神様探偵と怪異事件簿

トナカイさん

事件1 切り裂きジャックと幽霊少女

1P 夏の探偵社

「夏ですね、始!」

「……そうだね」


 カレンダーをめくった後、少女がそんなことを言った。振り向きざまに、彼女の黒い長髪がふわりと流れる。名前を呼ばれた少年は、ぼろいソファの上で寝転がりながら、適当に答えた。彼の開いた目は、少女と同じ青色だった。

 カレンダーには統一歴の五十二年、八月八日と記されている。今日はその日付通りの、非常に蒸し暑い日だった。外気温は四十度を超え、湿度もそれに伴うように上昇している。

 じりじりと照り付ける太陽が恨めしく感じる。

 こんなに熱がこもっていれば、今日が夏だというのは嫌でもわかるし、なんなら夏になってからすでにひと月は過ぎている。

 それなのにあの少女がわざわざ、ああして前置きをするのは、いつものようにわがままを言うためというのは、言葉始にはすでに分かっているのだった。


「どこかに行きたいっていうならダメだよ。茹でだこになっちゃうよ結以」

「まだ何も言っていないではないですか」


 そら見たことか。

 いつものように言ってみれば、想定していた通りの言葉が返ってきた。

 先ほどまでの笑顔を不満そうにしかめて、結以は始をじぃと睨む。それから、はぁ、と小さくため息をついて、言った。


「では始。貴方は今日、ずぅっと家でだらだらぐだぐだするつもりなのですか? 仕事がないからってたるんではいませんか?」

「仕事がないのはいつものことじゃん。こんなに暑いのにどっか行こうとするのがそもそもおかしいんだよ」


 テレビのニュースでは、外に出ないほうがいいとさえ言われている。実際、この部屋の窓からちらりと外の道路を見ても、そこには人っ子一人いやしない。いるのはどことなく力なさげに飛ぶハトとカラス、あとは日陰から全く動こうとしない猫くらいのものだ。

 このありさまで一体どこへ行こうというのか。


「プールに行きましょうよ! それか海行きましょう!」

「……本当に茹りそうな気がするけど」

「プールは涼しいですよ!」

「日差しとプールの冷水の温度差で風邪ひくかもね」

「ああもう! なぜそう貴方は卑屈に物事を考えるのですか!」


 むが~! と結以が怒った。そんなことを言われても、これが商売なんだから仕方ないだろう。


「僕らは探偵なんだよ、結以。物事には疑ってかかるのが、僕らの常なんだから」

「貴方のそれは疑うじゃなくて屁理屈っていうんですよ! 屁にも劣る理屈です!」


 なぜ二度も同じことを言うのか。

 まぁ、結以の言うことも尤もである。プールとかに行って涼むのは楽しい。それなら外に行くのはありだろう。

 しかし、それはそれとして、始は外に行きたくはないのだった。


「そもそも結以はこの暑さに耐えられるの? 僕、おぶってくのだけは嫌だよ」

「大丈夫ですよ、プールはすぐそこですしね」

「君が二十分強の距離を歩くだけでダウンするから言ってるんだけどー」


 三十分歩く時点ですぐそこではない気もするが、ここは感じ方次第なのだろうか。


「なら自転車で行けばいいのですよ」

「二人乗りは禁止です。それにあそこの坂を登れないから意味ないし」

「じゃあバス」

「この時間に通るほどここは都会じゃないんだよ……」


 バスは朝と夕、あと昼に数本。その数本はすでに時間を過ぎている。


「むぅ。ではどうするのですか」

「どうもしない。家でゆっくりする! それか仕事が来たら仕事に行く!」

「来ないじゃないですか、お仕事。先月は八件も来たのに、今月はまだ零です」


 まだ八月の初めだし、当たり前だ。

 

「そればっかりは仕方ないでしょ。怪獣が現れでもしない限り、僕らの出番は」


 と、そんなことを呟いた途端。ジリリリ! と、電話の着信音が響いた。

 ソファのすぐ前の、テーブルに置いた黒電話からだった。


「ちょっと待って……はい、言葉探偵社です」


 結以に断りを入れつつ始は電話の受話器を取り、電話口の相手の話に応じる。

 はいだの、では今からだの、何事か言葉をつぶやいて、受話器をもとの位置に戻し。

 ワクワクしながら待っていた結以に、始は内心うんざりしながら言うのだった。


「仕事入ったよ。近所のプールで怪獣が見つかったってさ」

「なんと!」


 オーバーなリアクションで結以は喜んだ。最後の仕事が二週間前だったので、仕事をするのは本当に久しぶりだ。

 結以はすぐさま部屋を出ると、またすぐ戻ってきた。白を基調とした、仕事用の余所行き服に着替えている。今の数瞬で着替えたらしい、まるで服の下にいつでも仕事着を着てるくらいの手早さだった。


「さぁ行きましょう! 早く、さぁ早く!」

「準備早いなぁ結以。まいいや、行こっか」


 始は少し時間をおいて仕事着(黒基調のシャツとパンツだ。これに加えてたまにサングラスをかけるのだが、そうすると要人警護のSPに見える)に着替え、日差し対策で麦わら帽子を取り、それから結以を連れて出発した。自転車のカギも持って出たのだが、家の近くの坂、プールへの道であるそこをちらりと見て、乗るのはやめた。

 一度だけあそこを自転車で走ったことがあるのだが、まともに登れず自転車を手押しし、その後帰るときは楽だろうからと乗って下ろうとしたらスピードが出すぎて危うく事故を起こしかけた。散々な目にあった後、街の人たちがこの坂を、悪魔の坂と呼んでいるのを知り、自分以外もあれを自転車で行くのは危険だと踏んでいるのだな、と思った。更に後、悪魔の坂の由来はほかにもあると知ったのだが、それはまたいずれ。

 

 その悪魔の坂の餌食になっている結以には、今更伝えても遅いし。出発早々背中に背負うことになった妹に、麦わら帽子をかぶせながら、始は思ったのだった。


「暑い、暑いですぅ……」

「ほらいわんこっちゃない」


 始は嘆息しつつ、悪魔の坂を歩いていく。結以がこうしてダウンするのは、彼にとってはいつものことだ。結以は活発な子だが、体が弱い。これは生まれた時からで、当時生きていた親や親戚は、「始くんが結以ちゃんの分の体力も取ってしまったんだね」などと冗談めかして言っていた。最初、始も「そうなのか」と、幼心に思っていた。

 しかし、結以の体が弱いのは、まったく別の要因によるものだったとのちに判明する。結以の体は、彼女の肉体に宿った強大な力を操るリソースとして体力のほぼすべてを奪われ、その結果として虚弱体質になっていたのだ。結以の活発な性格と裏腹に、彼女自身に巣くった治しようのない病床が、彼女の心身を乖離させていた。

 今でこそその要因、結以を蝕む”力”に、仕事上助けられてはいるが、今でもその力のことは好きではない。その力が、結局家を出た後も、結以を戦いに縛り付けているのだから。せっかく探偵という職務に就いたのに、結局来る依頼は退治の依頼ばかり。結以は楽しいようだが……


「……始?」

「ん。水飲む?」

「いえ……難しい顔をされていたので」


 顔に出ていたらしい。結以は心配そうに、始の顔をのぞき込んでいた。なんでもないよ、という風に首を振り、水筒を渡してやる。

 結以は不思議に思ったらしいが、しかし詮索はしてこなかった。ただ不思議な顔をして、水を口に含んでいる。


「僕にも頂戴」

「はい。少し残しておきました」


 受け取って、中身を口に含む。二人にとってこの行為は普通だった。はたから見たらどう思われるんだろうかと、熱に浮かされた頭で思う。自分は、彼女のためにあらゆるものを捨てた自分は、やはりおかしいのだろうか。炎天下の中でも、水筒の水は冷たかった。


「よし、行こう」

「早くいきましょう」


 困っている人がいますから、と付け足して。始はそんな、仕事人気質の相棒を背負い、さっさと歩くのだった。

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