〇〇一 皇太女ウハク
ボクが姫君を止めなければならない。トカクはそう思った。
「政略にとらわれた結婚などまっぴらだ。……わたくしは、皇太女ウハク・ムツラボシの名において宣言する。今宵、この者と婚約することを!」
男の腕に抱きついての宣言に、会場は水を打ったように静まり返っていた。
静寂の中心にいる、絹のように真白い髪をふんわりと巻いた少女――ウハク・ムツラボシ。この国の皇太女である彼女は、いずれ国を背負って立つことが生まれた時から義務付けられている。
当然、彼女の結婚と政略を切り離すことなどできない。
にも関わらず公の場でそのような宣言をした彼女を、周囲の学友達は困った顔で見つめていた。
今日は帝立学園の卒業パーティーだった。生徒会主催で参加者は子どもだけなので、何があっても無礼講……という雰囲気ではあるが、限度がある。それに、帝都中の華族子女が集っている以上、「公的な場でない」とは言い切れない。
そんな場で、未来の皇帝からあまりにも信じがたい発表をされ、令息令嬢達は困りきっていた。誰もが、何をおっしゃっているの?と怪訝そうにしている。
「たとえ身勝手と言われようと、わたくしは真実の愛をつらぬきたいのだ」
ウハクは静かに言った。身勝手の自覚はあるらしい。
またたく大きな瞳は満天の夜空のようで、彼女が持つ『星屑姫』の異名にふさわしい。あどけなく可憐な容貌と内面の欠点を、ほしくずに喩えた最初の人間は、不敬だがセンスはある。――などと揶揄されていた。
星屑姫ウハクは、会場中に自分の宣言が行き届いたことを確かめるようにあたりを見渡していたのをやめ、その眼差しを男の顔に向けた。
「……ユウヅツ、わたくしの心を受け入れてくれぬか?」
「…………!」
ユウヅツと呼ばれた男。今はウハクによって腕に抱きつかれている。
男爵家の三男であり、その家格は低い。とても皇族の婿――まして皇配にできるような相手ではない。それどころか、いたずらに皇太女に声をかけることさえ許されない立場だ。
その身の程を、多少はわきまえているのか、ユウヅツはあたふた、ウハクの言葉に戸惑ったようなそぶりを見せた。
(だが、ボクはそんな演技に騙されない)
だってトカクは知っていた。学園生活の二年間でこの男――ユウヅツが、こそこそと用意周到にウハクに近付いては、その寵愛をたまわろうと気を惹いていたことを。
それだけではない。この男はウハクだけでなく、他多数の女子生徒や女教諭にも粉をかけていた。
クソ野郎が!
――それにたぶらかされ、なびいている、ウハクはいったい何なのだ?
人を見る目がなさすぎる。
これまで宰相や華族どもから、ウハク姫は次期皇帝にふさわしくありませんと言われるたびに、「は? ウザ。じゃあ代わってみろよ」とトカクは憤っていたのだが、見直す必要があるかもしれない。
でも、ボクが姫君を助けなければならない。
トカクは大衆の注意をひけるように、あえて大きく足音を鳴らして会場に踏み入った。
はっと、学友達が次々にトカクを振り返る。おびただしい数の視線が集まってきて、針のむしろに近いのだが、トカクは(少なくとも表面上は)平然としたまま歩みを止めない。
そのようすを、固唾をのんで見守られている。
トカクは思う。
ボクはウハクを庇わなければならない。先程の婚約宣言をなかったことにしなければならない。どうにかこの場をごまかして、卒業パーティーを再開させなければならない。
学園の生徒会長として。いやしくも第二皇子として。
そして何よりウハクの双子の兄として!
「――――紳士淑女の皆の衆!」
トカクが高らかに叫んだ。と同時に、会場中の照明が落ち、劇場さながらのスポットライトがトカクの姿を照らしあげた。
「えー……、突拍子もないことで皆、なんてこった姫君は乱心か?とお思いのことだろう!」
思わず本音の混じったアドリブの口上を述べながら、トカクはウハクを指差すポーズを取る。それに合わせ、ジャジャン!と音響が鳴った。良いタイミングだ、トカクは協力者である楽団に感謝する。
それからトカクは歩みを再開し、ウハクとユウヅツの元へと近寄った。
ユウヅツはトカクの姿を認めると、さっと顔色を青くして後ずさろうとした。だが、ウハクにしがみつかれて動けないようだった。
ウハクはといえば、兄に真っ向から対峙するように姿勢を正した。
「トカクお兄様、わたくしは」
「ウハク、ご苦労」
すかさず指を鳴らして合図すると、待ってましたとばかりに楽団が音を鳴らした。舞踏会のスタンダードであるゆったりした音楽が止まり、弾むような、テンポの速い曲調のそれに変わる。
ひときわ大きく打楽器を打ち付けると同時に、会場中の照明がついた。
それに合わせて軽快なステップを踏むトカクに周りがわっと歓声を上げる。
……よし! ひとまず、注目は奪えた!
「よっ、
「なんて身のこなし! さすがは未来の宰相閣下!」
観客にまぎれこませていたサクラに囃し立てられ、トカクはにっこりと愛想を振り返す。
それにより、あっけに取られていた令息令嬢らも、この催しをどう捉えるべきか分かったらしい。つまり、何も考えず楽しめと。
沸き立った歓声を聞いて、トカクはまず安堵した。そのまま、次期皇帝と男爵令息の身分違いの恋のことなど忘れてくれ。
ここまでやって、ようやくトカクは一区切りがつき、ウハクを気にする余裕ができる。
ちらりと見やったウハクは唖然としている。
よくそんな顔ができるよ、さっきの婚約宣言の方がよほどビックリさせられた! トカクは内心で憤る。
ユウヅツは……いない。ウハクの横から消えていた。会場から出ていったのだろうか、ざっと見まわしてみたが姿がなかった。
まあよい。
「と、いうわけで今日ご出席くださった人々に感謝を込めて、ボク達からちょっとした余興だ、楽しんでくれ!」
この催しの協力者数人も前へ出てくる。
……トカクは元々、自分の妹が卒業パーティーで何かしでかすつもりであることを察していた。最近は特にようすがおかしかったから。
だから、何かあったら大勢で踊ってごまかそうと準備していたのだ。何もなかったら、それはそれで余興だけ披露すればよいだろうと。
……とはいえ、精々はしたなくもユウヅツをダンスに誘うとか、ユウヅツと二人で会場を抜け出そうとするとか、その程度と思っていたので、婚約宣言には度肝を抜かれたが……。
ともかく。
最終的に十人ほどで踊って場を盛り上げて、その催しは終わった。
ジャーン! という区切りの音響な後、一斉に会場中の観客たちは惜しみない賞賛をトカク達へ向けた。
「ありがとう、皆の衆、ありがとう。卒業する者も見送る者も、今日のことを良き思い出としてほしい」
喝采を浴びながら会場の出口に向かって歩きつつ、トカクは学友達の雰囲気を読む。
「――ああ、素敵でしたわ」
「皇太女殿下がユウヅツ卿の腕をお取りになった時なんか、本当に驚かされましたわ」
「まあ、考えてみれば冗談だと分かりますわね……」
令嬢らの歓談に、トカクは勝利を確信した。
挨拶もそこそこに、トカクはパーティー会場を飛び出した。
「おい、ウハクはどこだ!? まさかユウヅツの野郎と一緒にいないだろうな」
トカクは血相を変えて出口の見張り役に訊ねる。トカク達がダンスを披露し終わる頃、ウハクも会場から消えてしまったのだ。
「恐れながら、皇太女殿下は待合室の侍女と護衛を引き連れ、ひとり馬車に乗り帰城なさいました」
「ええーっ!?」
「引き留めたのですが、興が削がれたから帰る、と……」
「……というか、ボク一緒の馬車で来たんだが!? この後どうやって帰れと……」
というか、本日のパーティーの主役は、卒業生代表であり皇太女であるウハクだ。この帝立学園そのものが、ウハクのために設立されたと言っても過言ではないのに。
その学園の卒業パーティーを、サボって途中で帰るとは。トカクは困り果てた。
いや、卒業証書を授与する式典には参加しており、これは単なる自由参加の懇親会といえばそうなのだが……。でも、全校生徒が「皇太女殿下が出席なさるから」と、この日のためだけのドレスや燕尾服を用意して参加してくれているのに……。
未来の皇帝とはいえ礼儀に欠ける。
国内華族の不興を買わないよう、これもごまかしておかないと……。
「……今日はボクだけの説教じゃ済まないぞ」
トカクは、自分が城に戻った後のことを考えてぞっとした。
予定よりもずっと早くひとりで帰ってきたウハクに、いったい何があったのかと宮中は戦々恐々としているに違いない。となるとトカクは今夜のうちに、起こったことを母親――皇帝陛下に報告しなければならない。
いや、いずれにせよ報告は義務なのでするつもりだったが、伝え方というものがある。「やけに早く帰ってきたけど何があったのか」訊ねられてから答えるようなのは悪手だ。準備したかったのに。
というか、今日はさすがに寝たい!
「パーティーの設営に、ダンスの練習に、そして本番でもーじゅうぶん疲れているのに……」
トカクは会場の喧騒にまぎれて叫んだ。
「イヤだ――――っ! 誰か、ボクと仕事を取り換えて――っ!」
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