〇三九 雇用契約

 


 激しく怒られて、ユウヅツは後ずさった。


「う、上の人を連れてこいみたいなこと、言ってたじゃないですか……」

「上が過ぎるある! 我はおまえらみたいなヒヨッコの下っ端じゃなく、上司とか大臣とか連れてこい言うただけある! よりによってお姫様こんな汚いとこ来させるとか、何を考えてるねーーっ!」


 わああっ。とリゥリゥはユウヅツの胸板を殴りはじめた。


 それに合わせて、リゥリゥの家族達もユウヅツを「そうですよ!」「おどろいたよ!」と責めはじめる。

 その場には他にも城の人間はいるのだが、感情をぶつけやすい気安さは最近の常連客であるユウヅツが一番のようだった。


「生きた心地がせんかったある! おまえ、嫌がらせのつもりか!」

「……そんなつもりは。なかったのですが……もしかして、皇太女殿下が来たせいで、断れなくなってしまいましたか? 本当は話を受けたくなかったのに……?」


 本当にそんな恫喝じみた真似をするつもりはなかったので、ユウヅツは血の気が引きながらリゥリゥに問いかけた。

 リゥリゥは。


「違うある! 我、今日どうせ話を受けるつもりあった! 誠意ちゃんと感じれたら、姫様ここに来なくても!」

「あ、よかったです……」


 まずは胸を撫で下ろし、そして。


「……当時の皇族の直系なる方から直々に謝罪すべきだと、ウハク皇太女殿下が判断されました。間違っても嫌がらせの意図はありません」

「うぐう〜〜っ」


 リゥリゥは悔しげに振り上げていた手を下ろす。


「……だいたいカドは今日どこいるある! こんな時に逃げたあるか、あのガキ!?」

「…………」


 あの『ウハク皇太女』こそカド――トカクなのだが、それには誰も気付いていないらしい。


 輝かんばかりの見事な白髪に気を取られて顔の印象にまで目が行かなかったのか。あるいは化粧の効果か……。単純に、天上人である姫君の貌をまじまじ見つめるなんて発想がなかっただけかもしれない。


「……ところで。さっき最初から臣民だったとか言っていましたけど……。それでいいんですか? こちらとしても、ムリヤリに怒りを鎮めてもらうようなやり方は禍根を残しそうなので、したくはないのですが……」

「禍根も何も、五百年も昔の出来事、我の知った話じゃないね。ひいばあちゃんはちょっと皇室嫌いだたあるけど、それもそこまでもなかった」


 ええっ?とユウヅツは聞き返す。話が違うぞ。


「ただ、守るべき家訓あった。もし皇室の連中が、かつての罪を認め、また我ら一族のこと迎え入れようしても、三回までは許すなて。我ら、それに則った」

「…………」

「それを皇太女様を連れてくるバカどこにいる!?」


「私から説明します」とリゥリゥの母親が身体を割り込ませてきた。ユウヅツは先をうながす。


「たしかに我々一族は、かつて朝廷で迫害を受けました。しかし、我々の祖先を殺そうとしたのが皇室の方々なら、我々の祖先を逃して守ろうとしてくださったのも、また皇室の方々なのです」

「ええ?」

「我々の先祖である当時の薬師は、毒によって倒れた主君に殉じ、処刑を受け入れるつもりでした。しかし、牢屋に閉じ込められていた薬師に生きるよう説得し、財を分けて逃がしてくれたのが当時の姫君――現皇帝陛下の直系のご先祖様にございました」

「…………」

「……ですから、我々は最初から、いつかふたたび宮廷薬剤師として認められる日が来るならば、喜んでお受けしたく思っていたのです」

「…………」


 リゥリゥの母親は、「恥ずかしながら、今では新薬の開発をしているのはリゥリゥだけで、我らに宮仕えができるだけの技能はないのですが……」などと言っている。


 ユウヅツは。


「最初から……そう言ってくれていれば……」

「だって、迫害され、逃げた我々を殺すための薬師狩りが行われたのも事実なんです……」

「いきなり姫君に談判させるおまえがイカれてるある! 勘弁しろある!」


「リゥリゥ様、こちらの契約書に署名を」

「…………」


 契約書を読んで、リゥリゥがそこにサインした。


「……これで我、宮廷薬剤師あるね。実感ないが……」

「……まあ……、何はともあれ」

「おめでとうリゥリゥ! これで研究もはかどるわね!」


 わっとリゥリゥの家族が手を叩いた。


「おまえは昔っから薬にしか興味がなくて……」

「どうなるかと思っていたけど宮廷薬剤師なら安泰だわ」

「家訓なんか気にしなくていいって言ったのにこの子は……」

「幼児扱いやめるある!」


 店内は一家団欒の様相になった。


 ともかく、話がうまくまとまってよかった……と思っていると、皇太女専属侍女がユウヅツに話しかけに来た。


「ユウヅツ様。皇太女殿下がお呼びです」

「分かりました」


 ユウヅツは喫茶店を出る。


 馬車の窓からトカクがちょいちょいと手招きをしていた。


 トカクがまばたきをすると、目元を彩る影色粉が涼やかにきらめく。今朝方「ウハクはこれが似合うんだよな〜」などと宣いながら、自分で筆を引いていた。(この世界は薬学が発達している影響か、化粧品もかなり発達していた)。


 ユウヅツは馬車の近くに寄る。


「殿下、お呼びでしょうか」

「リゥリゥの様子はどうだ?」

「宮廷薬剤師になれることを喜んでいます。家族みんなで」

「そうか。思っていた以上におどろかせてしまったが、従属を強要したみたいになっていないのならよかった。身分とはそう使うものではないからな」


 トカクは扇子を開いて口元を隠した。


「『ウハク』はそんなことしない」

「……トカク皇子殿下だと、なさるのですか?」

「そうは言っていないだろ」


 ジト目。


「……適当なところで切り上げさせて、リゥリゥを城へ連れてこい。『ワタクシ』は先に城に戻っている」

「……馬車で連れて行くのでは?」

「皇太女と同乗はさせられん。馬車で行きたいとリゥリゥが言うなら斡旋しろ。それともおまえ、徒歩はイヤか?」

「滅相もございません」

「では、そのように」


 トカクはしとやかにおくれ毛を耳にかけた。


 それを合図にするように、ユウヅツは護衛によって遠ざけられ、窓は閉じられ、馬車がゆっくりと動き出す。


「…………」


 大勢に守られながら走るその車体を見送り、ユウヅツはドッと疲労感が押し寄せてくるのを感じた。


 今日だけで大勢の人間が動き過ぎている。


(……『皇子』と『皇太女』で、こんなにも扱いが違うのか……!)


 中身は同じなのに。


 皇子のトカクは、ユウヅツなんかと二人ふらっと街に繰り出しても許されていたのに(実は後方から護衛が付いてきていたが)。皇太女のウハクが動くとなると、こうなのか。


 学園では平等を掲げられていたので、ユウヅツには実感がなかった。校舎を大勢の衛兵で囲み、校内の至るところで皇室付きの警備員が見張りをしていたが……それは生徒全員を守るため、というお題目だったので。


 髪を黒くして身分を偽っていたのと、公的な謝罪のため出向いたのとでも違うのだろうが。それにしても。


「次期皇帝って、たいへんなんだなぁ」


 今更なことをユウヅツは思った。

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