第3話 ヘルヘル族の侵略
近衛軍の庇護下にあるアンドレアは11歳になっていた。
アンドレアには腹違いの弟妹たちが5人いた。母親はそれぞれの有力貴族の娘などであったりするが、5人の成人した王子たちの後継者争いに巻き込まれるのを防ぐため、一族から追放同然の身となった。
行き場のない彼女たちは子供たちとともに、近衛軍の庇護を受けた11歳のアンドレアを頼って王宮に避難していた。
アンドレアが弟妹たちと朝食を摂っていると、メイドたちのひそひそ声が聞こえてきた。
「ねぇ聞いた。ヘルヘル族が北方の町ダンベルを包囲しているそうよ。」
「ダンベルの町はヘルミア辺境伯様の所領だったわね。」
「草原に雨が降らないと、家畜が育たなくなって略奪に来る、とは聞いていたけど・・・。」
王族の子供たちの世話をしている侍女たちは、食事を運びながらはばかることなく気楽におしゃべりを続ける。。
「それがね、別の理由らしいわよ。」
「それじゃあ、他の遊牧民に住処を追われたとか、人口が増え過ぎて分派したとか。」
侍女たちはうわさ話に夢中だ。
「一族の運命を決める占いで、南に侵攻しろ、というご神託が下されたようね。」
「うーん、神様のご意思かぁ。」
それは仕方ない話だと言わんばかりに小首をかしげる。
「あら私は、精霊様が現れて南へ向かうよう指示された、と聞いたわよ。」
「へぇー、精霊様なら見てみたいわね。」
「神様はみたくないの?」
「そんな、恐れ多くて見るのが怖いです。」
・・・とうとう噂にまでなってきましたか。
アンドレアは聞き漏らすまいと耳を立てて黙って聞いていた。
王になる資格がないと見下された王女には、気楽に話ができる侍女はいなかった。
ヘルヘル族の動きは速かった。ダンベルの町は半年前には降伏していた。さらに南下してきているヘルヘル族に他の町や村は戦わずに降伏。食料などを供出していた。
勢いに乗ったヘルヘル族の戦闘集団は次々と町や都市を降伏させながら南下し続け、とうとう王都から100kmほど離れた都市コードを包囲しようとしていた。都市コードからは王宮や周辺貴族たちへの救援要請が出されていたが、応じる者は誰もいなかった。
優位になれるような状況なら、必要以上の兵を連れて駆けつけるが、先の見えない状況で兵を出すお人好しな領主などいないのだ。
〇 〇 〇
その日、アンドレアは5人の王子たちに、お茶会への招待状を送る。
・・・これが最後かもしれません。いま一度、お兄様方を仲直りさせてくださいませ。
招待状を送った後、アンドレアは一心不乱に祈り続ける。
必死の祈りが神に届いたのかはわからない。
数日後、ものものしい護衛たちに囲まれている中で、アンドレア主催のお茶会が開かれた。
「先に言っておくが、アンドレアの要望に応じてきたわけではないし、招聘されてきたわけではないぞ。」
年長である次男のソウルス王子が口火を切る。
「はい、存じております。私には今の状況をどうしていいのかわかりません。それでも、お兄様方が手を取り合えばまだ間に合うと信じております。
この機会をお与えくださった女神デメテル様の御心を裏切らぬよう説に願います。」
まだ科学の発達していない時代では、神の名を出されれば多少は冷静になるものだ。アンドレアは、それを知らずして神の名を口にしていた。
その効果は絶大であり話し合いはスムーズに進み、王子たちの間で一時的な不戦協定が結ばれた。
「それでは確認する。敵ヘルヘル族のドベル・クラブル王を討ち取った者、もしくは一番の功績を得た者が国王となる。アンドレア率いる近衛軍は王都防衛のために残る。ということで異論はないな。」
多くの側近や護衛兵たちが見守る中で話はまとまった。
アンドレアにとっては、願ってもない結果になり大満足だった。
表向きだけを見れば、王位継承を巡って内戦状態だったのが、国外の敵に向かって一丸となり大団円になったように見える。
しかし、軍の最高司令官が決まらない上、実質的な最高司令官が5人もいる状態でまともな戦いになるはずはない。これではいくら数を揃えても無駄となる。
形の上だけでも最高司令官を立てる事ができていれば結果は違ったものになったであろう。
今、トランダム王国では決断できない凡夫の王などではなく、素行に難があっても、自分勝手でもいい、王にふさわしい『英雄』が求められていた。
☆ ☆ ☆ 襲撃
翌日から王子たちは王都周辺の村や町に集めていた一族の軍を率いて出立する。
約一年間の小競り合いの期間中、王子たちとその一族たちが何もしていなかったわけではなかった。数の優位を生かして国王に成ろうと、それぞれが兵をかき集めていたのだ。その数は10万を超えていた。
5人の王子たちは誰よりも大きな手柄を立てるために、先を争って敵のヘルヘル族に向かって進んでいく。だが、街道は一本しかない。いくら道幅が広くても10万の軍が一挙に進むことなど不可能だ。5つの軍は入り乱れて押し合い圧し合いしながら行軍していく。
出立してから5日後、数十キロにもわたって長く伸びたトランダム王国軍の戦列の横っ腹に、ヘルヘル族が奇襲を仕掛けてきた。
「奇襲だ。隊列を整えて迎撃しろ。」
狭い街道を秩序もなく密集状態で行軍している横っ腹に、弓矢が雨のように降り注ぐ。普通、弓矢で人を殺傷するのは簡単なことではない。だが、このときばかりは面白いように兵士たちに刺さっていく。
「盾を構え数人で集まって突撃しろ。」
軍の指揮官たちが大声で怒鳴り散らすが、兵士たちは立ち向かうどころか、武器を捨てて蜘蛛の子を散らすように逃げ回った。
かろうじて戦闘態勢を整えようと整列し始める兵たちもいたが、我を忘れて逃げ回る兵士たちが、戦闘隊形を取ろうとしている味方に向かって走り、そのまま勢いよくぶつかって味方の体勢を突き崩していく。こうなっては戦うどころではない。
敵の情報収集どころか敵の居場所さえ確認せずに、功を焦ってどんどん勝手に先に進んでいく王子たちを、追いかけるように進む兵たちは、整列して行軍することもできずイザという時の備えが無かったのだ。
しばらくすると無傷の者はほとんどいなくなる。大量の矢が刺さったままうずくまる瀕死の者も多い。。
その場で倒れたりうずくまったりした多くの者が、逃げ回る兵士たちに踏みつけられ命を落としていった。
ヘルヘル族の奇襲は縦に長く伸びたトランダム軍全体を一挙に攻撃できたわけではない。
数に劣るヘルヘル族の騎馬軍は7隊に分かれて攻撃した。その目論見は成功した。
行軍中の戦列に楔を打ち込むようにして、トランダム王国軍をバラバラに引き裂くと同時に命令系統をも寸断していった。
奇襲されたことにより大量の死傷者が出たとはいえ、数においてはトランダム王国軍のほうが優勢であった。
だが、数が多いとはいえ命令系統が寸断された軍集団では、草原で獲物を追い詰め狩ることに特化した遊牧民の敵ではなかった。
ヘルヘル族の騎馬隊は弓矢が尽きると、よく切れそうな大刀を振り回しながら突進する。
トランダム軍の兵士たちは逃げ回りながらも、味方を見つけると自然と集まって一塊の集団となった。だが、密集して集まってはいたが密集陣形を組んでいるわけではない。救いを求めるように、ただ集まっていただけなのだ。
ヘルヘル族は大刀を振り回しながらその集団に向かって突進していく。組織的な抵抗もできない外側の兵士たちを、薄皮を剥ぐように1人また1人と切り倒していく。
集団の中央部にいれば安心かと言われればそうでもない。外側の兵士たちが内に向かって下がって圧力を加えてくるため、身動きが取れなくなり、圧され酸欠で気絶するも多く出ていた。
そんな一方的な展開が、数十キロにも及ぶ戦場全体で発生していた。
〇 〇 〇
その日、逃げ回っているだけで、ただただ一方的に殺戮されただけの犠牲者は数万を超えていた。通常なら全滅と言っていいほどの被害だ。
まともに食事さえ摂れていない5人の王子たちと生き残った残兵たちは、無言で集まって夜を迎える。
辺りが真っ暗になった頃、焚火の明かりを頼りに再び奇襲が行われた。
「また奇襲だ。」
「火を消せ。」
「武器を取って戦え。」
王子たちや指揮官たちは声を張り上げて叫ぶ。回りにいた兵たちも必死に抵抗するが、再び襲った突然の出来事に対応できず、さらに多くの犠牲者を出した。
奇襲は夜遅くまで何度も続き、散り散りになって生き残った者たちは眠れない夜を山の中で過ごしていた。
辺りが明るくなり始めた頃
「フタミン兄上、ご無事でしたか。」
次男のフタミン王子を見つけた六男のオータス王子が声をかける。
「お前も無事でなによりだ。それより、この惨状をどう見る。」
平地には血だらけになって倒れている兵や、うずくまって苦しんでいる者たちが大勢転がっていた。
「王都に戻りましょう。これでは戦いになりません。」
「お前もそう思うか。」
2人の王子はすぐに撤退を開始する。
「待ってくれー。俺も連れて行ってくれー。」
重傷を負って動けなくなった多くの兵士たちが助けを求めて叫んでいたが、彼らは戦場に見捨てられた。
昼頃、ようやく補給基地に設定していた大きな村にたどり着いて食事をとることができた。
「塩気がほしいところだが、贅沢は言っておれんか。」
「昨日の昼から何も食べていなかったので、食べ物のありがたさが身に沁みるぞ。」
途中、生き残っていた兵士たちを吸収しながら進んでいたため、先に逃げて補給地にたどり着いていた兵士の数は2万を超えていた。残りは戦死者と逃亡者が半々ぐらいだ。
戦争になれば斥候は絶対に欠かせない存在だ。敵の軍団を先に発見した方はかなり有利となる。
相手の準備ができていないうちに攻撃を仕掛けることができる、という利点も大きいが、それ以外にも戦場の設定、準備、戦いのタイミングを決めることができる。
〇 〇 〇
王子たちの軍は食事を終えると倒れるように次々と眠っていった。慣れない戦闘のストレスと負け戦で身も心も疲れきっていたのだ。
だが、戦争とは残酷なものである。
「敵襲。敵襲。」
疲れ切って休息をとっていた兵士たちは銅鑼(ドラ)や太鼓の音に飛び起きた。
村はいつの間にか、ヘルヘル族の騎馬軍に囲まれていた。
「起きろぉ。敵の侵入を許すなー。柵に取り付けぇー。」
村の周りには深さ1mほどの浅い堀があり、その内側に簡単な柵があるだけの簡易なものだった。
村にいる兵士たちは総動員で柵に張り付いた。
村を静かに取り囲んでいた騎馬軍は、頃合いを見計らって一斉に弓矢を解き放った。村にいた兵士たちが弓矢の届きやすい柵に集まるのを待っていたのだ。
雨のように降り注ぐ弓矢の中、トランダム王国の兵士たちは再び逃げ惑った。仲間の兵士たちには何本もの弓矢が突き刺さる。体に刺さった弓矢をのんびり抜いている暇などはない。必死になって盾を構え、余裕のある者は弓矢で応戦するがすぐに矢は尽きる。
突然の出来事だったため、準備がまったくできていなかったのだ。
弓矢の雨はいつまでも降り注ぐ。そんな中、歩ける者たちは次々と建物のある村の内側に逃げ込んでいった。
柵から人がいなくなるのを確認したヘルヘル族の騎馬兵たちは、鬨の声を上げながら一斉に村への突撃を開始する。
村では一方的な虐殺が始まった。
逃げ惑う兵士と村人たち、生き残った者たちは武器を捨て膝を突いて命乞いをする。降伏した者たちは、一ヶ所に集められ奴隷商人に引き渡され連行されていった。
その後、村の家屋はすべて焼き払われ、身に着けていた鎧などをはがされた死体はそのまま放置された。
戦闘は暗くなる前には終わっていた。
ヘルヘル族族長ドベル・クラブルの前に、身なりの良く王子を名乗る者が2人引き出された。
「お前たちも王子を名乗るのか。お前たちの国に王子は何人いるのだ。」
「成人していて軍を率いて来たのは5人だ。」
次男のソウルス王子は正直に答える。
「なるほど、お前たちで最後か。そんなことよりお前たちの王はどこにいる。」
トベル族長は情報を聞きだすことに専念する。他に王が率いる軍がいた場合、即座に陣を引き払って一度後退して体勢を立て直す必要があるからだ。
「王は病気で亡くなった。その後一年ほど王位継承争いで睨みあっていた。今思えば一気に方をつけるべきだったと後悔しているところだ。」
古代王国では、王が崩御すると同時に滅びる国は多い。官僚的な制度が確立していないため、圧倒的な支配力を持った王でなければ家臣たちは付いて来ることはなく、国も維持できない。
「お前たちのことは商人や降伏してきた貴族たちから聞いている。王になるための決断ができないため、ワシの首を取った者が王となる、という話だったな。」
「命を狙われたのがそんなに悔しかったのか。」
ソウルス王子は凡夫と言われてムキになって言い返す。
「目標を設定し、目標に向かって成果を競って出そうとするのは家臣の務めであって王のやることではない。お前たち、自分の手を汚したくないから己を支持する貴族たちが動くのを待っていたのだろう。
王になりたければ、己の考えで貴族たちを動かし、己の手を汚して王の座を奪い取るべきだったのだ。」
「積極的に粛正するべきだったと言いたいのか。」
「フン、貴様に王たる資格がなかっただけのことだ。2人のクビを刎ねろ。」
ドベル族長は側近に支持を出す。
「待て、私が生き残れば私がこの国の王だ。敗戦は認めて責任は私が取る。取り引きをしよう。」
ソウルス王子は微かな望みを掛けて交渉を持ちかける。
「まだ分からぬか、お前のような凡夫が責任ある地位についても、自分の手を汚したくないからその場しのぎの嘘を吐いて責任を逃れようとするだろう。そんな者は信用はできぬ。交渉して生き残りたければ王たる資格のある者を連れてこい。」
「ならば私を・・・。」
隣で黙って聞いていた六男のオータス王子が口を開く。
「お前も同じだ。興味があるとすれば、トランダムの近衛軍を掌握したというアンドレアという小娘ぐらいか。・・・フッフッフッ、11歳だったかな、元王女を隣に侍らせるのも悪くはないな。」
ドベル族長は口元を緩ませながら口を開く。
「まだ子供だぞ。」
「チッ、ゲスめ。」
2人の王子はそれぞれ悪態を吐く。
「あくまで、お前たちよりは遥かに信用できると言ったまでのことだ。」
そう言いながら側近に顔を向けると
「おい、もういいから連れていけ。時間の無駄だ。」
2人の王子は衛兵たちに無理やり引き立てられ処刑された。
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