〇一一 幽霊でも見たような



 大瞬帝国の第一皇子であるバカク・ムツラボシが帝都へ帰還した。

 トカク、ウハクの兄である彼が使用人に出迎えられていると、城の奥から数年ぶりに会う弟――トカクがやってきた。


「バカクお兄様、お帰りなさいませ。お兄様が東府に拠点を移されて早二年、こうしてお会いできたこと、嬉しく存じます」

「トカク、ただいま。……そんな挨拶はいい。一体何があったんだ? あの電報……何の説明もなく呼び戻されるなど、尋常じゃないぞ」


 沈痛な面持ちで黙る弟に、バカクは顔色をくもらせた。


「……なあ、何があった?」

「ここでは、ちょっと。……こちらに」


 踵を返し、粛々と廊下を行くトカク。ひとつ結びにした長い髪が歩くたび揺れている。


 バカクは考えていた。いったい何を告げられるのか? 一年ぶりに会う弟はまるで喪中だ。


「…………。トカくん、背が伸びたんじゃないか?」

「ええ。この一年でかなり」

「このまま行けば、オレを追い越せるかもしれないな」

「さようですね。…………」


 返事にも覇気がない。


 控えの間に着いた。

 バカクが座った後、トカクも対面に腰を下ろす。


「……お兄様、ボクの口からは言えないのです。お母様達が来るのを待ちましょう」

「ああ、わかった」


 バカクは事態を甘く見ていたと背筋を伸ばす。


「トカくん。何か、たいへんなことがあったんだよな。すまない、重要な時に城を空けていたみたいだ……。オレの代わりにありがとう」

「……いいえ。……バカクお兄様、城までの道中、本当にお疲れさまでした。雪で足元が悪い中、お兄様の方こそたいへんでしたでしょう」

「ああ。だが、至急とのことだったからな。是非もない」

「東府の昴離宮からいらしたんですよね。長旅だったでしょうに、休む間もなくて……」

「おまえが気にすることではない。国のため奔走するのは皇族の務めだからな。何より、馬車に乗っているだけで楽なものさ、たいへんだったのは御者と馬だろう?」


 とは言うが、四日も馬車に揺られれば身体はガタガタに違いない。にも関わらずおどけて肩をすくめるバカクに、トカクは微笑みを返した。


「……お母様お父様がいらっしゃるまで、この部屋で休んでいてください。それまでボクも席を外しますから」

「なんだ、積もる話もあるだろう。兄とおしゃべりはしてくれないのか」

「……申し訳ございません」


 その顔色に、バカクはトカクが予想以上に疲れていると察した。


「いや、悪かった。おまえも休んでくれ」

「失礼いたします」


 歓談室の扉が閉まる。


 バカクは、部屋に残った侍女に「いったい何があったんだろうな?」と軽い調子でたずねたが、侍女も何も知らないと返した。


「……君、二年前にはいなかった子かな? 名前は?」


 などとバカクが暇をつぶしていると、扉が音も立てずにひらいた。

 それを空気の流れで察知して、バカクは振り返る。


「…………? 誰だ?」


 半開きになった扉の向こうに、何者かの気配を感じる。


 皇族が控えている部屋をノックもなしに開けて、挨拶もせず突っ立っているなどありえない。バカクは首をひねった。

 人が中にいると知らず使用人が清掃でもしようとして、バカクに気付いて固まってしまったのだろうか。


「誰か知らんが、入っていいぞ。……おい、開けてやれ」

「かしこましました」


 侍女がゆったりと扉をひらく。


「――お兄様」


 部屋の外から飛んできたのは、ひっそりと静かで高い声だった。


「……久しいな、息災であったか?」


 ――そこに立っていたのは、絹のように真白い髪をふんわりと巻いた少女。

 この国で星屑姫と呼ばれる、うつくしき皇太女ウハクだった。


「どうしたんだ。幽霊でも見たような顔をして?」


 次期皇帝らしく尊大な態度で、実兄にも関わらず甘えた顔は見せない。

 黒髪が主であるこの国ではめずらしい、生まれつきの総白髪。豊かなそれを腰まで伸ばして、ウハクの身分の高貴さを示している。


 特にバカクがおどろいたのは、その服装だ。まるで舞踏会にでも参加するような恰好。

 鳥の羽根をもちいたティアラ。華奢な首や腕を繊細に飾るアクセサリー。夜空を彷彿させる藍染の生地に、金糸の刺繡がうつくしい。

 洋装の婦人ぐらいなら帝都でよく見るようになったが、ドレスで着飾った女などそうそう見ない。いくら皇太女とはいえ、なんでもない日に着るものではない。


 姫君は優雅に長椅子に腰かけ、そこでようやくフッと笑みを見せた。


「東府での仕事ぶりは聞いている。よくやってくれているようだな」

「? ……ウ、ハク……か?」


 いぶかしげに、しげしげと『ウハク』を見つめるバカク。その不躾な視線を黙殺して、ウハクは優雅にティーカップに口を付けた。


「お兄様。此度の帰還、大儀であったな。昴離宮から本皇城まで馬車で三日のはずが、雪のせいで四日かかったと聞く」

「……いやいや、ウ……ハク。たった一日の遅れで到着できたから……、早かったくらいさ。…………」


 また、バカクはじっとウハクを見つめた。穴が開くほどじっくりと。


 観察と言っていいくらいのそれに、ウハクは「なんだ、うつくしく成長した妹におどろいているのか?」と口端を吊り上げた。


「さて……。もったいぶっても仕方ないから、バカクお兄様を呼び戻した理由を説明する。結論から言うと、ワタクシは何者かに毒を盛られて生死の境をさまよっていたのだ」

「え、…………」

「危篤というやつでな。それで、あわてた陛下がバカクお兄様に電報を出したのだ。……だが、」


 ウハクは己の腕に力こぶを作るポーズをして、冗談交じりに。


「今はこの通りピンピンしている。医者の腕が良かった。無駄足になってしまって、それは悪かったな。まあ、せっかくだから家族水入らず、今日は……」

「いや、……おまえ……」


 バカクは指を突き出した。顔が青ざめている。


「何やってんだよ……」

「? ……何がだ、お兄様」


 うっそり、ウハクはとびきりの笑顔を見せた。

 それに対してバカクは悲鳴をあげるのをこらえるような仕草をする。


「おまえ、おまえ、それ……」


 はくはくと口を開閉して、意を決したようにバカクは叫んだ。


「トカク、おまえだろ。……なんで皇太女の恰好なんかしてんだよ!!」


 …………。


 微笑みのまま、『ウハク』の表情が凍り付いた。

 そして。


「……失礼だなお兄様。ワタクシ達は双子ゆえ、たしかに顔は似ているが……。こんなにもめかしこんだ妹を、女装した弟扱いなど。まったく……お兄様じゃなかったら鞭打ちにしておる」

「え? …………」

「? よもや本気で言ったわけではあるまい? 冗談が過ぎるぞ」


 くくく、とウハクは笑った。


「話を戻そう。お兄様はしばらくゆっくりしていくがよい。帝都のこと東府のこと、互いに顔を突き合わせねば分からぬこともあるであろう」

「なあ、本当に。その恰好は何だ? ウハクに何かあったのか? お母様とお父様は何をしている? おまえはトカクだろう?」

「……どうして、そう思うのだ?」

「はあ?」

「お兄様は、ワタクシともトカクお兄様とも、二年は会っていなかっただろう。なのに何故、『ワタクシ』がウハクではなく、トカクお兄様だと決めつけられるのだ」

「…………」

「……自分で言うのもなんだが、ワタクシ達はそっくりだと思うのだ。鏡のように……だから……」


 『ウハク』はゆっくりと足を組んだ。実兄の顔を睨め付ける。


「不思議だよ、お兄様。まるで……『ワタクシ』がここにいるわけがないと、分かっているみたいではないか?」

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