〇一八 『星の皇子』の搾りかす(回想3/3)



 ウハクは人にぶつかったこと、そしてその相手に受け止められたことに理解が追いついていないらしく、ぱかんとユウヅツの顔を凝視していた。


「…………!!」


 ユウヅツはと言えば、内心でパニックを起こしていた。

 半年前に道案内をした迷子の少女が、皇太女殿下だったと理解したからだ。どうしよう、不敬、どんな話したっけ、気分を害させはしなかったか、なぜ姫君が街にひとりで、どうしよう、何かやらかさなかったか。


 ひとまず、ユウヅツはパッと身体を離した。


「失礼いたしました。お怪我はありませんか」

「だ、だいじょうぶ」


 ユウヅツはおぼえていた。ゲームでは『主人公』は、ぶつかったのも何かの縁とウハクに自己紹介する。が……。


(主人公の役目を盗るわけにはいかない! 逃げないと……)


「本当に失礼いたしました。申し訳ないのですが、俺は先を急ぎますのでこれにて……」

「ま、待てっ」


 ユウヅツは、相手が皇太女だと気付いていないふりでウハクの横を通り過ぎようとしたが、腕を掴まれてしまった。

 ひええと振り向くと、ウハクが上目でユウヅツを見ていた。


「おまえ……わたくしと、会ったことがある、よな?」


 それは『主人公』が言われるはずだったセリフで、ユウヅツはいよいよ焦りはじめていた。

 会ったことはあるが、半年前に道案内をしただけだ。ゲームの主人公にそんなエピソードはなかった。ウハクのセリフは本来なら運命の匂わせであって……。


「……おまえ、名は何と申す?」

「——ユヅリハ男爵家の三男、ユウヅツ・ユヅリハと申します。本日より学園に通う新入生です」


 聞かれたら答えないわけにいかず、ユウヅツはかしこまって礼をした。男爵家であるユウヅツは階級が最下位であるから、学園内では他人を見たら敬えと、家庭教師に口を酸っぱくして言われていた。


「ふむ、ユウヅツ。わたくしはウハク・ムツラボシと言う」

「…………! 恐れ多くも皇太女殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅうございます。田舎者ゆえ、挨拶が遅れたご無礼をお許しください」


 皇太女だと打ち明けられてしまったので、ユウヅツは膝をついて深々と臣下の礼を取った。先程までなら知らんぷりで逃亡もできたが、これで逃げ出すなど言語道断となってしまった。


(……というか、白髪を見たら皇室の血縁者と思えと習っているくらいなのに、ゲームの主人公がウハクを皇太女殿下とすぐに分からないの、思えば無理がある設定じゃないか……!?)


 ユウヅツがすべきは、すぐさまウハクを皇太女殿下と見抜いて、初手で平伏することだったのでは。

 と気付いても後の祭り。


 ……先程から、ゲームの主人公のやることをユウヅツが奪ってしまっている。

 『主人公』に該当する人間は、近くにいないのだろうか。……さすがに現実にはいないんじゃないかとユウヅツは推察していたのだが、この時ばかりはいてくれと願った。そして代わってくれないだろうか。


 ウハクは深くこうべを垂れているユウヅツに、「よい。おもてを上げよ」と告げた。


「わたくしは学園の中には身分の上下などなく、ただ共に学ぶ友であるのみと思っておる」

「ありがたきお言葉でございます。皇太女殿下の御慈悲に感謝いたします」


 面を上げよと言われて無視もできず、ユウヅツはおそるおそる頭を上げた。

 ウハクは迷子になっていた時とは別人の雰囲気で、不遜な姫君らしい表情でユウヅツの全身を上から下までながめた。


「……ふむ。やはりわたくし達はどこかで会ったことがある。おまえ、覚えは?」

「恐れながら自分の出身は西側僻地の田舎にございます。皇太女殿下にお目通りなど恐れ多いことにございます」

「…………」


 ウハクは不満そうに黙り込んでしまった。


 立場上ユウヅツは勝手に立ち去ることはできない。ウハクが「もう行っていい」と許可するか、通り過ぎられるまでを待たなければならないのだ。


 だから、しばし無言の時間が流れた。


「————ウハク!!」


 大勢の足音に、ユウヅツははっと振り向いて、そして頭を下げた。


 トカク・ムツラボシが従者達を連れ立って歩いてきたからだ。


 ウハクと瓜二つの姿ではあるが、表情の作り方がまったく違う。ギラギラと意志の強そうな目、凛々しく吊り上がった眉。歩き方から威勢が良く、ひとつ結びにした長い髪が地面を蹴るたびに跳ねている。


 トカクはひざまづいたユウヅツを無視し、まずウハクに声をかけた。


「よかった、こんなところにいたのか。皆おまえを探していた。ほら、行くぞ」

「お兄様……、…………」


 ウハクは少し怯えたようすで、トカクは少し怒ったようすだった。


 ユウヅツはゲームの内容を思い出す。

 そうだ、たしか……ウハクは新入生代表として、入学式で挨拶をする予定だ。そのためにウハクは、入学式の数刻前に講堂で予行演習をすることになっていた。

 マイクも普及していない世界だ、声の大きさ、喋る速度、……現地での練習は重要だった。


 なのに、ウハクは予定していた時間になっても講堂を訪れなかった。逃げたのだ。

 困ったウハクの従者達は、姫君が練習に来ないんですとトカクに助けを求めた。


 そうしてトカクがウハクを見つけたのが、今だ。


「ええと、そこのおまえ。もう行ってよい。下がれ」

「はっ」


 トカクはユウヅツにも声をかけた。

 声はかけたが、トカクはユウヅツに興味がないようで、見向きもしていない。


 しかし、これで逃げられる。ユウヅツは安堵した。


 ゲームだと主人公は、怯えているウハクをかばおうとトカクに楯突くのだが、そんな恐ろしいことユウヅツにはできない。ふたりが普段は仲の良い兄妹で、べつに庇う必要がないことも知っているし。


 ユウヅツがその場を去る直前、最後に見たのは不貞腐れた顔で兄に手を引かれるウハクの姿だった。


 ——ウハクは本当は、時間通りに講堂へ赴いていた。しかし、そこで待機していた従者達の陰口を聞いてしまう。

「どうしてウハク姫が新入生代表挨拶?」「入試の成績のトップはトカク皇子だったはず」「二番目ですらない」「皇太女ってだけで下駄を履かせてもらって恥ずかしくないのか」「本当はトカク皇子付きの従者になりたかった」————。


 聞くに耐えず、ウハクはその場から逃げた。そしてユウヅツにぶつかったのだ。


 兄に比べて不出来。

 それはウハクが最も指摘されたくない事実だった。兄を尊敬していて本当に大好きだからこそ、そう言われるたびにウハクは自分を嫌いになる。


 これこそウハクが『星屑姫』などと呼ばれる本当の所以。『星の皇子』の搾りかす。

 彼女は、生まれた時から双子の兄と優劣を付け比べられてきた。その評価は、トカクが勇猛果敢ならウハクは優柔不断。


 ――『優秀な兄にコンプレックスを持ち、自分なんかどうなってもいいんだと破滅願望を抱く姫君』。

 それがウハク・ムツラボシというキャラクターだった。




 そして……入学式の最中、壇上のウハクの投げやりな挨拶を聞きながら、ふとユウヅツは天啓を受けた。


(……まさか、俺って『主人公』に転生したのか?)


 血の気が引きながら、ユウヅツは悟った。


 ゲームは、皇太女の重圧に押しつぶされながらも自分を精いっぱい大きく見せようと居丈高に振る舞う少女の苦しみを、主人公が解きほぐしてやるのが主題だった。

 無理。ぜったい無理。国婿とか攻略とか、俺にできるはずがない。


 何より、この瞬間まで自分が主人公なんて思い当たらなかった自分に、主人公など務まらない。と。


 そうして一年が経ち、二年が経ち——ウハクが毒を呑まされるに至った。

 至ってしまった。


 ユウヅツは主人公失格だった。

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