〇一二 アリバイ
「なるほど、分かったよ。おまえは俺の妹のウハク、そうだな?」
降参をするようにバカクは両手を上げた。
「オレ達は血のつながった兄妹だ。たとえ十年会ってなくたって一目で分かる……と思っていたんだが、間違えてしまったようで。恥ずかしい限りだ。……失礼いたしました、皇太女殿下」
「…………」
にこっ。と返す刀でウハクは微笑んだ。
「分かればよいのだ、お兄様。長旅で疲れているせいだろう」
「…………」
「…………」
ふふふふふ、とウハクとバカクは互いに顔を見合わせて笑う。
「そうそう。ワタクシを葬ろうとしたのは反皇女派の者……だと思うのだが、まだ洗いきれていないのだ。早いところ賊を見付け出して処分を下さねばならんのに」
「それは火急の案件だな。こういうことは時間が経つほど証拠を捉えるのが難しくなる。どこで毒が混入したかも分かっていないのか?」
「情けないことに、ワタクシは毒によって昏倒する前後の記憶が飛んでしまってな。悔やまれる。倒れる前、何を食べたか食べてないか、まったくおぼえておらん。卒業パーティーで何か口にしてしまっていて、そこに何か混ざっていたのなら……足取りを掴むのは難しいだろうな」
「ああ、そうだ。おまえも帝立学園を卒業したのだったな。すっかり頭から抜け落ちていた。おめでとう」
「ありがとう」
ウハクは一呼吸置き。
「賊についてはトカクお兄様が色々と調べてくれている。疲れて見えたろうが、そのせいだ。ワタクシはまだ本調子でなく任せてしまっておる。はやく犯人が見つかればよいのだが」
「外国の連中じゃないか? 国を混乱させて、その隙に内政に干渉してしまおうという」
「だとしても、内部に協力者がいるに違いないからな。……お兄様は心当たりがないのか?」
「オレ?」
バカクは肩をすくめた。
「オレはずっと東府だからな。こっちの事情はあまり明るくない」
「反皇女派の仕業なら、つまり皇子派と思ってよいだろうというのは、早計か? ワタクシが死ねば、後継に皇子が選ばれる可能性は充分にある」
「皇子が? まさか。この国は女帝の国だ」
「列強諸国がこぞって男王を立てていることから、国内でも風向きが変わってきていることはお兄様もご存じだろう。……単刀直入に言う。ワタクシは、バカクお兄様を皇帝に押し上げたい何者かが事を目論んだのではないかと疑っているのだ」
「え!? まさか……。…………」
バカクは思索するように視線をさまよわせた。顎に手を置いて、しばし黙る。そして。
「……オレが皇帝になることで得をする者は、たしかに、いないわけではないさ。オレの乳母や侍女、側近達、昴離宮に仕えている者共のことだろう? だが……オレの意に反し、オレの大切な妹を消してまでそんなことを企てる人間がいるとは、オレにはとても思えない」
「だがお兄様。お兄様はあまりに到着が早かった」
「?」
何を言われたかバカクはすぐに分からず、首をかしげた。到着……どこに?
「東府に電報が届いてから、たったの四日で帝都に到着した。早すぎる」
「……おいおい。さっきと言っていることが違うぞ。三日で着くはずなのに一日遅かったと言ってきたのは誰だっけ、ウーちゃん?」
「いや、早いのだよバカクお兄様。……お兄様は、昴離宮から四日かけて本皇城に来たと言っていたが、これは嘘であろう? 本当は、あらかじめ帝都の端にいた。だから早く着いた」
「……あらかじめ? ウハク、言っている意味が分からない。どうしてしまったんだ?」
「どうしてあらかじめ帝都にいたのか? ……呼ばれると分かっていたからだ。そして、登城が遅れたら、戴冠の機会を逃すかもしれないと恐れたからだ」
「…………!?」
バカクは息を呑んだ。
追い込みをかけるようにウハクは続ける。
「政治や時流はナマモノだ。第一皇子がなかなか帰ってこないから他の娘に帝位を譲っておきました、なんてことになったら、苦労が水の泡だものな。……せっかく実の妹にまで手をかけたのに、」
「ウハク!!」
バカクは目付きを険しくした。忠誠を疑われたことへの怒りをあらわにする。
しかし、それは一瞬のことで、バカクはすぐに表情を繕った。
ゆっくりと立ち上がる……と膝をつき、バカクは深く、これ以上なく完璧な臣下の礼を取った。高貴な血を感じる、上品でうつくしい所作だった。
「……恐れ多くも皇太女殿下に申し上げる」
静かな声。
「私バカク・ムツラボシは、皇太女殿下の実の兄でございます。年嵩ではあれど、私はあなたの臣下。忠実なる国家のしもべ。……星に誓って、未来の皇帝陛下をおとしいれ、裏切るような真似はいたしませぬ!」
「では、ワタクシの臣下であるはずのバカク。おまえが今しがた乗ってきた馬車とよく似た馬車を、五日前、帝都の端で目撃していた者がいるという報告は、何かの間違いか。あるいは誰かの悪意によって捏造されたものと信じてよいのか」
「当然にございます。五日前といえば私は、直轄地である東府は昴離宮にて、執務に没頭しておりました。電報を受け取り出立したのは、その翌日のこと。それが帝都にいたなど……ありえません」
「…………」
「……お疑いでしたら、昴離宮に仕える全員が証人でございます。私が間違いなく四日前に東府から旅立ったことを、どうぞ確認してください」
ウハクは、ぐっとつらそうに表情をゆがめた。
そしてひたいを押さえる。
そのようすに、バカクは内心ほっと息をついた。本気で疑われていたわけでなく念のためにカマをかけただけだったようだ、と思ったからだ。
「……いいんだ、ウーちゃん。こんなことがあって、過敏になるのは仕方ない。疑いを晴らさせてくれてありがとう」
「お兄様……」
ウハクは苦悶した顔を上げて。
「東府から帝都への最短経路である天之大橋は、雪害で通行止めになっているのだ」と低い声でつぶやいた。
「……え?」
「積もった雪は六尺を超え、しかも凍り付いて、鉄の鍬も通らぬ始末だそうだ。馬車など絶対に通れない。……流通が滞って、本当に大変なんだ。どうやって四日で来られたのか教えてほしいくらいだ」
「は」
「帝都にいたなら、いたと言ってくれたらそれでよかったのに……」
ここで、はじめてバカクの顔色が本当の意味で変わった。言葉に詰まっている。
「何故、嘘をついたのか聞き出さなければいけなくなった」
『ウハク』は、ぱん、ぱん、と手を叩いた。
何の前置きもなく、部屋の扉が開け放たれ、大勢の人間が入ってきた。
衛兵と大臣達だ。ぞろぞろとトカクとウハクの側近達も顔を出す。……ユウヅツもそこに紛れていた。
皆、それぞれ表情は違えど、視線はバカクに注がれている。困惑、恐怖、怒り、疑念、悲嘆……それらに取り囲まれ、バカクは床に冷や汗を垂らす。
「お兄様。……雪が降っているから、多少は遅れた方が自然だろうと考えたまではよかったと思う。……だが足りなかったな、バカクお兄様、…………。……もう、そう呼ぶのもふさわしくないか」
「……ウハク。早計だ。誤解だよ……。おかしいな。オレ達の馬車が通った時は、普通に通れたのに。なあ、いつから通行止めだったんだ? それこそ、何かの間違いじゃないか」
「五日前から通行止めだった。これはたしかな筋からの情報だ。天之大橋の状況が先に分かっていれば、電報なぞ出さなかった」
ウハクは立ち上がり、ひざまずいたままのバカクに近寄った。その顔を上に向けさせる。
「もう一度だけ聞く。教えてくれ。何故、帝都にいたんだ?」
「…………」
バカクはうつむいてしまった。
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