2P ナメクジ怪獣

 依頼者が電話越しに話した内容は、以下の通り。

 プールの水がうまく出ず、配管内を調べたところ、そこに巨大なナメクジがいたらしい。狭い配管内から細い二本の目を伸ばし、発見した職員をにらみつけたという。その巨大ナメクジが配管内に居座っているせいで、プールの水張ができないという。邪魔者を退治してほしいというのが、依頼主であるプールの運営者からの要望だった。

 巨大ナメクジというのは、一般的な怪獣の種類のひとつだ。その正式な名称はスラッゴンとされる。

 

 粘獣・スラッゴン。

 

 うむ、実に特撮的なネーミングだ。願わくば本当に、特撮のような空想であってほしかったが、これは現実であった。結以にとってはその事実だけでおなかいっぱいだ。

 アレはぬるぬるしていて、そのくせ本物のナメクジと違ってすさまじく動きが速いのだ。これから駆除のために相対すると考えるだけで寒気がする。

 怪獣退治は、結以たちのような探偵にとって基本的な仕事なので、文句ばかり言ってはいられないのであるが。さっきまで仕事そっちのけで、プールの事務所のソファの上で休ませてもらったので、なおさら文句なんて言えなかった。この体力のなさだけは、自分の体が恨めしくなる。


「何故よりによってナメクジなんですか……」

「まだましでしょ。下水道から来たならゴキブリの怪獣でもおかしくなかったんだし」

「そんな最悪のもしもを想定しないでください」


 結以は顔をしかめて始にそう言った。本当、この人は……。

 胸の内で呆れを吐露しながら、先ほど依頼人を交えての確認で聞いた話をおさらいする。

 今回のターゲットであるスラッゴンは、どうやら配管の中の、一定の位置から動いてはいないらしい。始たちが来るまでの間も、微動だにせず。発見当初からこれだったので、最初はどうするべきか、職員も迷ったのだとか。

 そんなスラッゴンの様子を聞いて始は「この暑さだし、涼んでいるんじゃないかな?」と、冗談めかして言っていた。


「スラッゴンは小さくても三メートルちょいはありますし、このくらいの熱は何ともないと思いますけどね」

「では、何故居座られているんですかね?」


 職員の問いに、「さぁ?」ととぼけるように答えて。


「わかりません。そもそも、スラッゴンは市街地のどこにでも潜んでますから。あれには縄張りとかがないんです。人の生活圏に、勝手に居座るんですよ」


 と、始は真面目に正解を言った。

 結以は先月のことを思い出す。先月の以来の半数は怪獣退治だったが、スラッゴンに関しては三回ほど相手にしたか。他はゴキブリだったりカマキリだったり……ああ、どっちも最悪だったなと、思い出すだけで気持ちが萎えてしまう。怪獣は生物の一個体が変異して生まれる怪物だと始に聞かされていたが、その時戦ったゴキブリもカマキリも、卵から子供たち(一メートル弱はある巨大な子供たちだった。後に始が、怪獣の産んだ子供は怪獣の特性を内包するというのを遅れて伝えてきたので、ぶん殴ってやった)を大量放出して、地獄絵図を作り出していた。あんなものの相手は二度とごめんだ。

 そんなことを考えながら、結以はプールの中に入っていく。水張のされていないプールは、手入れが行き届いているおかげか、太陽の光を反射し、結以の姿を湖面のように浮かび上がらせていた。


「結以~、準備いい?」

「……もうやるのですか」

「うん。早めに退治しよっか」


 プールのへりに立ち。始は手に持っていた釣り竿をびゅん、と振るった。

 それは、一見何の変哲もないただの釣り竿だった。ホームセンターに売っていそうな木の棒に糸と釣り針をくっつけただけに見える、非常に簡素なものだ。糸がとてつもなく長いこと以外は、本当に普通の釣り竿だろう。

 これを使って始がやろうとしていることはまったくもって普通ではないのだが。

 

「そいっと!」


 排水管の中に糸を垂らし、何度か竿を引く。たったそれだけで配管のほぼすべてに糸を張り巡らせるらしい。毎度あの釣り竿を使っているのを見ている結以であるが、いったいどういう原理と技であの珍妙な竿を操れるのか、はなはだ疑問だった。


「かかった。よーし、釣り上げるよ」


 そうこうしているうちに(といってもほんの少しの間思考していただけだが)始の竿にスラッゴンが引っ掛かったらしい。

 本当、我が兄妹ながら不思議な技だ。

 あの釣り竿がやはり普通の釣り竿ではない、神機とされるもののひとつだというのは知っている。その糸をどこまでも伸ばし、狙った獲物を絡めて離さない、あれは名前通りの”万能釣り竿”。しかしそれを扱うには結局個人の筋力が必要不可欠で、万能というにはいささか配慮に欠けた神機だと、始は言った。

 そんなことを思い出しつつあった頭をぶんぶんと振り、結以は集中する。

スラッゴンの体に触れたくはない。なので、一撃で決めてしまおう。あの怪獣の体は衝撃に強くできてはいない。一撃、強烈なものを叩き込んでやれば、それで終わる。

 両腕を胸の前で重ね合わせ、念じる。必要なのは光と熱と、それを集約するための砲台だ。それを編むのには時間がかかる。その時間は、始が稼いでくれるだろう。


「いよ……い、っしょぉ!」


 ずるずると音が響き、獲物が姿を現した。

 紫がかった黄色の肌、粘液に覆われ、太陽の光を乱雑に反射する体。その体長は八メートルほどもあり、その巨大さから、長い年月を生きた個体だとわかる。生きてきた年数の分か、状況への対応も早い。

 スラッゴンは空中に躍り出るや、自身を拘束する糸の主めがけて体の一部を伸ばした。その速度たるや矢のごとし。

 しかし始は竿を右に振り、空中のスラッゴンの態勢を崩す。怪獣の体から伸びた触腕はそれだけで動きをそらし、プールの外壁に穴を穿った。

 スラッゴンの体は竿を振る速度の勢いそのままに、プールの底に叩きつけられた。べちゃ、と粘液と汚水が床をべたりと濡らす。


「始、空へお願いします!」

「了解!」


 竿を上に、スラッゴンの体が再び空中に舞った。それを確認し、結以は手中に編んだレンズを掲げた。スラッゴンの粘液をもとに、それが持つ濁りを取り除き、ひとつの形に固め、周囲の光をその中に集約する。

 そうして固めた力を、光の矢として解き放つこの技を、結以は単純に「レーザー」と呼ぶ。単純な分強く扱いやすい。巫女神になった時からの、彼女の得意技だった。


「はあぁぁぁ!」


 手のひらから「レーザー」の光芒が伸び、空中の一点を穿つ。スラッゴンは身をよじってそれを回避しようとするが、腹の中心を穿たれ、さらに一撃の持つ熱量に、全身の水分を沸騰させられる。その高熱は、スラッゴンを形成する核にまで達し、ひびを入れた。その瞬間、声を持たないスラッゴンは、悲鳴代わりに体を膨らませ……そのままはじけて飛び散った。


「ひゃああ⁉」


 先ほどの雄々しい叫びから一転、かわいらしい悲鳴を上げて粘液から逃げる結以。

 釣り竿の糸を手繰って手元に戻しながら、結以のその様子に、始は苦笑した。


「スラッゴンの神核は壊れたし、それはもうただの水だよ、結以」

「わかってますけど生理的に嫌なんですよ!」


 本気で嫌がりそう叫ぶ結以。体が弱いとは思えないほどの悲鳴の上げようだった。確かに、感覚の問題かもしれないなと思いつつ。

 スラッゴンの核だった、球体状の物体を手に取る。すでに力は失われているそれは、しかしまだほのかに熱を保っていた。

 と、背後からコツコツと音が聞こえてくる。始は音のほうを見た。

 そこにいたのは、依頼人の職員だった。彼はプール内の様子を一通り見渡してから、始に聞いた。


「もう終わったんですか?」

「はい。パパっと片づけましたよ」


 最後に「あの子が」と付け加え、結以を指さす。

 依頼人は小さく息を漏らし、服から染みついた水を絞る少女を見た。


「……すごいですね」

「よく言われてますよ。当たり前です……」


 言葉を一度きり、改めて。

 始は言った。


「あいつは、巫女神ですから」

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