〇三八 誠意を見せる
いつもはトカクの乗る客車の中に同乗させてもらっていたのだが、この日のユウヅツは、馬を運転する御者の隣に腰掛けていた。
昨日までユウヅツが乗っていた「貴賓」を乗せる場所――客車は座り心地が良かったのだが、それに比べると御者席はガタガタとよく揺れる。ユウヅツは前世の自動車と整備された道路が恋しくなった。
ややあって、薬屋のある喫茶店の目の前で馬車が停まる。
先んじて喫茶店の前で待機していた侍女が、うやうやしく客車の扉に手をかけ、ゆっくりとひらく。
「…………」
その中には、トカクが楚々と腰かけている。絹糸の髪をゆるく巻き、ハーフアップにしている……少女、にしか見えない。
女装である。
……まさか留学前にふたたび女装姿を見るとは……。とユウヅツは思いつつ、エスコートのため手を差し出す。
ゆっくりとトカクは馬車の踏台に足を乗せた。
ユウヅツの手を借りる形を取り、しかし何の支えにもせず、なんなら肌に触れないまま音も立てないで優雅に地面に降り立つ。……エスコートが必要には思えない。
何はともあれ、『ウハク』が馬車から降りた。
薬屋へ。
「皇太女殿下がいらっしゃいました」
喫茶店の中に入ると、リゥリゥ・リンとその家族が揃って待っていた。……否、正確には買い付けや採集などでこの場にいない人間もいるのだが、とにかく近場にいる家族は勢揃いにした、という感じだ。
「…………」
こうべを垂れたまま、リン一族は身動きひとつしない。
トカクは近衛兵に案内されて、その家族の前で立ち止まる。
この国には、身分の高い者が許可を出すまで、身分の低い者は声を上げてはならない、という暗黙の了解がある。
……彼らが皇室に背くつもりなら、あえて無視して先制してくるかとユウヅツは思っていたのだが。この場において彼らは、皇太女に対して平身低頭を示すつもりらしかった。
間を開けて、トカクが『ウハク』の声で、やわらかく口をひらいた。
「……リン一族の皆様方。どうか、顔を見せてもらいたい」
その言葉に、おずおずとリゥリゥ達が頭を上げた。
それを見計らって、トカクは。
「……家臣達から、話は聞かせてもらっている」
「…………!」
リゥリゥが身構える。
それをすり抜けるように、トカクはさらりと続けた。
「かつて南朝廷――ワタクシの身内が犯した、罪のこと……。あなた達のご先祖様に対する、あんまりな仕打ちに、ワタクシは言葉を失った」
「! …………」
「……受けた恩義に報いることをせず、仇で返し、謝罪することさえなく、あまつさえ記録すら放棄してしまった……。ワタクシ達の不足に、……ただただ、ふるえあがるような思いだ」
ゆっくり、噛み締めるように言うと、トカクは深々と頭を下げて礼の形を取った。
「かつての皇室一同に代わり、現皇太女として、この場を借りて深く謝罪させてもらう。本当に、申し訳もない」
「ひい……!」
本来なら一生見るはずのない『姫君』のつむじを目の当たりにして、リゥリゥは真っ青になった。
耐えきれないというようにリゥリゥの母親――黒髪の中年女性がばっと口をひらく。
「ッ皇太女様が頭を下げるようなことでは! ございません!」
「ああ……。ワタクシひとりの謝罪で許されるものではないと……」
「違います! あの……うちの娘の一言で、恐れ多くも、まさか皇太女様がいらっしゃるとは思いもよらず! 私共は、そこまでしていただくほどのものでは……!」
「謙遜はやめてくれ」
トカクは心底おどろいたというように瞳を丸くする。
「あなた方の薬師としての腕前も、すでに耳に及んでいるのだ。厚かましいが、どうしても、もう一度ワタクシ達の助けになってほしくって……」
すこし無邪気さというか、あえて崩した言葉遣いでトカクは親しみを出す。
それから、「あっ!」と自分の口に手を当てた。
「ああ、いけない……。どうか誤解をしないでくれ」
「え……?」
「ワタクシは、けっして、あなた方を宮廷薬剤師にしたいがために赴いたわけではないのだ。かつての皇室の瑕疵を、次期皇帝として心より謝罪しなければと思って、時間を作ってもらったのに……。重ね重ね、失礼いたしました」
「ひいっ、……もういいです、やめてください!」
ふたたびこうべを垂れようとしたトカクを、リン一族は血相を変えて止めた。
「あの……あの。うちの娘、リゥリゥは幼い頃から多言語に触れさせてきたせいか、母語でありながらまたたき語が不得手で……。皇太女陛下に対して失礼な喋り方になってしまうかもしれませんが、口をひらくことを許していただけますでしょうか?」
「ああ、気にしない。どうか思っていることを聞かせてくれ」
「……恐れながら!」
リゥリゥは膝をついた。
「我、リゥリゥ・リンは生まれた時からこの国の臣民にございます。お名前をお呼びするのも恐れ多き皇帝陛下が望まれるのであれば、いつでも持てる力の限りを皇室に捧げる所存でございました! それでありながら、身の程知らずにも謝罪を要求し、皇太女殿下に足を伸ばさせてしまったご無礼をお許しください!」
「…………。それは……」
トカクは小首をかしげる。
「……ワタクシ達の、あなた方へ対するかつての非道を、禍根はあれど水に流してくれる……ということで、よいのだろうか?」
「禍根なんて……! ありません、です。我の先祖、どう思ていたにせよ、今の我々は、安寧な暮らしくださる国家に、深く感謝している、です。試すような真似して、しまっ……いました。申し訳もございません」
「かつて臣下の忠義を裏切ったのはこちらだ。すぐに信用せずに確かめることは、むしろ正しいと思う。……顔を上げてくれ」
リゥリゥは顔を上げる。いつもの飄々とした店主の面影はなく、『皇太女』を前にして肌が青白くなっていた。
「では、あなたはワタクシの宮廷薬剤師になってくれる……ということで、間違いないのだろうか?」
「……我ごときに務まるか分かりませんが、謹んで拝命いたします。粉骨砕身でお仕えすることを、ここに誓います」
「ああ……! ありがとう。とても嬉しく思う」
トカクは花がほころぶような微笑みを浮かべた。リゥリゥの前にしゃがみ、視線の高さを合わせる。
「何か困ったことがあったら、いつでも、ええと……カドかユウヅツに言うがよい。ワタクシが配慮しよう」
「おっ、恐れ多いことある、です……」
震え上がったリゥリゥが、なんとかそう返す。
なお、繰り返しになるがカドはトカクの偽名である。
トカクはさっと立ち上がる。
「……ワタクシがここにいては、気を使わせてしまうな。先に馬車に戻っている。あとは頼んだ」
「はっ」
数名の侍女と護衛を伴い、トカクは颯爽と喫茶店を後にした。
契約書などを書かせるために家臣数名が残った喫茶店。
緊張状態にあったリン一家がほっと肩の力を抜いたのを見て、ユウヅツは近寄る。
「お疲れ様です。よかったです、話を受けてもらえて……」
座ったままのリゥリゥに、ガッと手首を掴まれた。
「ユウヅツ、おっまえ……」
ぎりぎりと締め上げられる。
いてて!とユウヅツが顔をしかめていると、顔を真っ赤にしたリゥリゥが、涙目でユウヅツを怒鳴りつけた。
「初手で皇太女様を連れてくるとか、おまえらアタマおかしいあるか!?!?」
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