3P 気になること

「はぁ……においが取れません……」

「服、着替えた方がよさそうだね」


 報酬を受け取り、家兼事務所に戻った言葉兄妹。結以は、空中で爆破させたスラッゴンの粘液を被ってしまったらしく、戻る間もずっと顔をしかめていた。

 始はどんなにおいかと釣り竿の糸に鼻を近づけてみる。酸っぱい刺激臭が鼻孔を貫いた。うん、これはかなりひどい、早く洗おう。


「お風呂入れるから入っておいで、結以」

「わあかりました……始も入りますか?」

「んー……調べたいことがあるから、後で」

「わかりました」


 言うと、結以はぱたぱたと風呂場へ駆けて行った。始はそれを見送って、リビングに戻る。釣り竿は後で洗うとして、まずあの怪獣の出所を調べなければ。小型のノートパソコンを開き、アプリを立ち上げる。探偵御用達のアプリケーション、「怪獣図表」だ。様々な書籍と資料、各地の探偵たちがその目で確認したデータをもとに作り上げた、民間レベルでは最高峰の、怪獣についてのデータベースだ。

 そのアプリでスラッゴンのデータを検索し、持ち得る神核とその能力のページを飛ばし、生態についての項目を見る。

 スラッゴンとは先月も、それ以前に何度も遭遇し、結以とともに戦った相手だ。そのかつての個体群と今回のスラッゴンを比較すると、その行動には、不可解な点があった。


「スラッゴンがなんであんな所にいたのか……」


 スラッゴンはナメクジから進化した(怪獣の誕生経緯を考えると、進化という書き方はいささかおかしいようにも思える)怪獣だが、元のナメクジが好む空間には生息しない。

 肉体が巨大化したことで熱への態勢、鈍重さの克服がなされており、更に神核により個体ごとの武器が存在するため、そのような空間で隠れ住むようなことをそもそもしないのである。むしろあのような空間は栄養が少ないため、外に出て何かしら食べに行ったほうが良い。移動時に微生物などを体に取り込むスラッゴンとしては、細菌の多い地下空間は近寄りたくない場所だろう。

 それにあの巨体だ。伸縮自在の体を持つとはいえ、八メートル弱の巨体では、身動きがうまく取れないはずだ。

 なのにわざわざあの空間に身を置いていたのはなぜなのだろうか。


「何かから逃げてた、隠れてたとか……」


 不可解な行動には必ず理由がある。理性よりも本能を重視して生きる動物は、生きるために無駄な行動を排除し最適化させている。これは怪獣たちも同じだ。

 何かから隠れるために体を活かし、狭いところに潜り込むというのは、非常に合理的だと思える。そのせいで身動きがとりづらくなってしまったというのは、少々間抜けな話だが。


 ……結以がまだ上がってこないので、少し寂しく感じる。始はテレビをつけた。

 そろそろ夕方近く、ワイドショーがやっている時間だった。


『連日の猛暑は収まる気配がありません。気象庁は、必要な場合以外は外出を控えるように呼びかけを行っており……』

「天気もおかしいな]


 昨日も今日も明日も明後日も。天気図はずっと晴れ。雲なんてひとつも見やしない。いくら夏とはいえ、あまりに奇妙な天気だった。

 スラッゴンもあまりの暑さに耐えかねて、あの配管の中に入ったのかもしれない。冗談で言ったことは、もしかしたら本当だったのかも。


「なんて、ないよね」


 いくら暑いからって、さすがにそれは……

 結局何であんな所にいたのかは、わからない。あの時自分で言ったことだが、スラッゴンは人の生活域に勝手に入り込む怪獣だ。だからあそこをねぐらにしようとしたのかもしれない。結局それが、一番納得できる結論な気がした。


「ひとまず、これは置いておこう」


 そう自分に言い聞かせるようにつぶやいてから、小さく溜息を吐く。そろそろ釣り竿を洗おう。

 パソコンを閉じ、釣り竿をもって風呂場に向かう。

 風呂場からは鼻歌と、シャワーの音が聞こえていた。長風呂というか長シャワーというか、とにかく長く風呂に入る結以に、始はドア越しに声をかける。


「結以。釣り竿を洗いたいんだけど、まだかかる?」

「あ、もう上がりますよ。ちょっと待ってください」


 そう言うや、シャワーの音がぱたりと止まった。それから、風呂場のドアが少しだけ開かれる。そこから顔をのぞかせ、結以は言った。


「始、タオルを取ってくれませんか?」

「自分で取りなよ」

「なら一度脱衣所から出てくださいよ」


 ムッと顔をしかめて、結以が言う。

 それもそうだ。始は手近にあったタオルを取るや、結以に投げ渡して、脱衣所を出た。布のこすれる音が少しした後、服に着替えた結以が、脱衣所から出てくる。白いワンピースで、彼女がいつも着ている服だった。


「使っていいですよ。始も体を洗ったらどうです?」

「ん、わかった。入ってる間に電話が来たら、代わりに出といて」

「わかりました」


 そんな何でもない会話を交わして、始は風呂場に入っていった。

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