〇一四 愚かなこと、くだらないこと
愚かなことを。と皇帝陛下は深く嘆いた。
「……血を分かつ兄妹でこのような……、内輪揉め、仲間割れ、同士討ち、……列強諸国と、どうやって渡り合って行こうかという時に、誰が皇帝にふさわしいだの、くだらない政権争いをやっとる場合か?」
「くだらない?」
その言葉だけは聞き捨てならない、というように、バカクは大広間に通されて以来、はじめて自分から口を利いた。
「誰が皇帝にふさわしいかは、くだらないことではございません。皇帝陛下におかれましては生まれた時から頭上に王冠が載っていらっしゃった身分ゆえ、玉座を不当に奪われた者の気持ちが分からないのでしょう」
「皇帝になるのは極論、誰でもよいのじゃ。玉座を争って殺し合わなくて済むのなら……、…………」
皇帝陛下はあまりのことに、声を出す気力さえ失った。
「……皇帝陛下。恐れながら、ワタクシが陛下のお言葉を引き継いでもよろしいでしょうか」
「……トカク。……よいだろう」
「ありがとう存じます」
トカクは楚々とバカクの前に立った。
「バカク・ムツラボシ。――――次期皇帝の名において貴様に告げる」
その言葉に、はっと大広間に集まった人々が息を呑んだ。
それが事実上、立太子の宣言になることを、その場の全員が察したのだ。
「貴様は廃嫡だ。皇族の籍を抜き、爵位も剥奪とする。この瞬間からそなたはムツラボシの姓を失った」
「…………」
「そなたの余罪を取り調べる。処罰についてはそれから判断する。……この者を牢へつないでおけ! 座敷牢でない方だ。こいつはもう高貴な身分でもない、単なる罪人。厚遇は許さん」
「ふ」
衛兵によって立たされながら、バカクは鼻で笑った。バカにしたように見下す。
「トカク、おまえが皇帝か。よかったな」
「……よかった?」
ぱっと振り向き、トカクは何か言おうとして、やめた。血がにじむほど強くくちびるを噛み、目を見開く。ぎりぎりとこぶしが握り締められる。
怒りのあまりに涙腺がゆるんだのを、兄であるバカクは察した。
ささやかながら最後の悪あがきに、弟に醜態をさらさせてから退場しよう。とバカクは思った。人前で怒り狂い、泣きわめく姿が見たい。
「大雪のおかげだな。……異常気象に足元をすくわれるとは、オレは本当に運が悪い」
「…………」
「おまえの豪運がうらやましい。天之大橋が通れなくなったおかげで、オレを退けて皇太子になった。オレにも、オレの代わりに妹を殺してくれる優しい兄がいればと思うよ」
「…………」
「貴様!」と声を荒げたのは衛兵だった。主人が侮辱されるのが耐えられなかったらしい。
しかし、それを「控えろ。皇帝陛下の御前である」と制したのはトカクだった。
感情の波を落ち着かせるように、トカクはゆっくりと息を吸って吐いた。そして。
「……バカク。このワタクシが貴様のような罪人と喋ることは二度とないから、最後に伝えておく」
「なんだ?」
「天之大橋が雪で通行止めというのは嘘だ。帝都の橋で馬車を見たという証言も、本当はない。しらを切り通せていれば貴様の勝ちだった」
「……は? ……まさか。じゃあ、何故オレがあらかじめ帝都にいたと……」
「それは……」
『ウハク』はちらりとユウヅツの方を見た。両陛下の御前ゆえにこうべを垂らしているユウヅツとは目が合わないが。
「……たいした理由はない。『ウハク』の姿をしたワタクシを、『トカク』と決めつけたから、カマをかけたまで」
「ふ……ざけるなよ! そんな理由でこのオレを罪人扱いなどッッ」
「だが正解だった」
トカクは己の髪をかきあげた。
「そして、もうひとつ勘違いしている。貴様はまるで、『ワタクシ』が倒れて貴様が廃嫡されたから、『トカク』にお鉢がまわってきたものと思っているようだが、思い上がりも甚だしい」
「は…………?」
今度こそ意味が分からない、というようにバカクは絶句した。
「皇帝陛下は貴様を後継にしようとは考えなかった。第二皇子トカクに帝位の継承を告げられたのは、『ワタクシ』が倒れた晩のこと。……貴様が帰城してくるより前に、とっくに次期皇帝の座は『トカクお兄様』の手にあったのだ」
その言葉に、バカクの全身から血の気がひいた。
真っ白になった顔で、皇帝陛下を振り返る。
皇帝陛下は目を伏せて顔を背け、バカクと目を合わせようとせず……それが答えになった。
「……嘘ですよねお母様。オレは……、何故オレでなく、トカクが……!」
「手に入るはずもない帝位のために、ご苦労なことだったな」
「どうしてトカクを次期皇帝などに……!?」
「ちなみにだが、トカクお兄様も「おまえが皇帝になれ」と告げられた時、そなたのことなど思い浮かばなかったそうだ。その理由は今わかった」
「っは」
「……ふさわしい責務を求めるでもなく、ふさわしい立場だけ欲しがるような人間は、皇帝の資質がない。ウハクはその点で、少なくとも貴様よりは優れていた」
「何をッ」
「薄汚い性根は目に見えないながらも、無意識で評価にあらわれていたらしい」
バカクは半狂乱で母親に食ってかかろうとし、衛兵によって押さえ込まれていた。「お母様、お母様、」と繰り返し呼ぶが、そのたびに皇帝陛下はつらそうに目を伏せるばかりだった。
「おい、もう済んだ。早く連れていけ」
「はっ。……おい、おとなしくしろ!」
最後まで騒ぎ立てながら、バカクは引きずられて行った。
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