〇〇二 毒



 どうにか無事にパーティーがお開きになり、トカクは帰りの馬車に乗り込んだ。


(ああ、ウハクのバカが、いくらなんでもあそこまでバカだとは思わなかったぜ!)


 一度ウハクを連れて城に帰った馬車は、トカクを迎えに行くためにまた戻ってきた。御者にも馬にも無駄足を踏ませてしまい、トカクは申し訳なく思う。


 車内で、トカクはジャケットを脱ぎ捨て息苦しいシャツのボタンをゆるめ、タイも外してしまった。ようやく人心地ついて、トカクは大きく息を吸い込む。


「ああ、襟首が窮屈だ。はやく着替えたい……」

「トカク皇子殿下。お寒くございませんか。よろしければ……」

「うむ」


 従者が羽織を用意してくれていたので、トカクはそれに袖を通した。


「――卒業しちまえばユウヅツと物理的に離れて落ち着くかと思っていたのに、まさか最後の最後で、あんっな爪痕を残そうとするなんて……!」

「心中お察しいたします」

「いや、ウハクが何かするつもりなのは分かっていたんだ。その度合いを予測できず、阻止もできなかった自分が、不甲斐なくて腹が立つぜ……!」


 などとイライラしているうちに、トカクを乗せた馬車は城に到着していた。


 馬車の外に出ると雪が降っていた。


 従者が差した傘の下から、トカクは空を見上げる。雪でなく星が降ってきているのかと見紛うような空だった。


 ……今日のウハクのドレスは、ちょうどこんな星空をイメージしてあつらえたものだった。

 お披露目して早々にウハクが中座してしまったことが、トカクの心を曇らせた。あまりに身勝手とはいえ、ウハクが意中の男に求婚しているところを邪魔したのは事実だったし。いくら不相応な男とはいえ、ウハクが本気で好いているらしいことを、トカクは分かっていたので……。


 しかし、トカクはすぐに感傷を打ち消すと、門に向かって歩き出す。


「ウハクと話した後、今日の卒業パーティーの件で皇帝陛下に報告する。先触れを出してくれ」


 使用人に伝えて、トカクは城の奥へ奥へ、皇女宮へと向かった。


 ウハクの寝室の前までやってきたトカクは、付近にいた侍女を連れ立ってその中へと入った。兄妹とはいえ、寝室で男女が二人きりなどという状況にならないための配慮である。

 予想通り、こんもりと寝台の上で掛布団が人型にふくらんでいた。


「ウハク。起きなさい」


 まず、つとめて冷静にトカクはそう言ったが、ウハクは動かなかった。

 眠ってしまった? だが、こればっかりは今日中に叱らないと。


「ウハク、起きなさい。卒業パーティーのことで話を聞くから」


 布団越しにウハクの身体をゆする。反応がない。トカクはどうしたものかと思った。


「はあ……。ウハク、頼むから……。……ウハク!」


 自分で出てくるまで待とうと思っていたが、さすがのトカクも痺れを切らした。勢いよくウハクの布団をはぐ。ようやくウハクの顔がさらされる。


 ウハクは目を閉じて、白いシーツに横たわったままピクリともしない。とっくに楽な寝間着に着替えているかと思っていたが、舞踏会のドレスのままだ。

 鳥の羽根をもちいたティアラ。華奢な首や腕を繊細に飾るアクセサリー。夜空を彷彿させる藍染の生地に、金糸の刺繡がうつくしい。未来の皇帝にふさわしい完璧なドレスが、今晩のために用意されていた。のに。


 ……これに比べてユウヅツの礼服はひどかったな、とトカクは思い返す。ヤツの田舎の祖父からお下がりをもらったんじゃないかという恰好だったから。爵位を考えれば妥当ではあるのだが、それもふくめてウハクに並ぶのにふさわしくない。

 どうか今日限りで会うこともありませんように、とトカクは祈る。


「……ウハク」


 ウハクは胸の上で手を組んで、まるで棺の中にいるようだ。呼吸すらしていないように見える寝姿が逆に不自然で、トカクは寝たふりを確信した。


「ウハク。今日の振る舞いはさすがに目に余る。遅かれ早かれお母様の耳にも届くだろう。先んじてボクの方から報告してくるが……。……大目玉を覚悟しておけよ。まあ、ボクも一緒に行ってやるから……。…………」


 返事がないので、さすがに我慢できなくなり、トカクはその肩に手を置いた。とにかく身体を起こさせそうと、ぐっと力を入れて、


「は?」


 その肌の冷たさ、肉の硬さにトカクは驚愕した。ありえない感触だった。


 トカクが上体を引っ張り上げた拍子に、ウハクはがくりと全身を投げ出した。首が落ちたのかと錯覚するような、異様な脱力の仕方だった。


 思わずトカクが手を離すと、ウハクは寝台に沈んだ。

 背後に控えていた侍女や従者達も異変に気付いたらしく、どうかされましたかと声を上げる。ただしトカクはそれどころでなく、寝台の横に膝をついた。


 トカクはウハクの口元を覆うように手を当て、その胸元にべたりと耳をくっつけた。呼吸と脈拍を測るためだ。

 絶望を感じるほどの長い時間を待って、ようやく、一度だけゆっくりと息が吸い込まれ、聞き逃しそうな小さい鼓動が鳴った。


 トカクは妹が生きていることに安堵しそうになったが、この希薄さは尋常でないと、すぐに思い直した。いつものウハクの状態ではない。

 そして、はっとした。まさかと思った。


 トカクはウハクの口を開かせて、その中を確認した。乾いて白くなったくちびる。舌からも血色が失われている。そして、ツムギイバラの種を潰した時に出る特徴的な香り。


 トカクは叫んだ。


「――すぐに医者を呼べ! 毒だ!」


 部屋中がワッと慌ただしくなった。


 星屑姫ウハクは何者かに毒を盛られていた。

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