捨てて、逃げて、溺れる
野森ちえこ
溺れて願う
世界には、青があふれている。
恋をすると景色が輝いて見えるとか、世界が鮮やかに色づくとかいわれるけれど、わたしの場合はある意味逆で、恋を失ってからのほうが強く色を感じるようになってしまった。
カフェの看板。
スポーツカー。
バイク。
行きあう人々のジャケットやスカート。
街にあふれている青色が、網膜をつらぬいて脳に直接叩きつけられる。
彼が好きな色。
彼との思い出のなかに、必ず存在している色。
青にもコバルトブルーとか瑠璃色とか、たくさんの種類があるけれど、そういった系統色もふくめての青だ。
しかし純粋な青、光の三原色のひとつである、まじりっけのないブルーは特別に好んでいた。
青。それはドラマとかマンガとか、物語のタイトルにもよくつかわれているくらいメジャーな色だ。
せめてもうすこし、マイナーな色だったらよかったのに。
街にあふれかえっている青に溺れてしまいそうになる。
自分から捨てたのに、バカみたいだ。
わたしを糾弾するのはほかの誰でもない、過去の自分自身だった。
父親は失踪。母親は駆け落ち。わたしは若さと性を売って男たちから生活の糧を得てきた。それがいちばん、てっとり早かったから。
だけど大人になって、まっとうな仕事につけるようになって、そして、恋をした。
過去をなかったことにしたかった。そうしようとした。わたしが黙っていればいいだけだと思った。
でもそう簡単にはいかなかった。
彼の愛情の深さを知るにつけ、自分がどんどんみじめになっていく。
そして、彼に隠している過去のうしろめたさに押しつぶされそうになっていった。
わたしは彼の愛情を受けとれるだけの
そうわかってしまったから。
だから、恋を捨てた。逃げた。彼からも、自分からも。
それにしても、今日は特にひどい。
ショーウインドウにならぶマネキンの服。
そこかしこに見られる、青をテーマにしたアート展の宣伝広告。
嫌がらせかな? と思うくらい青だらけだ。
意識するまいとすればするほど目についてしまう。
時間が解決してくれる。
物理的に離れれば、いつかこの恋心も消える。
そう信じて、別れを告げて、引っ越しまでしたけれど。
街にあふれる青が、わたしに恋をつきつけてくる。
しばらくひきこもろうかな。
ちょっと本気でそう考えてしまうくらいにはキツイ。
世界には、青があふれている。
彼のやわらかな笑顔が。
彼のあたたかな眼差しが。
わたしのなかからあふれだす。
まだ、わたしのことは忘れてとは願えない。
ほんのひと欠片でも、彼のなかにわたしの存在が残ってほしいと思うあさましい自分がいる。
にじみだした青から目をそらせない。
息のつぎかたがわからなくなって、胸が苦しい。
どうか、しあわせに生きてください。
街にあふれかえっている青に溺れながら、そう願う。
いまは苦しいけれど、もしかしたら永遠に苦しいままなのかもしれないけれど。
それでもきっと、ずっと、わたしはあなたのしあわせを願っています。
(了)
捨てて、逃げて、溺れる 野森ちえこ @nono_chie
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
備忘録 週間日記/野森ちえこ
★3 エッセイ・ノンフィクション 連載中 25話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます