〇四七 お父さんと
食客として迎賓館に泊まっている息子に会いに、その父親が訪れること自体は問題のあることではない。
しかしユウヅツ、そしてトカクにとっては大問題だった。
「まっさっか、領地を放置して会いにくるとはなぁ〜っ」
「領主様がどうして……」
「分からんが、最悪の可能性を考えて動くっ。ユウヅツ、貴様の父親は迎賓館の応接室に通されているらしい。悪いが親子水入らずにはしてやれない。ボクも行く!」
「それは構いませんが……」
トカクが考えている「最悪の可能性」とは何だろう。早足で歩かされ、ユウヅツは考えがまとまらない。
「ユウヅツ、気をしっかり持てよ。何を言われても動揺を見せるな」
「…………? はい、わかりました」
「……ついたな。ユウヅツ、準備はいいか?」
「はい」
用水路に落とされて濡れた服も着替えてきた。
「おまえから先に中に入るがいい。ひさしぶりの親子の対面だし。とりあえずボクも出しゃばらず後ろに控えておいてやるから」
「はあ、ありがとう存じます」
そんな気を使ってもらうようなことではないのだけどな、とユウヅツは思いつつ。
ノックして、応接室の扉をひらく。
「失礼します」
ユヅリハ男爵はソファに腰掛けていたが扉の音に振り返り、ユウヅツの姿を認めると立ち上がった。
「おひさしぶりです領主様。本日はどのような……」
「ユウヅツ、私の息子よ。今まですまなかった」
父親に抱擁され、ユウヅツは言葉に詰まった。
恰幅のよい父親の弾力がある肉体に、ユウヅツは気色悪いとゾッとしなければいけないはずなのに、勝手に胸が温かくなるのを感じていた。背中にまわされた手のひらの分厚さが、自分が子どもであることを思い出させる。
「私のことを、領主様なんて他人行儀に呼ぶ必要はもうない。ちゃんと家族になろう、ユウヅツ。お父さんと一緒に領地へ帰ろう」
「え……?」
「おまえさえ許してくれるなら、父と呼んでくれないか?」
「…………」
背後から付いてきたトカクなど目に入らないかのように、ユウヅツの父親は腕の力を強めた。
何が何だか分からないまま、ユウヅツの喉奥から言葉が押し出されてくる。
ぼうぜんとしながら、ユウヅツは声を発した。
「お……父さん……?」
「…………」
父親に抱きすくめられて立ち尽くすその背中を見ながら、トカクは内心で叫んだ。
(――最悪の可能性が当たった!)
「…………」
ふーー、と小さく、しかしたっぷりと息を吐いて、トカクは部屋の中に足を踏み入れた。
「ユウヅツ、よかったな。家庭内暴力の被害者であるおまえを実家から追い出して、三年は手紙のやり取りすらなく、成人後はおまえを勘当するとまで言っていた父親と、今さら和解ができて」
「! あ……」
「……学園でできたお友達か、ユウヅツ?」
「領主、様、放してください」
ユウヅツは父親の拘束から逃れ、姿勢を正した。
西側僻地に暮らすユヅリハ家は、トカク――皇子殿下の顔を知らないのだ。そして今のトカクは髪を黒く染めている。
「申し訳ございません。ご紹介が遅れました。……領主様、この方はトカク・ムツラボシ皇子殿下にございます」
「!」
ギョッとし、ユヅリハ男爵はその場に膝をついてこうべを垂れた。
「たいへんな失礼を。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。お初にお目にかかります、私はユウヅツの父、ユヅル・ユヅリハにございます」
「……ユヅリハ男爵、お噂はかねがね。領地からはるばる来てもらったところすまないが、ご子息にまだ用事があるんだ。もうしばらくお借りしたい」
「はっ。ご随意に。私はいつまでも待ちます」
「悪いな。……ユウヅツ、行くぞ」
「は、はいっ」
トカクはユウヅツを伴い応接室から出る。
そのままスタスタと部屋を離れ、階段の踊り場まで歩いた。
そして振り返る。
「ほだされるな!」
「すみません!」
ユウヅツは頭を下げた。
「で、でも、ほだされたわけではありません。ビックリして思わず復唱してしまったんです」
「どうだか……。飢えていた家族愛を満たされて恍惚極まっているんじゃないか」
「そのようなことは……、…………」
ユウヅツはもごもごと黙った。
そして。
「……領主様のあれは、俺を領地へ連れ戻すための演技でしょうか」
「ボクが知るわけない。おまえはどう思う?」
「…………」
「帰ってきてくれと口先は言っているが、元々、帰ってくるなと追い出されたと聞く。どちらが本音なのだろうな? 心とは、言葉でなく行動に表れるものと思うが」
遠回しに諭しつつ、トカクは心の中で焦っていた。ユウヅツが父親にほだされて田舎に帰るなんてことがあれば、計画がパーだ。
そして、その可能性は充分にある。なぜならユウヅツは――。
「……でも、うちの田舎から帝都まで片道二週間はかかります。最低でも一月は家を空けることになるので、忙しい中、時間を作ってくださったことになります。……これは行動に入るのではないかと」
――
トカクは眉間に寄りかけたシワを指でほぐす。
「おまえ、……『主人公』の責任とか言ってたくせに、放棄する気か……」
「そ、そんなつもりは。俺は、殿下の大陸留学へお供する所存です」
「だがおまえ、」
「俺は! ……領主様から許しを得たうえで渡航することができれば、それがもっとも円満と思いますっ」
「…………」
「最初からそう思っていました。普通に実家の父を説得して、留学の同意をもらえば分籍届を出さずに済むと。……俺は、それがいいです」
なるほど。勘当されず、除籍届を出さず、ユヅリハ男爵の許可をもらい、普通に出国する。たしかにそれは円満だ。
それが本当に叶えばな!
「…………」
と厭味をぶつけてやりたかったが、大人げなさすぎるのでトカクは耐えた。
実際、ユヅリハ男爵の人となりなど、トカクはユウヅツの断片的な話でしか知らないのだ。「それが叶うなら最初から叶っているだろーがバカ」なんて諦めさせるには情報が足りない。
「……円満な出立は、たしかに望まれる。男爵家から恨みを買いたいわけじゃないからな。ならばユウヅツ、男爵を説得して、大陸留学の許可をもらってこい」
「! はいっ」
来た方向を指差す。ぱっとユウヅツは表情を明るくして、小走りで応接室へと戻って行った。
ユウヅツが去った階段の踊り場で、トカクは天井を仰いだ。
出立まで一月だ。
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