〇一〇 チョコレートが三年ぶり
階段を上り、ユウヅツを連れ立って座敷牢から出てきたトカクに、牢番達はハッとした。
「! 皇子殿下……。……釈放なさるのですか?」
「ああ。反省は済んだようだ。不問に付す。以降はボクの客人として接するように」
「はっ」
牢番が礼を返した。
宮廷の室内庭園。
皇室の栄光を示すため、その広大な温室で育てられているのは雪の冷たさを忘れるような夏の花ばかりである。
噴水の真横に建つ豪奢な
「こ、このような華やかな場所に……」
「下手に密室を用意しても、聞き耳を立てられたらどうしようもない。内談には見晴らしのよい屋外が適切というのが定石でな」
トカクは侍女に茶を用意させ、その後は人払いを頼んだ。前世や『ゲーム』の話など聞かせられない。
「さて」
(まずは禍根を洗い流さなきゃな。…………)
くっとトカクは眉尻を下げる。
憐憫を誘うように瞳をうるませた。そうしてユウヅツに対し、トカクは思いっきり申し訳なさそうな表情を向けてみせる。
「ユウヅツ。まずは、あらためて謝罪させてくれ。今まですまなかった。誤解からつらく当たった件を許してほしい。座敷牢にも閉じ込めたし……」
「と、とんでもございません。もったいなきお言葉です」
「本当に申し訳ない。まあ、菓子でも……」
「ああっ!?」
茶菓子を勧めた瞬間、ユウヅツが勢いよく身を乗り出したのでトカクはのけぞった。何事だ。
「これは……」
「うん?」
「チョコレートではございませんか!?」
「お、知っているのか、めずらしいな。外国からの献上品で、市場にはほとんど出回っていないのだが……」
地方男爵家の三男ごときが知っているものではないので、トカクは目をまたたかせた。しかも名前をよく発音できたな。
「前世では、庶民でも食べられるものだったのです! 俺がこちらの世界に転生して以来お目にかかっておりませんでしたので、三年ぶりになります……!」
「ふうん……。……おまえのいた世界というのは、ボク達の世界よりかなり未来なのか? ……単に、ここを起点とする未来という意味でなく、文明が進んでいるという意味の……」
「そ、の通りにございます」
トカクは自分の前に置かれたチョコレートも差し出してやる。
「なんにせよ、好物なのだろう。こちらも食べるがよい。ボクは食欲がない」
事実として、ウハクが倒れて以降トカクは食欲がなかった。だから押し付けたのだが、ユウヅツは屈託なく「ありがとう存じます」と頭を下げた。
ぱくっ。
「…………!!」
口の中にチョコレートを含み、何やら感激しているユウヅツ。「効く……!」「沁みる~!」などと言っているのを横目に、トカクは脳内でそろばんを弾いていた。打算、打算、打算。
打算の末、トカクは黙って微笑んだ。ユウヅツが甘味を堪能しきるのを待つ。
「あ」
皿の上のチョコレートをたいらげて、ユウヅツは我に返ったらしい。はっと居住まいを正した。
「たいへん失礼いたしました」
「よい。楽にしろ。今のチョコレートで、こちらの非礼はすべて水に流してもらえたら嬉しいのだが」
「それはもう……」
トカクがそう言っても、ユウヅツは嫌な顔ひとつしなかった。いくら皇子のやることとはいえ、後出しの交換条件に気分を害してもおかしくないのに。
……たしかに皇婿は向いていなさそうだ、とトカクは内心で評する。他人の思惑を察知するのが苦手だったウハクを支えるのは、悪意や侮辱に対峙した際に敏感に反応できる男がよいと、トカクは勝手ながら考えていた。
ユウヅツは。
「あの、それで……皇子殿下には、皇太女殿下をお救いするのに役立ちそうな、俺の知る情報をすべて開示したいと思っております。ただ……」
「ただ?」
「これから話すことは、他人が聞けば眉をひそめるような、ともすれば皇家を侮辱して聞こえるようなものかもしれず……」
「ああ」
トカクはうなずく。
「人払いはしてある。ここで耳にしたことを公にはしないと約束しよう。ボクも……なるべく冷静に話を聞く」
「なるべく」
「なるべく」
ツムギイバラの件といい、知っていることを仄めかしただけで消されかねない情報が出てくることはトカクも覚悟していた。
ユウヅツは、ふうと息をついて。
「……まず最初に。ツムギイバラの毒により眠った人間を目覚めさせる方法は、たしかに存在します」
「…………!」
ぐっとトカクの胸にこみ上げてくるものがあった。膝に置いた手を握る。
「……そう、か」
「はい」
「よかった……。…………」
しばし噛みしめて、トカクは話の先をうながした。
「……して、その方法は」
「今の話は、皇子殿下が何より先に知りたいであろうことを、ひとまずお話させていただきました。ですが、……俺が先に話さなければならないことは、他にあるのです」
「他に?」
ウハクを目覚めさせるより大切なことが他にあると思えず、トカクは困惑した。
「それは……」
口に出す前に、ユウヅツはあらためて周囲を用心深く見まわした。「本当に聞き耳を立てている者がいないか?」という確認。
トカクはこれから聞かされるのが、ツムギイバラよりよほどマズい話であることを悟った。
「……お耳を拝借しても?」
「ああ」
すっと椅子を降りてユウヅツはトカクの横に膝をついた。トカクは身をかがめてやる。ユウヅツは手を添えて、耳元でひそひそと喋りはじめた。
「実は……」
――――。――――。――――。…………。
「……まっさか」
トカクはあまりの衝撃に、ぼうぜんと呟くしかなかった。
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