第二章 主人公失格

〇一六 ユウヅツ・ユヅリハ(回想1/3)



 夕也ゆうやの最後の記憶は、自分の身体から流れる血が床を汚していくところである。


 周囲で「ゆう、ゆう」と名前を呼びかけられていたのだが、その声がだんだんと遠のき、「ゆう」というのが自分の名前ということすら分からなくなっていった。


 かろうじて救急車が来た報せが聞こえて、よかったこれで助かると思いながら、夕也は意識を手放した。




 目が覚めると、まったく知らないところにいた。


「え? え? え?」


 病院で目覚めるものと思っていた夕也は、そこが六畳ほどの和室であることに動揺した。


 死んだと思われて仏間にでも寝かされているのか?と一瞬だけ思ったが、仏壇など無いし実家でもない。

 夕也は混乱しながら布団を這い出て、立ち上がり、視線の低さにおどろく。背が縮んでいる、だけではない。手足が細いし身体が異様に軽い。


 これは誰だ? ここはどこだ?


 ともかく落ち着こうと、夕也は記憶をたどろうとした。たしか俺は普通に大学に行って、授業と授業の間にスマホゲーム――スタ☆プリをしていたら、友達に呼びかけられ、そして……。


 と思い返そうとした夕也の思考に、割って入ってくる別の記憶があった。まったくおぼえがないのに、夕也はこれが『自分』の記憶だと直感する。


 それは十二歳の『ユウヅツ』の記憶だった。


『俺』はユヅリハ男爵家の三男。ここは大瞬帝国の西側僻地ユヅリハ領。『俺』は畑仕事中に兄からくわで殴られて昏倒し、この三日ほど起き上がれなかった。


「……はずなのに、動けるようになってる」


 夕也は自分の手を閉じたりひらいたりして無事を確かめた。……『ユウヅツ』は寝込んでいる間、ずっと頭痛と目まいがしていたのだが、それも無くなっている。

 いや、ユウヅツって誰だ? 大瞬帝国って、ゲームの国名じゃないか。男爵ってことは貴族?なのに畑仕事? ……いや、キゾクって何、華族の間違い……。鍬でブン殴ってくる兄もヤバすぎるし……何時代だよ……。あのクソ兄貴、人が妾の子だからって、……? 『ユウヅツ』は妾の子なのか?


 ぐるんぐるんと夕也の内側で二つの記憶が混濁していた。拮抗する自我で、『ユウヅツ』の身体は嘔気までもよおしてくる。俺はどっち、俺はどっち。


 そのせめぎ合いは、ぽろっとこぼれた次の言葉により収束した。


「日本にいた『夕也』は死んで、大瞬帝国で『俺』に転生した……?」


 そう口にすると腑に落ちて、それまでの狂乱じみた困惑からユウヅツは脱することができた。視界が明瞭になる。


 そう、俺はユウヅツ・ユヅリハ。大瞬帝国に生まれた。

 異母兄にブン殴られたのをきっかけに、異世界の記憶を思い出した……!


「……もしかして、大瞬帝国って前世の俺がやってたゲームと同じ……?」


 ええと、この国の皇太女の名前はウハク・ムツラボシ。その双子の兄はトカク・ムツラボシ。……ユウヅツが家庭教師に教わっていた皇室にまつわる知識が、『前世』のゲームと一致する。


「……いや、そんなことより。起きられたし、領主様に報告しないと……」


 領主様とはユウヅツの父親のことだ。妾の子であるユウヅツは、父と呼ぶことを義母によって禁じられていたが。


 この父親への報告は、『ユウヅツ』にとって前世云々より重要なことだった。


 指一本動かせない状態でも、ユウヅツの意識だけはずっと明瞭だった。

 ユウヅツを鍬で殴った異母兄――ユヅリハ家次男は、自分のやったことを隠蔽して「ユウヅツが勝手に転んで頭をぶつけた」などとのたまっていた。白日の下に晒してやらないと。

 それがなくとも、寝たきり状態になっていたユウヅツをまともに心配してくれていたのは父親だけだ。顔を見せなければ。


 そうして、転生したユウヅツの生活が始まったのだった。




 兄の暴行を暴露したユウヅツは、すったもんだの末に男爵家を追い出される運びになった。


 と言っても、べつに着の身着のまま放逐されたわけではない。表向きは『春から帝立学園に入学するのに先立ち、帝都での暮らしに慣れておくため』の上京である。使用人も付けてもらえたのだから、破格の待遇と言っていいだろう。


「すまないユウヅツ。おまえは何も悪くないのに、追い出す形になってしまって」

「大丈夫です。領主様の息子として育ててもらい、学園で勉強の機会をいただけることに感謝しております」


 義母と異母兄達によって殺される前に逃がす判断をしてくれたのも、ユウヅツにはありがたかった。近頃は本当に命の危険を感じていたので。


 出立の日、父親が見送りに来ることはなかった。ユウヅツは帝都を目指した。


(前の俺はもう少し家族に対して執着というか、父に大切にされたいとか、義母や異母兄に認めてもらいたいという気持ちが強かった気がするけど、……前世を思い出してから、あんまり思い入れがなくなったな)


 夕也として生きた記憶がそうさせるのだろう、とユウヅツは思う。夕也だった頃、家族仲がとても良かった。その記憶を思い出してからさみしくなくなった。


 前世に置いてきてしまった家族を心配する時間の方が大事。


 今世の機能不全家庭に執着するのは時間の無駄だ。父親が今回味方をしてくれたことにだけ感謝しよう。その父親も義母に強く出られず、ユウヅツが冷遇されているのを見て見ぬふりしているようなものだったが……。

 まあ、こうして逃がしてもらえたのだし。


 ユウヅツは、「そういえば」と思った。


(俺って、皇太女殿下と同級生になるんだよな……。もしかしたらゲームみたいに『主人公』がいて、皇太女殿下はソイツと恋愛なされたりするのだろうか)


 ユウヅツは前世の記憶について思い返す。


(たしかゲームの設定だと、主人公も男爵家の子息だっけ? ……男爵家が皇婿になって、しかも愛人をたくさん侍らせるとか、……夕也だった時はゲームだしそんなものかと思って楽しんでたけど、現実と思うと……夢物語すぎる)


 まあ、ゲームはゲーム、現実は現実だよな。ユウヅツは自己完結した。


(……でも、もしかしたらゲームの記憶を利用してチート、みたいなことができたりするのだろうか)


 あるいは現代知識で無双、みたいなやつ。夕也は前世でそういうのを読んでいた。


(前世の文化を流用して商品化とか素敵だよな。この世界って前の世界で言う『大正ロマン』とか『明治ハイカラ』とかっぽい感じだし、それに合わせると……『ポークカツレツ』とか『オムレツライス』とか流行りだす時代? ……もう男爵領には戻れないんだし、卒業後の自活の術は考えておかないと……。…………)


 ユウヅツは父に告げられたことを思い出していた。


『ユウヅツ、すまない。おまえには将来、長男の補佐でもしてもらおうと思っていたのだが、……昨日の件のせいで、私の領地に住ませることすら難しくなってしまった。どうか学園で良い女性と出会い、婿入りして家を継ぐなどして生きてくれ』


 生活のための結婚か、時代だなと思う。


「……まあ、いい人がいれば……」とユウヅツはつぶやいてから、そういえば前世の俺も「いい人がいれば」と言いながらボンヤリしていて、彼女のひとりもできたことがないまま死んだんだったなと思った。

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