでございますね」


 しかし、とユヅリハ男爵は続けた。


「しかし皇子殿下。三年もさみしい思いをさせてしまったことを思えば、なるべく早くユウヅツを領地へ迎えてやるべきかと……」

「なるべく? 帰国後でなく、今すぐでなくてはいけない明確な理由は?」

「皇子殿下」


 見かねた従者に制止され、トカクは口をつぐむ。

 トカクは、たしかに押しが強かったかと居住まいを正した。


「……けして無理強いする気はないのだがな?」

「はっ。心得ております」

「でも、貴殿がまだ知らないだけで、ユウヅツはあれで優秀なんだ。ボクはユヅリハ男爵が後から、やはりユウヅツを留学させてやっていればと後悔するんじゃないかと心配しているんだよ。……そうだ」


 ぽん、とトカクは手を叩く。


「誰か、ユウヅツをここに連れてこい。一曲弾かせよう」

「はいっ」


 言いつけられた従者が部屋を後にした。


 突然の申し出に、ユヅリハ男爵は目をまたたかせている。


「楽器……ですか?」


 意外に思われるかもしれないがユウヅツは、華族の基礎教養として領地で横笛と琵琶を習わされていた。おかげで人前でも恥ずかしくない程度に弾ける。

 しかし……腕前は。


「恐れながら……うちの息子の楽器の腕前は、大したものではなかったかと」


 腕前は、ユヅリハ男爵の言う通り十人並みだった。はずだ。


「おや。たとえ拙かったとしても、息子の成長は見たいのが親心ではないか? 学園の授業で新たにおぼえる曲もある。楽器を貸してやろうかと思っただけさ」

「…………。ええ、そうですね! 私めもユウヅツが帝都でどれだけ学びを深めたか、ぜひ知りたく存じます。機会をいただけて感謝いたします。お恥ずかしながら、我が家は大した楽器もありませんで」


 そうして、ユウヅツの到着を待つことになった。


 ユウヅツに音楽の才能があるのかと疑った時、ユヅリハ男爵の顔に「それはマズイ」というような焦りが浮かんだこと……そして、それが杞憂と知らされて安堵したこと。

 トカクは見逃さなかった。

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