〇〇三 永眠薬



 すぐさま侍医がウハクの寝室に駆けつけ、その容態を見たが「手遅れ」だった。らしい。

 それを自室で聞かされ、トカクは愕然とした。


 ――ウハクに毒を吐かせようとしていたところに医者が来て、診療のためにと追い出されたトカクは、それからまんじりともせず報告を待っていた。


 日が昇りかけた頃、ようやく大臣が持ってきた報せに、トカクはふらつきつつ、どうにか椅子に腰を下ろす。


「て……手遅れとは何だよ?」

「吞み込んだ毒をすでに消化してしまっており、もう吐き出せなかったそうです。そしてツムギイバラの毒は永眠薬とも呼ばれ、対処法はありません」

「先程までの話と矛盾する。確認させてくれ。ひとまず危機は去ったし、息はあるんだろ?」

「……永眠薬はその名のとおり、口にした者を永遠の眠りにつかせる毒……。自然に目覚めることはありません。当然、人は寝ながら食事を摂ることも水を飲むこともありません」

「…………」

「そのため……。侍医によって、身体に管を差しこみ、そこから食事や水の代わりとなる栄養を流す処置が取られました。……その機械を外してしまえば、皇太女殿下は、持って一週間ほどでお隠れになるだろう、とのことでした」

「…………」


 トカクは無言のまま頭を抱えた。

 お隠れになる。つまり死ぬのだ。あまりのことに言葉もない。


「なんでこんな……いったい誰が……!」


 トカクの脳裏に、ウハクの無邪気な笑顔がよぎった。さんざんバカだバカだと憤ってきたが、死なねばいけないほどバカだったはずがない。


「姫君の即位を快く思わない強硬派のしわざか……?」


 だが誰が。内部の者か、外部の者か。外国よりの使者? 皇太女の暗殺に手を出すほど過激な連中に心当たりがない。トカクの知らない水面下で? 大抵の華族や宰相は伝統を重んじて、この国を治めるのは女帝でなくてはと言っていた。民衆もそうだ。そのはずだった。

 なんにせよこの国は今、未来の皇帝を失った。国が揺らぐ……。


 いや、そんなことより、それ以前に、ウハクはボクのたったひとりの妹なのに。

 トカクはうなった。


 いったい、どうしてこんなことに?


「……毒の混入経路は、まだ洗い出せないのか! 実行犯は? 黒幕は? はやく縛り上げてボクの前に連れてこい!」

「そ……そのことなのですが……。……トカク皇子殿下」


 大臣はかしこまって言い、腰かけたトカクの前に膝を折って臣下の礼を取った。


「恐れ多くも皇帝陛下からお言葉を預かっております」

「? ……続けてくれ」

「はっ。――此度のこと、ウハク皇太女殿下が世を儚んでの自害であったものとして処理せよと」


 ガタン!!と大きく椅子が揺れて床に叩きつけられた。トカクが勢いよく立ち上がった拍子に倒れたのだ。


「……どういうことだよ!!」

「ツ……ツムギイバラの毒は、安堵して眠るように死ねることから、古くから自決に使われてまいりました」

「だからこそ暗殺に多用されてきたんだろ! あのウハクがどうして自殺なんかする!?」

「……恐れ多くも皇帝陛下のご決断にございます」

「……お母様と直接話すっ……」


 トカクは取るものも取らず自分の居室を飛び出した。


 ニワトリさえも目覚める前だが、間違いなく起きているだろう。というか、後継である娘が倒れているのに寝ているはずがない。


 トカクの予想通り、謁見が許された。


「皇帝陛下。夜分遅くにも関わらず、お時間を取っていただいたこと、心より感謝いたします」

「トカク。わらわのことは母と呼ぶがよい。して、何用じゃ?」

「……ウハクのことに決まっています、お母様!」


 許しを得るや否や、トカクは顔を上げた。


「ウハクが毒に倒れたのが自殺未遂によるものとは、どういうご了見でしょうか!?」


 皇帝陛下――トカクとウハクの母親は、沈痛な面持ちでトカクを見た。


「分かっておる。ウハクが、けして自死など選ばないことは重々承知じゃ」

「分かっているのなら……」

「しかし、このご時世に暗殺などあってはならぬ」


 ぱん、と皇帝陛下は扇子を閉じた。


「トカク。この国が、海外の列強諸国からどのように思われているかは知っておるな?」

「……木の家に住み、紙の仕切りで部屋を分け、罪人にみずから腹を斬らせる蛮族と」

「その通りじゃ。我々はまるで、人間扱いする必要のない未開の島国の畜生ども……。そんな印象を払拭するため、三十年前の開国以来、この国は文明開化に努めてきた」


 そうです、とトカクはうなずく。

 帝立学園も、国内華族に一刻も早く外国の常識を浸透させるために作られたところがある。石造りの建築を真似た校舎。セーラー襟・詰襟の制服。どれも洋風に作られた。


「そうやって我々は、列強諸国のご機嫌取りに奔走してきた。何故か分かるか?」

「この国は武力に劣り、戦争になれば列強諸国に太刀打ちできないからです」

「トカク、おまえは優秀じゃな」


 そんなことはない。常識だ。


「いいや。ウハクなら答えに窮するか、外国の方が文化的に優れているから、などと言い出しておったところじゃて」

「…………」

「おまえを、ウハクと取り換えてわらわの後継にできたらと、何度思ったことか……」


 この状況でシャレにならないことを言われて、トカクは眉をしかめた。その表情を見せないようにうつむく。


 皇帝陛下は己の失言を訂正することもなく、こほんと咳ばらいをした。


「……トカク。この国の伝統にも文化にも、他と比べて劣るところなどひとつもない。恥じるべき奇習など、あるはずがない。じゃが……二百年もの間、世界を切り離してきたツケはあまりに大きい。純然たる事実として、この国はあまりにか弱いのじゃよ」

「……はい。承知しております。時代遅れの武器と兵法では、ロクな抵抗すらできずに国は植民地にされることでしょう。なればこそ、急いで変革を進めていることは分かっております。食べるものも着るものも、ボク達が生まれた十五年で目まぐるしく変わっていきました。是非もありません。……それが!?」


 トカクは声を張った。


「それがどうして、ウハクが自殺未遂したなんて話になるんです!」

「たかが政権争いで皇太女が殺される蛮族の国と、列強諸国の連中に思わせるわけにはいかぬのじゃ」


 トカクは言葉に詰まる。


 皇帝陛下は、「今まだ、この国が侵略されていないのは奇跡としか言えぬ」と苦渋に満ちた声で絞り出した。


「我々は一刻も早く、諸外国に見劣りせぬ国力を手に入れて、自分達が彼らと変わらぬ尊厳を持った人間であることを証明する必要がある。隙は見せられん」

「…………」

「それゆえ……次期皇帝が毒殺されたなど、けして知らせてはならぬのじゃ」

「ッ自分の家族が、」


 トカクの声がみっともなくふるえた。皇族にあるまじき醜態とトカクはこらえようと息を呑んだが、続けて出した声のふるえも止まらなかった。


「自分の家族が殺されたのを、自死と見せかけて歴史の闇に葬ることが、尊厳を持った人間のやることですか……?」

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