10P 帰路

 サンドサークラーの止められた小さな車庫。錆のにおいが鼻につくその場所で、べたんと地べたに全身をうずめる少女が一人。

 もちろん四宮小春である。服が汚れそうだが、幽霊なので大丈夫だった。はしたなくはあるが。


『マジでさ……ほんとに乗せない人がいますかと……』

「お疲れ様です、小春さん」


 嫌味なく笑顔で、結以が言う。ありがと~と返しつつ、小春は心内でこの家の主を呪った。

 小春は何とか飛んで行って、サークラーを追いかけた。幽霊なので走るではなく飛ぶなのだが、感覚としては走るのに近く、今の疲れも全力疾走後のすさまじい倦怠感と疲労感と同じであった。サンドサークラーが思ったよりも飛ばすので、それと同じ速度を出したのだが、なんというか、もう「二度とやりたくない」


「そうかいそうかい。じゃあ今度はちゃんと載せてあげるよ、幽霊ちゃん」

『言葉の感じが違う気がするぅ……』


 二重の意味で確かに違うのであった。

 

「それはともかく、ありがとうございます、里香さん。助かりました」


 ぺこりと頭を下げる結以。女性、巻波里香は、よしなよと言いつつ続けた。


「こっちも助けてもらったんだ。お互い様だろ」


 言いつつ、彼女はテーブルにバケツをひとつ置いた。結以の釣りバケツだ。中にはスナアジが一匹残っていた。岩場での戦闘で吹っ飛ばされていたと思っていたが、どうやら無事だったらしい。


「一匹だけ残ってたんだ、こいつは悪運の強いやつだね」

(元々一匹だったとか言えないなぁ)


 苦笑いしつつ、バケツをのぞく。せっかく生き残ったのだ、こいつは食べることなく、取っておいてやろう。飼い方とかはネットで調べれば出てくるだろう。バケツの底でぐるぐると回るスナアジを見つつ、そんなことを思う。


「しかし災難でしたね。サンドーラーと会うなんて」

「そうだねぇ。普通、南半球に行ってるはずなんだけどねぇ。なんでか残ってる個体がいたみたいでさ。いやぁ、観測中に攻撃されてまいったよ」


 そんなそぶりを見せず彼女は笑う。巻波里香は、この辺りの砂海、泥海、水海をサンドサークラーで調べる調査員の仕事を行っている。

 主に調べるのは怪獣の生息状況。それを調べ上げ、各地の船乗りに伝達、怪獣のいない航路を通るよう仕向けている。

 本人も輸送業を営んでいるので、仕事への力の入れようもすさまじく、知りえている情報も他社とは一線を画している。

 その彼女が、サンドーラーが夏には、南半球にわたる生態なのを知らないはずがなく。


「この暑さだし、いやぁ異常気象で商売あがったりだよ」

「始も言ってましたね、怪獣の行動がおかしいとか」


 先日のスラッゴンのことで、始が何か悩んでいたのを結以は覚えている。それがなんについてなのか、までは覚えてない、というか聞いてなかったので知らないのだが……


「始君がねぇ……今度ちょっと聞いてみるか。町のほうは私把握してないから」

『置いてけぼりなんですけど……あの~』

「あ、ごめんなさい小春さん。ちょっとお仕事の話です」

『あそう……』


 小春は小声で「早く終わらせてね」と言って、ソファに腰を下ろした。

 なんか、かわいい。相手は年上なのだけど、むくれているのが少しきゅんと来た。でもそろそろ悪いし、おいとましようか。


「……里香さん、あらためてありがとうございました」

「おや、もう帰るのかい?」

「はい。始には時間を作るよう伝えておきますね」


 言いつつ、車庫から出る。もちろんバケツと釣竿を手にもって。空を見ると、日が落ち始めていた。青かった空が赤く染まってゆく。

 砂海のほうに沈みゆく太陽は、やはり、いつ見てもきれいだ。


「気を付けてね~」

「はぁい! 小春さん、行きましょうか」

『ん、りょうかい』


 巻波邸を後にし、てくてく歩いて帰路に就く。

 時折バケツの中で、スナアジがパタパタと揺れた。普段食べているものなのに、こうして動いているのを見ると、不思議と愛おしくなってしまう。

 

「始はどうしているでしょうね」

『え、魚から連想するの。そりゃあまあ、達観したというかそんな感じの目してたけどさ』

「連想? あ、ああいえ! そうではなくてですね。先ほどメールに、そろそろ帰るって連絡が来てて……今日は進展を聞かせてもらえるのかな、と」

『一日でそう進むものかねぇ』

「始ならたぶん、すぐに解決してくれますから。今日と明日でぜーんぶ解決しちゃうかもですよ?」

『それならいいけどねぇ』


 大丈夫です! ともう一度彼女は言う。すごく強い信頼だ。

 逆に、自分がいなくてもいいんだろうという、ある種の達観も感じ取ってしまう。小春の悪い癖だった。

 そういえばこの子たちは、二人で暮らしているけれど……親はいないのだろうか。学校はどうしているのだろうか。スナアジを見て笑う結以の背中に、そんな疑問を覚えてしまう。


『ねぇ、結以ちゃん』

「はい? なんでしょう」


 結以を呼ぶと、彼女はすぐにこちらに振り向いてくれた。少し言葉に詰まる。

 でも、言ってしまおう。


『えと、君ってさ』

「?」


 結以は首を傾げ、小春を見る。また、小春は考えを巡らせる。

 勢い任せに聞いてしまおうと思ったのに、うまくいかない。やはりなぜか、聞いてはいけないような気がしてくる。

 それは、自分が少しだけうそをついているからなのか、それとも……


「何もないんですか?」

『あ、う、うん。呼んだだけなんだ、ごめんね』


 結局聞けず、彼女はそうですかと、笑って答えた。

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