第五章 船路

〇五四 白烏プリンセス号

 


 視界いっぱい広がる真っ青な大海原に、ユウヅツは感嘆を漏らした。水平線がどこまでも伸びる。

 前世の夕也は違うが、ユウヅツは海を見るのははじめてだった。


『ウハク皇太女殿下』が大陸へ留学する、その出航の日がやってきた。


 今ほど皇太女殿下の乗船が済んだらしいと、甲板にいるユウヅツの耳に入ってくる。ウハク――のふりをしたトカクが。


「…………」


 乗組員や乗船者達の中には、『ウハク皇太女殿下』の正体がトカクであると知る者も、けして少なくはない。だが情報規制のため、ほとんどの人間がトカクとウハクの入れ替わりを聞かされていないというのが現状だ。


 なので、船内にトカクが『トカク』でいてよい空間はほぼ無い。常にウハクのふりをしている必要がある。

 そして、それは大陸に着いた後も、学院に入学した後も続くのだ。


(本当に大丈夫なんですか、殿下……)


 ユウヅツは不安だった。どこかでボロが出るのではないか。というか、バレるバレない以前に、ずっと演技していなければいけないトカクの精神状態が心配だ。


「……まあ、人の心配をしている場合ではないんですけど」


 ユウヅツは光が反射する水面を見ながら独りごちる。


 その背中に、軽やかな声がかけられた。


「ユウヅツさん、ですわよね。ごきげんよう」

「!」


 振り返ると、ユウヅツと同じ年頃からすこし上くらいの少女達がたたずんでいた。


 中央にいる少女は、愛想のよい微笑みをユウヅツへ向けた。

 公爵令嬢――現皇帝の大叔母の孫で、この中ではもっとも家柄のよい少女だ。自然、少女たちのリーダーじみた立場になったらしく、彼女は皆を代表するように高らかに告げる。


「お話するのは初めてですわね。皇子殿下から、ユウヅツさんも私達と同じように準生徒として入学するから、仲良くするようにと言われましたの。恐れ多くも姫様の側近に選ばれた誇り高き者として、これから一緒にがんばりましょうね」

「ありがとうございます。ユウヅツと申します。留学隊の末席を汚させていただくことになりました。皆様のお荷物にならないよう努めます」


 ユウヅツは礼を取る。


 目の前にいる五人の少女達は、言うまでもなくユウヅツより優秀で位が高い。そして全員が少女だ。

 ……姫様のふりをしたトカクを除外して、男一、女五の学院生活になる。


『男ひとりで居づらいかもしれんが、なんとかしろ』とはトカクの弁だ。『皇太女』の側近に、優先的に女性を選びたい思惑も分かるので文句はない。

 まずはこの五人に馴染むのがユウヅツの仕事だ。とにかく、嫌われないようにしないと……。ユウヅツは決意を新たにする。


「ユウヅツさん。私達、これから姫様のところへ挨拶に行こうと思っていますの。一緒にどうかしら?」

「! お誘いいただきありがとうございます。ぜひ同行させてください」


 なるほど、準生徒となる側近が揃って姫君の元へ行くのに、ユウヅツだけ除け者にはできないと思って声をかけてくれたらしい。女子のそういう連帯はありがたいとユウヅツは思う。


「では行きましょう」


 そうして、姫君の側近達はウハク――のふりをしたトカクのいる場所まで降りていった。


 豪奢な乗り物だよなぁとユウヅツは思う。巨大な船舶。廊下を歩いていて迷子になりそうなくらい部屋が多い。前世でも、こんな大きな船に乗る機会には恵まれなかった。

 烏白ウハク皇太女を乗せて処女航海へおもむくこの船は、『白烏しろがらすプリンセス号』の名が付くらしい。


(もしも兎角トカク皇子殿下として乗っていたら、『角兎つのうさぎプリンス号』になったのだろうか)


 などと詮無いことを考えつつ少女達に付いていくと、トカクの元へ辿り着いていた。


 船室のひとつで休んでいたトカクは、姫君の恰好で窓辺の白い椅子に座っていた。来訪者に視線を向ける。表情はどこか疲れていた。


「……ハナか」

「お久しゅうございます、姫様。はとこのハナにございます。ご機嫌うるわしゅう」

「息災であったか。此度の同行、うれしく思う。……他の者も。ワタクシの身の回りのことを頼むこともあるだろうが、どうかよろしく」

「はい、なんなりとお申し付けくださいませ」

「ワタクシは、おまえ達とは学院では単なる友でいられればと思う。共に大陸での学びを深めよう」

「ええ」


 公爵令嬢――ハナはうなずく。


「それで姫様。大陸へ着くまでに、向こうの授業の予習をできればと思っていますの。ここにいる皆で共に机を囲む時間があったら、素敵ではありませんこと? きっと親睦も深まりますわ。さっそくですが今日から……」

「すまないが」


 トカクはハナの言葉を遮り。


「今日は疲れている。休ませてくれ。明日にしてもらえぬか」

「まあ! これは失礼いたしました。では、また明日お話できればと思います。それでは私共はこれで」


 トカクは興味なさそうにうなずくと、退出する六人を見送った。




 トカクのいる部屋から離れると、ハナは「お疲れのようでしたわね」と切り出した。


「姫様は出立前に、方々への挨拶回りもおありだったはずですわ。仕方ないのかもしれません」

「明日またお声がけいたしましょう。本日はこれからどうしましょうか」

「港の民に見つかる危険があって、姫様は甲板にお姿を出せませんけど、私達は違いますわ。甲板で、船出のようすを一緒に見ませんこと?」

「そうですわね。……ユウヅツさんも甲板に戻りましょう」


 和気藹々と少女達は来た道を戻る。


「……それにしても。姫様、ただ疲れているだけならいいのですけど、……明日以降、きちんとお勉強の時間を取ってくださいますかしら?」

「どうかしら。姫様は、あまり体力がおありではありませんから。一晩でお疲れが取れるものか……」


 言外に『ウハク』への信頼のなさがにじむ。ユウヅツは否定も肯定もできず流した。


 こういうことを言われかねないのは、トカクも予想していたろう。だから本当なら、彼女達を追い返すべきではなかった。


 だが、実際にトカクはひどく疲れていたのだ。


 なんせ出立直前のこの数日、トカクは一人二役で膨大な社交をこなしていた。船に乗る者達に対してはトカクとして「妹をよろしく」と頼み、国に残る者達にはウハクとして「留守を任せた」と頼み。一方で、ウハクのふりをするトカクとして「ボクのいない間の城と妹を守れ」と言い置いたり。


 ユウヅツは様々な場面で、ウハクが退出した直後の部屋にトカクがやって来るのを見ては「手品?」と思ったりした。この数日で、トカクの早着替えの技能はいちじるしく向上していることだろう。


 トカクは城を空けるにあたって、残された時間の限り引き継ぎをしたいと働いていた。それが皇子の仕事だと。

 こうして時間切れとなり船に乗った今になって、ようやくトカクは休めているのだ。ユウヅツとしても「令嬢の誘いを断ってくれてよかった」と思う。


 だがユウヅツには、それより先に心配しなければいけない火急の問題があった。


 甲板までやってきた。

「そうですわ」とハナが振り返る。


「ユウヅツさん」

「はい」

「私、失礼ながら、あなたのことをまったく存じ上げていませんの。どうか教えてくださる? たとえば、……姫様との関係とか」


 ハナの目が警戒心に光る。


 連盟学院で共に準生徒として通学する彼女達。共に『ウハク皇太女殿下』の側近となる彼女達。


 ユウヅツは彼女達の信用を得なければいけない。

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