〇二五 大陸共通語を習得せよ
完全に目が死んだユウヅツが、教師の言葉をザルのように取りこぼし聞き流しているのを察知して、トカクはユウヅツの耳の横で手を打った。
「お留守になってる!」
「っすみません!」
ユウヅツは我に返ってバッと筆を握りなおした。
「えーと、えーと」
「ユウヅツ、おまえが止めないと先生は喋り続けるぞ。大陸共通語で「もう少しゆっくり喋ってください」は何だっけ?」
「ええええと」
今は、先生が喋っている大陸共通語の内容を聞き取り、内容をメモしていくという訓練をしている。
ユウヅツは先生の言葉を理解するのに一難、それを要約するのに一難、わかりやすく書き取るのに一難、その後、話の内容について質問されて答えるのに一難という感じで、つまりできているところがひとつもなかった。
定期的に脳の回転が停止して、ぼうぜんと虚空を眺めるだけの時間が発生している。
トカクは「こいつ、ウハクくらい勉強が苦手じゃん」と思った。
皇子であるトカクの周囲には、国内屈指に優秀な者ばかり集められていたので、ウハク以外に勉強ができない者を知らない。なので自然そういう感想になる。
こういう、ちょっと似ているところがウハク的には親近感を感じていたのかな。とトカクは思ったが、ウハクが眠りについている今は知る由もない。
授業中、ユウヅツはずっと苦悶の表情を浮かべているし、休憩時間は頭を抱えている。
トカクもユウヅツにとって効果的な勉強法がないかと模索していたが、方法ではなく地頭の問題としか思えなかった。
「ゆるしてください……ゆるしてください……」
仮眠を取った方がむしろ効率がよい、と聞いたのでトカクはユウヅツの時間割に仮眠の時間をくれてやり、疲れきっているようですぐさま眠ったユウヅツの耳元で大陸共通語の教科書を読み聞かせてやったのだが、ユウヅツは寝言で泣き出してしまった。
「…………」
トカクはユウヅツの入試に不正を検討しはじめた。
という事の顛末を、トカクは皇女宮に隔離され昏睡するウハクの横で話していた。
「ウハク……ボクはおまえを助けてやれないかもしれない……。ユウヅツを正規の手段で学院に連れて行けそうにないんだ……」
当然、ウハクの返事はない。トカクはぼそぼそと話し続ける。
「……勉強していると苦しそうな顔になるのが、少しおまえに似ているよ。おまえはアイツの、自分と同じで安心できるところを好きになったのか……?」
トカクはウハクの顔を見やった。ずっと閉じているから、瞳の色を忘れてしまいそうだと思った。
「こういう話は、したことなかったな……。しておけばよかったのかな……。…………」
辛気臭くなってしまったと、トカクは腰を上げた。
「また来るよ。おやすみウハク」
トカクはウハクの居室を後にする。
ユウヅツの休憩時間がそろそろ終わる。家庭教師は昼間しか来ないから、夜はトカクが指導していた。
一所懸命やっているのは分かっている。もう少ししたら、きっと身に付くはずだ。
トカクが部屋を訪れると、ユウヅツは完全にヤケを起こしていた。
力いっぱいに叫ぶ。
「できるわけないんですよ! できるんなら在学中にできるようになってるんですから! できるわけないじゃないですか今さら――っ! もうイヤだ――――っ」
「落ち着けユウヅツ! 少しずつだが成長しているじゃないか! もうちょっとだけやってみようぜ!」
「あと二ヶ月しかないんですよ! 無理って分かってるでしょう! もう諦めてくださいよーっ、不正入試とかさせてくださいよーっ」
「最後の手段だソレは、バレたら大問題だぞ!」
わあっと床に伏せてユウヅツは嘆く。
そうして一通りわめいて。
「本当にごめんなさい、でも無理です。……最後の手段を使わせてください」
「いやだから、バレたら大問題だから慎重に」
「不正入試じゃなくて。あの……ゲームのチートを使わせてください」
「……ゲームのチート?」
ユウヅツはよろよろと起き上がり、説明をはじめた。
「ゲームでは、第三言語を変更するアイテムを、課金によって入手できたんです」
「……第三言語を変更する? カキン?」
トカクは困惑した。
ユウヅツの説明はこうだ。
ゲーム『スターダスト☆プリンセス』――略称スタ☆プリでは、第三言語を自由に選択することができた。
大陸共通語スキルをカンストさせると第三言語スキルが解放され、好きな列強諸国の言語をおぼえられるのだ。
これを上昇させることで、連盟学院で出会う攻略対象の好感度を上げやすくなる。たとえばライラヴィルゴ王国出身である令嬢と仲良くなりたいなら、ライラヴィルゴ語を習得しておくと話が早い。
そして課金すれば、選択した『第三言語』を後から変更できたのだという。
ライラヴィルゴ語のレベルを五十まで上げた後、それをシギナスアクイラ語レベル五十に入れ替えられた。らしい。
「なるほど」とトカクはひとまずうなずく。それから。
「……それは……ゲームの話だろう?」と確認した。
いくらなんでもゲーム過ぎる。そんなことが現実でできるはずがない。ゲームだからできた技だ。
「ゲームのマップ上にある『薬屋』で、『言語をおぼえなおす薬』という商品を購入できたんですよ」
「…………。それで、店舗がこの現実世界にもあるんじゃないかと?」
「…………」
ユウヅツはうなづいた。
「……無いって。そんなんあったら魔法じゃん」
「充分に発達した薬学は魔法と見分けがつかないものです。……異世界転生ですよ!? それくらいのサービスがあってもいいはずです」
「ないって……」
あまりに現実的でないユウヅツの提案に、トカクは勉強のさせ過ぎで狂ってしまったかと思った。
「だいたい、その薬屋はどこにあるんだ。あるならとっくに行ってるはずだろう、おまえ」
「……帝都、中央区内にあるはずです。マップでは、学園から見て南西側に……。……最初の頃は、どこかに店があるんじゃないかと自分なりに調べていたのですが、見つけられず……。それに、ゲームでの設定から、俺には手の届かない値段だろうとは察していたので、だんだんと探さなくなっていました。……ですが、皇子殿下のお力があればきっと見つかります……!」
「…………」
ないと思うけどなぁ。トカクは目をそらす。
そんな魔法みたいな薬があるなら大騒ぎになっているはずだし、世界がひっくり返る。
「この世界は異様に薬学が発達しているんですよ。眠り続ける薬とか視力が上がる薬とか! 黒染めスプレーだって本当なら世界観的にオーパーツですよ。そんなのがあるんですから、言語をおぼえなおす薬だってあるはずです!」
オーパーツって何だろう、と思いつつ。
「薬で言語をおぼえなおすなんて、道理が通っていないぜ。知識や教養ってそういうものじゃないだろう」
「……でも俺があと二ヶ月で大陸共通語をおぼえるのは無理ですよ!?」
「…………。…………。…………」
…………。
翌朝、トカクとユウヅツは帝都の中央区にやってきた。
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